皆様こんにちはんこうき
前回の記事に沢山の禿げ増しのコメントありがとうございました。
なんだかんだ愚痴っても、結局自分の不注意ですので、酔ったら
タクシー!を今後徹底しようと思います。
ちなみに!月一ペースで転ぶと書きましたが、こういう怪我を
するのは年1回くらいです。昨年は擦り傷だけでした。なので
ご心配なく(^-^)/
今回はお久し振りシリーズで歴史を参りましょう。
敦盛と言えば、織田信長さんが大好きな詠で、桶狭間の戦いの時も
敦盛を詠い舞って出陣しました。
この敦盛の詠の内容がかなり誤解されているようです。youtubeを
散策してたらとんでも解釈の敦盛の説明を聞いてビックリ!その内容
におかしいとコメントしている人の少ない事に又ビックリ!!
微力ながら、ここでも誤解を解きたいと思います。
敦盛の歌詞(織田信長さんが好んだ一節)
人間50年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
間違った解釈
※人の寿命は50年くらい。悪い事も良い事も夢幻のような儚いもの。
正しい解釈
人の世の50年は下天の一日にしかあたらない。夢か幻のようなものだ。
比べると分かりますが、間違った解釈は世を儚んでいますが、正しい
解釈では、50年なんてあっという間だよ、って言ってるだけです。
大体あのポジティブ大魔王織田信長さんが、ネガティヴな歌詞を
好む訳ないでしょう!おそらく 50年なんてあっという間だから
やるだけやろうぜぇ イエーイ 的なノリで使ってた気がします。
ちなみに下天とは、仏教の教義にある、天の階層の一番下の階を
指します。下天の一日は人間界の50年に相当すると記されている
ので、敦盛はその事を謳っているのです。
では何故、間違った解釈が横行したのでしょうか?
私が思うに、昭和の間はこの間違った解釈が正しいとされてきた
と考えられます。
何故なら、敦盛の詠自体がこの世を儚む内容であるため、詠の
本位を考えればネガティヴな解釈が当然とされたのです。
しかし、織田信長さんが 敦盛のこの部分だけが好きなんだ 、
と切り取って使用している為、敦盛本来の内容には関わらない
この部分の正確な解釈が正しいと変化したと思うのです。
又、戦国時代当時の平均寿命が大体50年前後だったので、
この事実を加えておかしな解釈になったとも言えます。
この当時、日本人の平均寿命を知ってた、或いはそう
言う統計学を学んでいた方が一人でもいたんでしょうか?
平均寿命の考え方なんて影も形もない時代だと思いますよw
参考
敦盛とは、源平合戦一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた16歳の平敦盛の事。自分の息子と同じ年の少年を逡巡しながら討ち取った熊谷直実は、その態度を二心ありと味方から疑われ、さしたる恩賞も受けられなかった。次の戦で同様な事が起こったら嫌だと無情を感じた熊谷直実は、武士を捨て仏門に入る。この故事を幸若舞の一部に組み入れて演目となったのが敦盛です。
戦国時代の平均寿命
確かに50年前後なんですが、当時はとにかく乳幼児が育たなかった。でも、七歳過ぎるとすくすく成長したのです。つまり育たない乳幼児が平均寿命を下げていたのです。なので 現代の計算方式で平均寿命五十歳と言われても、当時の人々はピンとこないと思いますよw
今回はメッチャ長い上に真面目ですいません。反省して次回から
メタメタグデグデで参ります(^-^)/
ではでは