今回のレポートは、出発から、六浦三艘の寄り道、田浦から十三峠、塚山公園、逸見側に下って浦賀道を走って浦賀港に到着するまで。
■見所
★浦賀道
江戸時代中期、1720(享保5年)、江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀へ奉行所が移された。
東海道と浦賀間を結ぶために整備された道が”浦賀道”。
三浦半島の東西(保土ヶ谷と鎌倉)から各1本の道が作られた。
・東の浦賀道(うらがみち)
東海道「保土ヶ谷宿」から六浦(ここまで武蔵国)を過ぎて相模国に入り、田浦、十三峠、逸見、汐入、大津を通って、矢の津坂から浦賀に至る道。
江戸からは17里半(約69km)。
・西の浦賀道(うらがどう)
東海道の「戸塚宿」から鎌倉道に入り、鎌倉を経て葉山、木古庭、平作、衣笠、大津で東の浦賀道と合流する道。江戸から浦賀まで20里(約79km)。
この道は、浦賀奉行が江戸への往復に利用するなど公道の位置付けで、道を「どう」と呼んだ。
★塚山公園
標高133mの小高い山の上で東京湾側に広がっている。
眺めが良く、「見晴台」「港が見える丘」から房総半島や横浜、眼下には横須賀港、猿島などを見渡せる。
「かながわの景勝50選」に選ばれている。
桜の名所として有名で、花のころには大勢の人でにぎわう。
園内には、按針塚がある。
★按針塚
1600(慶長5)年、豊後の国に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)は、徳川家康に認められて外交顧問として活躍した。
三浦郡逸見村に250石の領地を与えられ、外交顧問のほか、砲術・造船術・航海術などの西洋文明を伝えた。
1620(元和6)年に平戸で病死。(享年55才)
按針の遺言によって領地であった塚山公園に供養塔が建てられた。(明治39年に再建)
■テーマソング
今回の走行中に頭を回っていた曲は?
日本の少女が超絶技巧で演奏するエレクトーンによる2曲
★【威風堂々】 第1番 エレクトーン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=ULq8jvOoWvU&list=PLx35tDygJFx1sfuKoBeIckW5CzO-FobD-&index=12
★【宇宙戦艦ヤマト】エレクトーン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=aigOZ6dpXRM
1月に公開され大ヒット中の映画StarWars EP7「フォースの覚醒」にちなんで演奏した
「スター・ウォーズ」メドレー 【 STAR WARS 】 エレクトーン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=Yp5HpjhKHKs
がキッカケなんだが、私は”威風堂々”と”宇宙戦艦ヤマト”が良かった。
ヤマトのテーマはいいですよ。
威風堂々も最初の部分が、山歩きに非常に良いと感じる。
「パンパンパン、タラララァ。パンパンパン、タラララァ」
■マップ
(1)全体
■実走報告
(01)出発
08:50に家を出る。
今日も目覚めが遅い、朝は寒いけど08:00には出発したかった。
予定を完全クリアできるかちょっと心配。
まずは六浦を目指す。
選んだ道は、不動坂に出て舞岡方面に進み、下永谷、上永谷、野庭団地、港南台を突き抜けて、神奈中車庫前で環状4号に合流する。朝比奈方面に進み、「三艘」に寄り道。
↑桜堂から日限山まで600mの長い坂道。”く”の字に曲がっている。
↑港南台5から神奈中車庫へ
↑トンネルを抜けたら朝比奈
(02)三艘
六浦交差点でR16に右折で合流するのが面倒で、手前から路地でショートカットしてみた。
途中に通る地名”三艘”が、鎌倉時代の桟橋だった場所と言うので、何かないか立ち寄ってみたくなった。
最初から期待しないで行ったが、ホントに何もなかった。地名だけが昔のまま。
(03)JR田浦駅前
R16を横須賀方面(下り)に走り、十三峠方面に出るには、ちょっとややこしい。
R16から離れる場所が横須賀方面(下り)と横浜方面(上り)で道が分かれていて上り側につながっている。
下りから直接は行けません。R16のJR田浦駅前信号で上り線に移ってR16を離脱する。
(04)田浦の里 山中風景
道は直に細い路地となり、坂道に変わる。
道なりに直進方向で進むとループした道が現れる。
ここから暫くはきつい上り坂になる、上り切ると左に視界が広がるポイントに出る。
広重の第15景「田浦の里 山中風景」に近い景色が現在も見ることが出来る。
但し、手前には随分マンションが建つようになり、そのうち分からなくなりそうだ。
◆十三峠(じゅうさんどうげ)
東の浦賀みちは、田浦から逸見まで海岸沿いではなく急な山坂の連続であった。
この山道で最大の難所だった場所が「十三峠」と呼ばれているところ。
保土ヶ谷より13番目の峠という話や、峠に祀られた十三仏にちなむという説など諸説いろいろ。
どれが真実なのかは分かっていない。
なお”ここが十三峠です”みたいな標識はないので、実際走ると、どこなのかよく分かりません。
(05)塚山公園
田浦からだと、左手に按針塚が現れる、説明板と塚全体を撮ったら先へ進む。
10:45、塚山公園に到着。ここでは2か所の眺望を楽しむ。
①段々畑
②見晴台からの東京湾
広重の第16景「浦賀道 毛見の山中風景」は、ここ見晴台からの眺め。
※毛見は逸見の聞き違い。
◆ひかるちゃん
塚山公園を出ようと歩いていると、散歩途中の地元民と思える青年が連れた犬に老人が話しかけていた。
この犬、顔立ちが最近ホンダのTVCMに出てくる犬のキャラクターにそっくりだったので、思わず私も話しかけてしまった。
「おとなしいですね」(俺)
「もうおじいちゃんですから」(青年)
「いくつなんですか?」(俺)
「13歳です」(青年)
(人間でいけば65歳)
「名前は?」(俺)
「ひかるです」(青年)
「おー、疲れたね。おじいちゃんと同じだ、もう少し、東京オリンピックまでがんばろうね」(爺)
「おぉー」(俺)
「ホンダのCMにでる犬に似てますね」(俺)
「そうですか、犬種はボーダーコリーです」(青年)
ひかるちゃん主人が歩き出さないのでたまらず座り込む。
(はなしなげぇーよ、ふぅ、疲れちゃった)きっとそう思っているのだろう。
(06)浦賀みち
公園から逸見側に下り切った場所にある神社が鹿島神社。
遅くなりましたが今年の初詣です。
◆鹿島神社
常陸の鹿島神宮の分霊を祭る神社。
創建は、三浦遠江守で室町初期の1410(応永17)年。按針の子ジョセフが再建している。
初めは鹿島崎(現海上自衛隊施設内)に祀られていたが、明治期に焼失し明治29年現在の地に再建された。
もう歳をとった老いぼれなので、願う事は一つだけです。
「家族が一年、病気や事故にあいませんように」
健康が一番です。
お正月になるとTVでよく聞いたっけ
「金もいらなきゃ、女もいらぬ、わたしゃもすこし、背がほし~い」
誰だっけ?
