横浜市金沢区の金沢八景を巡るポタリング・パート2の4/4回目です。
今回は、行こうと思うと曲がり角を間違えて通り過ぎてしまう夏島に行ってみました。
夏島の帰りに貝山緑地、柳町、上行寺に寄って家路に付くまでをレポートする。
■見所
(1/4回)
★横浜つながりの森-円海山
★手子神社
★円通寺客殿跡
(2/4回)
★金龍禅院
★瀬戸神社
★琵琶島弁財天
★姫小島跡
★州崎神社
★龍華寺(りゅうげじ)
(3/4回)
★帰帆橋(きはん)
★野島橋
★伊藤博文別邸跡
★野島公園
★掩体壕(えんたいごう)
★夕照橋(ゆうしょうはし)
(4/4回)
★夏島
横須賀市夏島町。かつては島だったが、海軍の飛行場として昭和初期に周囲が埋め立てられ陸続きになった。現在は工場用地となっている。(日産自動車追浜工場など)
島東部(現在は山の頂上)で日本最古の貝塚の一つが1950(昭和25)年と55(昭和30)年の調査で確認されている。
夏島貝塚と呼ばれ縄文時代早期(9450±400年(ほぼ1万年)前のものと判明している。
1972(昭和47)年に国の史跡に指定された。なお、島(山?)の内部は公開されておらず立入禁止となっている。
◆夏島憲法記念碑(夏島憲法起草遺跡記念碑)
1887(明治20)年、伊藤博文の別邸で明治憲法の草案を作成したことを記念する碑。
現在は、本来の位置(伊藤別邸跡)から北方に200m移設されている。
★貝山緑地
夏島町の工業地帯にある緑地です。
貝山緑地周辺は日本の「海軍航空発祥の地」です。
ライト兄弟による初飛行から9年後の1912(明治45)年、この地で日本海軍初の航空飛行が行なわれた。
海軍航空の一大拠点で、横須賀海軍航空隊、海軍航空技術廠、追浜飛行場があった。
1930(昭和5)年には横須賀海軍航空隊海軍飛行予科練習生(通称「予科練」)が設立され、全国から選ばれた若者がパイロットとして訓練する場所となった。
緑地内には予科練誕生之地記念碑や甲飛鎮魂之碑などがある。
★平潟橋
室ノ木、瀬ヶ崎、高谷、三艘、六浦、瀬戸、洲崎原西側、野島浦を結ぶ入江を平潟湾と言った。
瀬戸から釜利谷の奥までを入海がつながっていた。
湾の東西で塩田が発達した。
しかし、明治に入り塩田法の対象から漏れたことと横浜港に近いことから、港湾開発の埋め立てが進み、現在の矩形方の僅かな入り江のみとなった。
埋め立てに伴い、内川が合流する侍従川の河口も移動して、河口に掛けらた橋が平潟橋。
★柳町母子像
柳町は、1967(昭和42)年に、横浜市が平潟湾を埋め立てて出来た土地を、京急興業に宅地開発させて出来た街。
住宅地の完成を記念して、街のど真ん中にある当時としては珍しいロータリーに京急が母子像を建立した。
作者は、清水多嘉示(しみずたかし)先生。横須賀の戦艦三笠横に立つ東郷元帥像の作者。
コンセプトは”新しい住宅地の平和な家庭のシンボル”
なぜ”母子”なんでしょうね?答えは、”出征兵士を送る”像だからなんです。夫(父)は無事帰ってきたのでしょうか?
やはり先の大戦を意識したものでした。
★上行寺(じょうぎょうじ)
日蓮宗のお寺。六浦山(ろっぽさん)
創建は1254(建長6)年。本尊は板曼荼羅。
寺宝は日荷上人坐像。
◆日荷上人(にちかしょうにん)
日荷上人が称名寺の仁王様を身延山に運んだ話が面白い。
日荷上人=六浦平次郎という回線問屋の主人は大金持ちで上行寺の創建にも協力した。
信仰心が篤くのちに出家して六浦妙法となる。
ある夜、夢枕に称名寺の仁王が現れて、身延山に送り届けて欲しいと告げられる。
妙法は、囲碁好きの称名寺の和尚と仁王を賭けて勝負をし勝つ。
七尺二寸もある仁王は担ぎ出せないと取り合わない和尚に対して、妙法はある夜ひそかに山門から仁王尊二体を担ぎ出し、それを背負って三日三晩を歩き通して身延山に納めたという。
事の次第を聞いて驚いた身延山の住僧は、その怪力に感激して「日荷上人」(にっかしょうにん)の尊称を授けたという。
この仁王様とおぼしきものが今も身延山にあるらしい。
但し、大きさは七尺二寸(218cm)ではなく七寸二分(21.8cm)らしい...
