その日も、私は締め切り間近の原稿に追われ、疲れ切っていた。
遅い時間に、いつもの居酒屋のカウンター席にたどり着き、
店主おすすめのぶりのなめろうをつまみに、ちびりちびりと日本酒を飲んでいた。
「あ~、おいしい!生き返るねぇ」
「だろう?ウチのなめろうはうまいんだから」
なめろうは、新鮮な魚をおろして、味噌やネギなどの香味野菜と一緒にたたいて作る料理だ。
その日の分をあらかじめ作っておく店もあるそうだが、
この店では新鮮な刺身用の魚を使い、注文が入ってから細かく刻んでなめろうにしている。
作りたてだから、余計においしいのである。
「うまいのは、なめろうだけじゃないけどね」
「お!さすがびんこ。わかってるね!」
「こんばんは~」
私が店主となめろうの話をしていた時、常連さんがひとりやってきた。
普段はスーツに身を包んだサラリーマンだが、
その日は週末とあって、ジーンズにセーターというカジュアルな格好である。
「お!いらっしゃい」店主が常連さんに声をかける。
常連さんは、日本酒とおつまみを1品注文すると、隣席の私に話しかけた。
「びんこさん、避難訓練とかします?」
「なんですか?急に?」
「いや~、そろそろ3.11が近いから。
鉄道会社によっては、震災があった時間に緊急の訓練するらしいですよ」
「ああ、なるほど。そういえば、私が使ってる鉄道会社でもやるって、お知らせ出てたわ」
「でしょう?ボク、あの日は会社にいたんですけど、ウチの会社はビルの10階だから、すごい揺れたんですよ」
「あ~、あの日ね…。店主は何してたの?」
「オレは、まだこの店を始める前だったからなぁ。前に勤めてた店に出勤する時間くらいだったと思うよ」
「あれ?この店、震災の後にできたんだっけ?」
「そうだよ~」
「なんだか、ずいぶん前からあるみたい」
「びんこは?何してたの?」
「え?私?今と全然違う仕事してた」
「あれ?お前こそ、昔っからライターじゃなかったのか?」
「違うんですよ、これが。私がライターになったのは、震災の後なの」
そうなのだ。私は震災当時、飲食店で働いていた。
震災後、あらゆることが自粛ムードとなり、外食業界は大打撃。
お客が激減した店から、私はヒマを出された。要するにクビになったのである。
その後、しばらくはハローワークなどにも通ったが、震災不況の中、仕事は見つからなかった。
「この先、どうやって食べていけばいいのか…」と悩んだ末に、仕方なくフリーランスになった。
そして今では、ライターになってよかったと思っている。
「最初は大変だったんだから~!人脈も資金もな~んにもなくて、本当に困ったんだよ!」
「でも、そういう技術は持ってたんだろ?」
「まぁ、一応ね。前の仕事で、原稿書いたりしてたから…」
「よかったじゃん。今の仕事してなかったら、ウチにも来てないだろ?」
「うん、まぁ、確かに」
「オレもさ、独立なんてしなきゃよかったかな、って思うことは時々あるけど、
独立してなかったら出会えなかったお客さんとか、たくさんいるもん」
「そうですよねぇ。こんなこと言ったら何なんですけど、
サラリーマンのボクだって、あれからちょっと考え方変わりましたよ」
「考え方?」
「ええ。普通に暮らせるって、大事なことなんだなって」
「あ~!わかる!そう思った人、結構多いんじゃない?」
「ですよね。でも、8年も経っちゃうと、忘れる人も多いんじゃないでしょうか。
特に、東京に住んでると、あの頃のことってなかなか思い出さないですよねぇ」
「そうだねぇ…。私は、自分があのことをきっかけに変わらざるを得なかったから、必然的に思い出すけどね」
「あれがきっかけで変わった人、たくさんいるでしょうね」
「いるよねぇ、きっと」
私が自分で思うに、一番変わったのは
「人に感謝できるようになったこと」だと思う。
それまでの私は、まるでひとりで苦労を背負い込んでいるような感じだった。
「なんで私だけ…」なんて思っていた割には、
たいした苦労ではなかったし、ひとりで生きていたわけでもなかった。
震災後の方が、はるかに大変だった。電車代にも困るくらいだった。
それでも、人に頭を下げて、仕事をもらった。必死だった。
どんなに小さな仕事でも、ありがたいと思った。
「あれがあったから、今があるのよねぇ…」
「そうそう。仕事が忙しすぎるなんて、ぜいたくな悩みだろ?」
「確かに!」
ゼロどころか、マイナスから始まったライターという仕事。
この8年、前だけを見て走り続けてきた。
いつの間にか、たくさんの人とつながりができた。
いろんなことはあるけれど、これからも前を向いて進もう。
なんとかなる。生きてさえいれば。