その日も、原稿を書き終えると、午後11時を回っていた。
いつものワインバルで、かなり遅い夕食に選んだのは「秋鮭と小松菜のキッシュ」。
白ワインを飲みながら待っていると、ほどなくしてアツアツのキッシュがやってきた。
「はい、お待たせしました」
「わ~い!今日のキッシュもおいしそう!」
フランスの家庭料理がメインのこの店で定番メニューのキッシュは、
パイやタルト生地の器に卵や生クリームを混ぜて流し込み、オーブンで焼き上げたもの。
この店では、季節によって具材が変わるから、飽きることがない。
こんがりと焼き目の付いた表面にフォークを刺すと、サーモンピンクの鮭が顔をのぞかせた。
「こんばんは~」
メガネをかけたサラリーマンの常連さんが、自動ドアを開けて入ってきた。
「あれ?今夜は遅いですね」店長が声をかける。
「いや~、今日は大残業で、こんな時間になっちゃいました」
「お疲れさまです」
普段、私がこの店に来る頃には、この常連さんはすでにほろ酔いになっていることが多いのだが、
今日は珍しく、私の方が先になった。
こんな時間でも残業帰りだから、先方もお腹が空いているらしい。私が食べている小皿をのぞきこんだ。
「お、キッシュですか。中身は何ですか?」
「秋鮭と小松菜です」
「キッシュに鮭って、合うんですね」
「そうですねぇ。鮭っていうと、おにぎりの具のイメージですもんね」
「ああ、確かに」
「あ、そういえば私、今日のお昼は鮭おにぎりだったわ~」
それからこの常連さんと私は、ワインを飲みながら、おにぎりの具について話した。
「おにぎりの具って、何が好きですか?」
「ん~、定番の梅やおかかも捨てがたいですが…。
とっても好きなのは、たらこ、明太子、いくら。魚卵に目がないんです」
「お~。魚卵ですか。おいしいですよね。ボクは、佃煮系が好きなんです」
「おにぎりの具の佃煮っていうと、こんぶとか?」
「そうですね。こんぶとかきゃらぶきとか。味がしっかり濃い目の」
「あ~、それもいいですねぇ。ご飯のおともですよね」
ちょっと都会っぽい雰囲気のある常連さんが佃煮好きというのが、少し意外な気がした。
案外、家庭的な味の方が好きなのかもしれない。
そういえば、この店のメニューは家庭料理は家庭料理でも、フランスの家庭料理。
鮭も、おにぎりやお茶漬けではなく、キッシュと一緒になって、ワインに合う料理に変身する。
「じゃ、今度は佃煮とか煮物とかがあるお店に行きましょうよ」
「お、いいですね。ボク、日本酒も好きなんです」
ところ変われば料理も変わるし、酒も変わる。
いつの間にか、キッシュのサケの話から、
おにぎりの具のサケになり、日本のサケの話になっていた。