(怪力ではないが健脚ではある)
※明石家さんまさんの息子さんは”にちか”だけど”二千翔”と書きますので関係ありません。
◆萱の木
日荷上人が身延山に仁王様を運んだ帰りに持ち帰った「カヤの木」の一つが境内の日荷上人墓所の隣にある。
樹齢700年と言われる巨木となっている。
カヤの木の名木は珍しい。(瀬戸神社にもあったけどね)
カヤの木は、碁盤の最高級材料として知られている。囲碁の勝負とカヤの木が妙に因縁めいている。
◆上行寺東遺跡
上行寺裏山の上にあった遺跡。
鎌倉時代に源頼朝が建てたという浄願寺跡というのが有力な説。
マンション開発によりほぼ全部破壊された。一部は型取りされて、FRPで復元保存されている。
寺社の姿が描かれたものがなく、復元は難しい。
柱とやぐら跡だけの保存は難しい。
地主が民間の不動産会社であれば、宅地化は免れない。
◆吉田兼好住居跡
徒然草の作者である吉田兼好の住居跡が上行寺の裏山の上にある。
■マップ
(1)全体
(2)夏島周辺
■実走報告
夕照橋からの続き。
(⌒_⌒)v いぇ~い!
(21)夏島
野島を後にして夕照橋を渡ったら左に進む。
市道を道なりに走り右手に野球場を見た後の突き当たりを左に曲がる。
日産自動車の工場前を通過したら、右側に小山が見える。
これが貝山緑地である。
ecomarco(マルコ)の表示がある建物前の信号を左折する。
すると、ほぼ無信号の長い直線道路が現れる。
ここはスプリンターの練習場らしい。
275m先に信号が一つあり右にカーブした後725mの直線(信号なし)である。
右90度コーナーの後540mの直線でさらに右90度コーナーの後直線で行き止まりとなる。
工場地帯の為一般車もあまり走っていない、絶好の練習コースですね。
ロードバイクがいるわけです。
私の目的は走りではないのでゆっくり進みます。
現在の夏島は島ではなく小山に見える。
夏島の脇を通る道路を走って気づいた幾つかのコンクリートで塞がれた格納庫跡。
野島で見た掩体壕を思い浮かべ、やっと気がついた。
長い直線道路の脇にあるのは、良く知られた日産自動車追浜工場のテストコース。
これまで、日産が工場作るため埋め立てたものと思っていたが違いますね。
もともとは帝国海軍の横須賀海軍航空隊とその飛行場だった所だ。
敗戦による武装解除と新憲法によって海軍が解体されて、平和的な使い道として、1961(昭和36)年に日産自動車が本格的自動車生産工場(追浜工場)として操業を開始したのだった。
◆旧日本帝国軍隊には空軍はない
自衛隊は陸海空の3つに分かれているけれど、旧日本軍には、陸軍と海軍しかなく空軍はない。
航空隊として陸海軍にそれぞれ設けられていた。
海軍は主に空母で運用する艦上戦闘機(ゼロ戦)
陸軍は防衛(迎撃)と爆撃が主な役割。
子供の頃はミリオタ(ミリタリーオタク)でいろいろ調べたけれど日本はもの凄い種類の航空機を開発していた。本当に種類の多さが凄かった。
個人的には四式戦闘機「疾風」と迎撃戦闘機「雷電」が好きだったな。
(22)貝山緑地
夏島から戻り、次は貝山緑地の周りを回って帰ろうと考えた。
そしたら、何と緑地は開放されているではないか。
↑貝山緑地の住人
緑地に入ると目に飛び込む急坂、長さは分からないが見た以上上らない訳にはいきませんな。
フロントインナー、リアローギアの最軽ギアでゲートをすり抜ける。
急坂は短く300mほどで展望台に到着。
ちょっとあっけないが、展望台は予想外であった。
「へ~、こんなのがあったんだぁ」
気がつきませんでしたね。
展望台はちょっと低くて残念ですが、もはや遮るものはない。横須賀方面の眺望が良かった。
↑砲台跡っぽい
↑どんぐりが一面に落ちていた。
↑急坂を下る
(23)平潟橋
夏島、貝山緑地でもはややりきった感がありあとは帰り道の途中です。