ここから、大津までは全て初めての路地を走る。
正直、横須賀の路地は苦手なんだよね、坂ばっかだから。
特に見所はなく、昔の浦賀みちだろうと勝手に考えたルートを走る。
走って思ったのは、「横須賀はトンネルが多い」
坂も多いが、トンネルだらけだった。
それにしても古道沿いには何もなかった。
↑一方通行の逆走で激坂を上がるとトンネル
↑トンネル出た先で見た、砦のように見える普通の家、横須賀では良く見かける光景。
↑子ノ神神社(ねのかみ)
↑K26三崎街道に移る
↑高架を過ぎたらすぐを右折する
↑浦賀道はただの路地道になっていた
↑とても上る気にならない階段
◆春日神社
奈良の春日大社から勧請した公郷村の総鎮守社。
元は猿島に本殿があり、島に向かって遥拝するように1801(享和元)年に拝殿が設けられた。
明治の初めに猿島に砲台を建設するため現在地に社殿を造営。
猿の狛犬が特長。
(07)矢ノ津坂
大津を過ぎて路地が街道に合流すると、ながい坂が現れる。矢の津坂である。
広重の第18景「浦賀近辺山中の月」は、矢の津坂の中腹であろうといわれる。
◆矢の津坂
元々は、大変な急坂で雨が降ると膝まで埋まる悪路で「馬子泣かせの道」といわれた。
坂は明治、大正、昭和初期と改修を続けて現在のような状態になった。
(08)浦賀
12:13、京急浦賀駅前に到着。
矢ノ津坂を越えると浦賀港は直ぐでしたが、途中の路地走りが遅くて、時間がなくなりました。
浦賀ドックを見てみたかったが、ゆっくり見て回る余裕がありません。
港沿いを走って、為朝神社を探す。
広い道沿いには、あまり見るべきものは無く、路地の中に入らないと見所が見つからない。
やっと見つけた為朝神社はとても小さな(地味な)神社でした。
正直、私は三浦は好きだが横須賀と浦賀、久里浜には興味がない。
見所の予習も全くしないで、行けばすぐ何か見つかるだろうと思っていた。
やはり見るべきポイントを学習してくればよかった。
浦賀港では、次の4つを見るべきでした。
①浦賀ドック(京急浦賀駅前)
②愛宕山公園(高台から港が見渡せる)
③西叶神社と東叶神社(港の東西に対になっている)
④浦賀港
開国橋から次回に続く。
(⌒_⌒)v いぇ~い!
■本日のデータ
・出発時刻-到着時刻(実時間)=08:50-18:50(10:00)
・乗車時間=05:28:00
・距離=87.84[km]
・AVE=16.0[km/hr]
・Max=49.4[km/hr]
・累積走行距離=0087.8[km]
■感想
本日の感想は?
満足( ̄ー ̄)、満足( ̄ー ̄)
満足2つです。
◆浦賀道編の感想
山道部分(田浦~塚山公園)は楽しかったけれど、逸見から大津までの浦賀道はつまらなかった。
横須賀の街中はR16とR134かK208で走り抜けるのが良いでしょう。
路地走りは面白くない。
大津、浦賀周辺は改めて走るコースを考えてリトライしよう。
観音崎や走水に行くと何か面白そうだ。
◆武相(武蔵国と相模国)
武蔵国(むさしのくに)というと三鷹とか多摩地区から埼玉を連想するのだが、なんと横浜と川崎はほぼ武蔵国の一部だったのには驚いた。
町田と緑区の境界とかが変だなぁと思っていたが元は同じ武蔵国だったので、現在が変だということだ。
瀬谷区、戸塚区、港南区の半分と栄区が相模国、保土ヶ谷区、旭区、港南区の半分、金沢区から北東は武蔵国だった。
尾根筋が国境であり街道であることが多いので金沢道が境界線と言う事だ。
現神奈川県の形はスマートだが、相模国の形はちょっとダサい。
奈良時代に区分は決ったようだが、武蔵国はでか過ぎだった。
ではでは(⌒O⌒)
■過去報告
09月23日 三浦の武山塚山を走るの巻き-塚山編
http://ameblo.jp/binetu-chunen/archive2-201409.html