私は起こった嫌なことを自分のなかで静かにため込んでしまう癖がある。

それは、秘密にしたいのではなくて「口に出したらそれが現実になってしまうのではないか」という気持ちと「もう一度改めて誰かに伝えることで、再経験したくない」という気持ちからである。

 

口に出すことで、また細かな点や相手の表情などをリアルに思い出さなければならないので、ストレスがかかるだろう、と黙っている。でもそれは体によくないと思うこともある。自分の中にしまい込むとなかなか消えず、ふとした瞬間に思い出すのだ。

 

誰かに相談したり愚痴を聞いてもらおうとしても、口に出すことで、何かが変わってしまう気がして。しばらくそのことについて話さないようにしよう、と思うと出すタイミングをのがしてしまう。でも、そうすることで、内心ではその出来事が心にしこりのように残り続けてしまうこともある。

 

今日は、いつもと違う私でいたい。
嫌だったな、辛かったなと思うことをそのまま正直にここに書いてみようと思う。

 

図書館へ行った。結論から言うと、司書にとても嫌な態度をとられた。
理由は全く分からない。二人の司書がいて、司書①は地元のお友達か、知り合いらしき客と話し込んでいた。楽しく談笑している様子なのでもう一人の司書②に話しかけた。

 

「すみません、この方のこういう本が読みたいのですが」

 

紙に書いた3冊のリストを見せる。司書②は特に表情は変えず、それでもあまり歓迎しないようなよっこらしょ、というかんじで「私が検索してもいいですけど、ご自身で検索できるパソコンがありますよ?」という。指をさす先に、小さなふるいパソコンがあったので「わかりました、自分で検索してみます」といい、検索した。

 

その著者は50冊以上はレシピを出している有名な方なので、たくさんヒットすると思ったが、この地域には1冊しかないらしい。横に「見当たらない本はリクエストしてください」との紙が貼られていたのでその方法を尋ねようとした。

 

先ほどの司書②はどこかへ行ってしまっていた。
なので、談笑している司書①に話しかけようと思った。ちょうど会話が途切れて、司書①が椅子に座り、本に向かい始めたとき(司書①は仕事中に自分の本を読んでいた?と思う)「すいません」と声をかけた。すると、先ほどまで談笑していた態度と打って変わって、顔が崩れ落ちそうなほど嫌そうな顔をした。

 

「なんですか」「本をリクエストしたいんです」「この紙に記入してください」「ありがとうございます」「リクエストしたからと言って、必ず読めるとは限らないですけど」「そうなんですか」「ご用意できるかどうかはこちらで決定しますので」「そうですか、とりあえず書いてみますね」「書いてもご用意できるかどうかは後日こちらで決定しますので」「連絡が来るという感じですか」「はい、電話しますけど」

 

マスクで顔はほとんど隠れていたけれど、きちんと伝わるだけの冷徹さと無礼さがあった。
私は、本を読める喜びとこの人から電話が来る億劫さを天秤にかけて、そのリクエスト用紙(書きかけていたので)をカバンの中にしまった。もう、その時点でとてもしんどかった。

 

なぜ、先ほどまで誰かと楽しそうに談笑していた人間が、一秒で態度をこのほど変えてしまうのか。私がこの村で新しい知らない人間だからか、それとも私のなにかが気に障ったか。談笑はしてくれなくていいけれど、せめてもうちょっと普通の話し方をしてほしい。どうしてそんな言い方をするのか。

 

司書にとって、図書館で客が本を見つけやすいように最大限手伝うことは業務の一部のはずだ。忙しいところ声をかけたのであれば申し訳ないが、客は私のほかに、その友達らしき女性以外、いない。私が図書館へ入った時は客はゼロだった。その司書①は自分の本らしきものを読んでいる。時間はたっぷりあるはずだ。

 

すべてが嫌になって、そのままでてしまった。最初に話しかけてた司書②が「ありがとうございまし・・・た・・・?」と不思議そうにこちらをみるので会釈をした。おそらく「え、リクエストは結局しないの?」と思ったんだと思う。司書①にいたっては何も言わずこちらも見なかった。

 

帰り道、夫と「私はどんな間違いをしてあんな態度をとられたのだろう」と何度も話した。夫と私が出した結論はやはり、あの人たちにとって新しい人間だから、というものだった。

 

きっと悪気があったのではなく、都会から来た人(新しい人はみんな都会から来た人と思いこむのが村の人たちの特徴だ)がルールを知らずに「必ず読みたい本が手にはいる」と思ってリクエストすると思い込んでいるのだろう。あるいはかつて、そういう人がいたかもしれない。リクエストが叶わなくてクレームを入れたような人が。

 

それで、念を入れて「手に入るかわからないよ」と言いたかったのかもしれない。バリアを張りたくて、自然と嫌そうな態度になったのかもしれない。そうじゃないかもしれないけれど、無理やりでもそう思うことにした。

 

「なぜこんなに嫌がられるんだろう」と感じるとき、その背景に何か理由があるのかもしれないと自分に納得させることがあるけれど、その納得の仕方がまた後から膿をつくりだすことがある。
最初に抱いた「なんで?」が解決しない限り、心に残り続ける膿が。

そしてその「なんで?」を解決するには、その本人に聞いてみるしかないのだ。そして、たいていの場合、理由なんてものは存在しない。

 

田舎に暮らすと(いろいろなので語弊がないといいけど)村であれちょっとした町であれ、こういうことはよくある。最初は人見知りと疑心があるのでとてもぶっきらぼうである。どうしてこの人はこんなに怒っているのか、と思っていると、しばらくたって突然距離を縮めてきたりする。例えば、住所を聞いてきたり、アポなしで私のいるところへきたり、家に招待されたりする。

 

だったらもっと最初からフレンドリーにすればいいのに。家に何て呼んだり手作りの食べ物をくれたりしなくていいから、最初から人を嫌にさせる態度をとるのはやめてほしい、なんて思ってしまう。

 

もしかしたら、あの司書①も、私と初対面だからあのような態度をとったのかもしれない(実は初対面ではなく村に越してきたばかりの時に3度ほど顔を合わせているけれど、もう忘れているのかなと思う)。そして通えば、あの友達らしき人のように仲良く談笑できるのかもしれない。

 

でも、私は談笑したくなかった。それよりも、本を借りたかった。本を借りて読みたいと思うことの、何がいけないのだろう。
もう図書館へは(二度と)行かずに、出費があっても本を買うことにした。そして、図書カードを見えないところにしまった。

 

こういった出会い方はとても残念だけど、そういうことも日々暮らしていると起きる。人と人。関わる以上はなにかがある。それはしょうがないことなのだなあ、と思いながら、


地元の人がそんなことをしていたら「新しい人」たちはこの土地に懐かないよ。いくら村おこしやら地域イベントをしても。


なんて意地悪なことを考えてしまう。私も、この土地を離れるいつかの時に想いを馳せた。夜は美味しいものをゆっくり食べようと、キャンドルを焚いてフォカッチャの続き。フムスソースに浸して食べた。夫と「次住むなら暖かいところがいいね」「もうちょっと都会に住んでも便利だな」なんていろいろ話していたら、だんだん満たされて楽になった。