平潟橋では川上を撮り「内川暮雪」だと思った。
◆内川暮雪(うちかわのぼせつ)
金沢八景のひとつ。
雪の降る切通しを過ぎ、内川が六浦の海に流れ込む所の様子。
画に添えられた京極高門の和歌は
「木陰なく 松にむもれて暮るるとも いざしら雪の みなと江のそら」
本当は、R16の内川橋付近が正解でした。
言い訳になりますが、当日あまりに多くの見所を回ったせいで、夏島以降の見所情報が飛んでしまって、大雑把でした。
持参した資料(「金沢八景巡り地図」参考※2)をみて平潟橋からの景色を撮った。
平潟橋付近は埋め立てられた所であり、当時を推測すると内川の河口はR16付近の方が自然だ。
内川橋の隣が雪見橋だったし。
◆金沢区役所のPDFに騙された
参考※2”「金沢八景巡り地図」歌川広重が描いた「金沢八景」と現在の風景”は良く出来ている。
それは間違いない。が、現在の見た目の良さでポイントが選ばれているので史実とはちょっと違う場所がいくつかある。
「内川暮雪」も広重の視点と随分違う場所からとなっている。
絵をよく見ると平潟橋(河口)から上流を見る構図ではないね。
金沢区に不満を言いたいところだが、資料のタイトル横に”<場所はおおよその場所です>”って書いてあった。
こういう抜け目のなさが役所作成らしい、”騙されたと思ったあなたが悪い”と言われてるようでガッカリだよ。
◆侍従川
平潟橋が架かる川を”侍従川”という。
小栗判官と照手姫の伝説に関係していると言う。橋の袂に説明があった。
足利の時代(1420年頃)の話で謀反の疑いを掛けられて国を追われた小栗主従(11人)は藤沢の遊行寺で盗賊一味に毒殺される。
主の小栗満重だけ蘇生して熊野へ逃がされる。(遊行寺大空上人のお慈悲)
小栗の侍女という説もあるが、たまたま盗賊の家にいた女性(照姫)という説もある照手姫は盗賊から逃れるものの六浦で捕えられ衣服を剥がされ川に投げ込まれる。
野島の漁師に助けられるものの、美貌に嫉妬した漁師の女房が、小島の松に縛り付けていぶし殺そうとする。観音様のフォースでまた助かるが、人買いに売られてしまう。
この姫が縛られた松がある小島が”姫小島跡”です。
姫を追いかけて六浦で悲嘆して川に身を投げた乳母の「侍従」(じじゅう)にちなんで”侍従川”と呼ばれるようになった。
小栗は城主なので、世話をする女性(侍女)が”照手姫”という名前だったというなら分かるけど。
侍女と侍従って同じ意味ですよね、侍女に侍従がついたりもしないと思うのよ。
姫(城主の子女)の世話をする人が侍従だと思うからね。
だから、川にある説明は間違っていると思うんだよね...。まっいいか。
小栗判官と照手姫伝説は相模と武蔵の各地にあり、真実か作り話か良く分からない話です。
相模湖の先美女谷温泉に照手姫の伝説の切り株があったっけ。
み~~んな、で・ん・せ・つ、さ。(^O^)ウホホ
(24)柳町-母子像
参考文献※1を読んで知った母子像を見て帰る。
金沢八景駅を出ると、ほとんど全ての観光客は、平潟湾プロムナードを歩いて野島へ向う。
途中が柳町だなんて、絶対気づかない。だよね。
この住宅街のど真ん中にラウンドロビンのロータリーがあるなんて、住民以外は絶対知らないと思う。
最近やっと導入検討が始まった信号なしのロータリーが昭和40年代からあったなんて、ちょっと驚いたよ。
行ってみて、ほんとにあって二度びっくり。
(25)上行寺(じょうぎょうじ)
R16に出て六浦交差点を左折。帰る気満々で進むと、何かこの辺で遣り残した事があるような気がする。
右を見て思い出す。
「そうだ、上行寺に寄るんだった」
15:53、上行寺に到着。
でも、何をするのか思い出せない。
上行寺裏の遺跡は諦めていたし、その他になにか目的があったような...
