昨日に引き続き福島次郎氏ついて編集長から思いつくことからぼちぼち回想してもらううちに、また貴重な会話録に遭遇しました。
編集長が日本を離れ、ニューヨークの日系出版社に勤めていた時、三島由紀夫の伝記映画「Mishima:A. life in four chapters」の試写会に参加したそうです。
この映画は「タクシー・ドライバー」の脚本を書いたポール・シュナイダーが自らメガホンを取ったものです。しかし、三島遺族の反対により公開禁止となることが既に分かっていたため、その日限り一部プレス関係者の間で上映されました。
編集長「そのことを福島先生に何気なくはなしたら、すごーくしつこく細かく聞かれて、うろ覚えで困りマシタ。ゴージャスな金色の金閣寺と卑屈な男しか覚えてマセン、と答えたらがっかりしてマシタ。当時は三島と福島先生が恋愛関係にあったことなど全く知らなかったので…」
↑で~た~よ~、
マスコミの人間の言葉とは思えんスゴい要約

編集長「でもわたしにはいろんな意味で縁があった出来事だと思いマス」
この時もいつものように電話アポもなしに福島先生のご自宅にふらりと立ち寄ったそうです。
編集長「だってそーゆー時代だったんデス」
カンヌで大絶賛されたこの映画は、製作前から製作妨害や上映禁止が噂されたため、出演依頼を断った俳優もかなりいたようです。
当初三島役に抜擢された高倉健は一旦は引き受けつつ、後日断ったといいます。結局緒方拳が三島役に挑みました。
一方で、三島へ敬意が止まない高倉健は、自らの手でいつか三島由紀夫を映画化したいという理想があり、生前何度も製作のためにロスに渡っていたそうです。
また、wikiには「
三島役として坂本龍一にもオファーがあった。坂本は断った理由について「『戦場のメリークリスマス』の後に三島役を演じたら、海外から『サカモトは右翼だ』と思われそうだ」と、冗談めかした口調で語った」とあります。
うーん、実際の理由はどうだったのでしょう。北野武が戦メリ撮影時のことを回想した際に「俺ぁちゃんとやってんのに、教授が全然セリフ覚えない。こいつ、台本は暗記するものだって知らなかったんだよ!で、教授が間違える度に大島渚監督がさ、くぉらあ、お前がちゃんとしないから坂本間違えんだよ、って俺ばっか怒られてさ、教授ホント演技できねーんだよ(笑)」と苦笑いしてましたから、さすがに大根で主演は重荷すぎたのでしょうか。
1985年ですと、三島由紀夫を世に送り出した編集者として名高い、教授のお父様•坂本一亀氏もご存命なわけです。教授がYMOで一斉風靡した時代でも「音楽家ならもっとまともな音楽活動しろ」と常に教授を叱ってばかりいたためよく喧嘩していたといいます。
しかし、90年代に癒しインストロメンタルとしてミリオンセラーになった「BTTB」を出した際に「ガンで病床の父の為に譜を書いた。はじめて美雨(娘)以外の誰かの為に作曲した」とおっしゃってますから、並ならぬ父親への敬意を抱いていたのは否めません。そのお父上に当時「お前は役者じゃないだろ」と反対されたから辞退したのでは?などと美ナ子は憶測してもいます。
いずれにしてもお顔立ち的には高倉健や坂本龍一が三島を演じてた方がしっくりきたことでしょう。
2006年以降、「Mishima」のDVD海外版が日本で出回っていますが、未だに国内では公開禁止作品ですから、これまで一部マニアを除き日本人の目に触れることはほぼありませんでした。また、この頃からヨーロッパで再上映されはじめ、今やネット上で視聴可能となっています。(今日の時点では) 生前の福島次郎はこれを見たのでしょうか。
映画の構成の美しさもさることながら、高校生役の坂東三津五郎(当時29歳)の演技も圧巻でしたよ

(敬称略)
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