「そうだ、吉田兼好の住居跡を見るんだった」
しかし、時刻は16時を回っており、お寺の閉門時間が近い(16:30)
境内に入りすぐ目に入った、巨木と隣の墓石を撮って今日は帰ろう。
16:07、上行寺を後にする。
(26)帰り道
上行寺の前が環状4号線なので、この道をひたすら走れば大船へ行く。
JRの線路を越えた所で脇道に入れば、もはや普段の通勤路になる。
でも、遠い。
あまりにも芸がないのでちょっと考える。
上郷町の神奈中車庫前を曲がれば、環状3号につながる。環状3号で日野南に坂道を上って帰ることに決めた。
港南台5を曲がって野庭団地越えもあるが、上りがきつ過ぎる。今日はやめておく。
↑環状4号神奈中車庫前
↑日野南の坂道の手前
17:15、無事帰宅。
■本日のデータ
・出発時刻-到着時刻(実時間)=08:50-17:15(08:25)
・乗車時間=03:53:24
・距離=57.47[km]
・AVE=14.7[km/hr]
・Max=48.6[km/hr]
・累積走行距離=4636.5[km]
■感想
本日の感想は?
満足( ̄ー ̄)、満足( ̄ー ̄)、満足( ̄ー ̄)
満足三つです。
◆4/4回の感想
夏島に上れると良いんだけどなぁ。何とかなりませんかね。
無理かな、あそこは国立海洋開発機構の敷地内かな?
夏島まで行く奴がどれだけいるかですね。あんまり行かないかな。
貝山緑地はちょっと山が低いのよね。残念。
◆追浜は秋水(しゅうすい)が飛んだ場所
秋水に橘花(きっか)って何だか分かります?
私と同年代(50歳代)以上の男子なら大抵は分かると思います。
秋水は日本初のロケット戦闘機でドイツのメッサーシュミットMe163が見本。
橘花は日本初のジェット戦闘機でドイツのメッサーシュミットMe262が見本。
戦中の技術協力でドイツから設計図を持ち帰るために何回も潜水艦で挑戦しては連合国に沈められた。
数少ない成功事例で手にした情報を元に作られた。
中核部分の設計情報は潜水艦と共に海の藻屑となり、ほぼ日本オリジナルの航空機である。
秋水は三菱重工が造り、橘花は中島飛行機(富士重工)が造った。
この秋水が一度だけ成功した初飛行地が、追浜なのです。1945年7月7日。
日本は当時世界最先端の航空技術を自前で持っていたのだ。もの凄い事だと思いますよ。
◆全体
横浜市の金沢区とちょっと横須賀市を朝から晩まで動き回ってヘトヘトである。
2回も全力でトライしてまだ見ていない場所があるという、金沢区恐るべし。
まさかの第3回を走っても富岡町、並木が残りました。
でももうお腹一杯です。
ではでは(⌒O⌒)
■参考文献
※1.ぶらり金沢散歩道 歴史・伝説・民話を歩く 楠山永雄(くすやま・ながお)
↑金沢区の全てが分かるコンパクトなサイズの良書です。大変参考になりました。
■参考URL
※1.金沢区の地名と由来 - 横浜市
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/rekishi/otona/landscape/placename.html
↑磯子区からの分家で新設された区で、鎌倉幕府に関連する旧跡から金沢区と命名された。
※2.[PDF]歌川広重が描いた「金沢八景」と現在の風景 - 横浜市
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/sonotamap/map/hakkei-naka.pdf
[PDF]ダウンロードはコチラから(PDF 4.8MB) - 横浜市
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/sonotamap/map/hakkei-insatu.pdf
↑非常に良くまとまっている。
※3.日産追浜工場|工場の紹介|ようこそ、日産の工場へ - Nissan Global
http://www.nissan-global.com/JP/PLANT/OPPAMA/
※4.夏の夏島と野島へ|海とひこうき雲
http://ameblo.jp/syounann-bunntaisi/entry-11294305333.html
※5.貝山緑地
http://oppama.info/?page_id=9
※6.戦前・戦後、横浜にかつて存在していた四つの飛行場の歴史を ...
http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=2994
※7.昔横浜に空港があったのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107800439
※8.貝山・夏島海軍地下壕 その他の周辺戦時史跡
http://shusui.org/5natsushima_kaiyama/5_natsushima_etc_index.html
↑日本初のロケット戦闘機「秋水」について調査研究している方のHPに夏島、貝山の情報があった。
■予告
次も金沢区ですが、金沢八景の今昔探訪ではありません。
さすが4回は長すぎますね、2回か3回にまとめようと思います。
磯子にはみ出しましたが、面白かったです。
そして上行寺再びと朝比奈切通しをレポートしようと思います。



















