大阪で、大人の女性へ
色彩学教室【Color room yururi】主宰
 
決して表には出ないけど、ずっと影で見守って
下さっている方がいる
心で応援して下さっている人がいる
決して人は、一人ではない
そんなことを実感できました




ビタミンカラーで癒されてます。



今日は少し重い話しを書きます。

まさか55歳でこんな体験をするとは

思わなかったので、自分が今回の事で

思った事を書いておきます。











ざっくりと、集中治療室での出来事を
上記に載せてみました。


集中治療室→一般病棟→退院


これが流れですが、55歳にして死を覚悟するとは
思いもしませんでした。
なので、退院後は、夫に、これからの生き方、
逝き方を話しました。


何故かと言うと、ほとんどの治療の決定権が、
家族である夫だったからです。
本人の私には、1番最初の足や、首から
カテーテルを入れて治療するかどうか?を
尋ねられただけで、その承諾は全て電話で
夫にいってました。


どういう治療をして、リスクがどれだけあり
その後がどうなるのか等
その説明が医師からあり、夫がその説明を
聞いて、お願いしますと、承諾していたよう
です。


なので、夜中であろうが、朝方であろうが
私が急変する度に夫の電話に病院からあり、
その説明後、夫が決断するという流れだった
ようです。


私には、一切聞こえてこなかった言葉
『奥さんの心臓がどうなるかは、分かりません。
覚悟はしておいて下さい。』
とか

『人口呼吸器、カテーテル、鼻から栄養を送って
います。全て大事な治療なので、1本でも管が
外れると危険なので、奥さんが動かないように
縛ります。』


『この全ての管が取れるのかどうかの保証も
ありません。でも、心臓を動かすには、この
治療しかありません。』


『人口呼吸器を取ります。でも、自力で
呼吸出来ない場合は、再度戻します。』
等、夫に医師から、治療の説明、承諾が
度々あったそうです。


なので、夫は、心労で、たった10日間で
3キロも痩せてしまいました。


一方、私はそんな生死をいつまでも彷徨って
いる状態とも知らず、
先生や看護士さんに、
『いつ、この管取れる?』
『いつ、楽になる?』
『いつ、元に戻る?』


この言葉を色んな方に聞いていました。


でも、規則でこたえてはくれませんでした。


まだまだ油断出来ない状態で、
元に戻るのか?
管も取れるのか?さえもまだまだ分からない
状態だったからです。


誰もこたえてくれない…





私は、この集中治療室で
24時間、もはや自分で臓器を動かす事も
出来ず、沢山の管をつながれて、心臓が
動いている状態。


見える景色は、大きな時計だけ


外が雨なのから、晴れなのかも分からない


手も縛られているので、身体ももはや
自由ではない


看護士さんが、
『眠れないならお薬使いましょうか?』って

言って下さいましたが、私は断りました。

唯一出来る事は、自然のまま目覚めたり、
寝たりしたかった。
夜中は長かった。
真っ暗な暗闇でたった一人。
動けない身体と時間を過ごした。


そんな時、思った。
この状態が長く続くなら、いや、一生続くなら
私は、生きたいではなく、逝きたいを
選択する


器具でつながって、心臓だけが動いている私は、
私ではない
生きていると感じられない
 

でも、今回は生きると決めた!
だからどうにかこの器具を取りたい!
全て取ってやる!
もう、精神的に限界がきてました。
意識ははっきりしているのに、身体だけが
自分ではない状態。





それから、誰も治ると言ってくれない
この管たちを、毎日1本取る!を目標に
生きました!


そしたら、本当に取れたんです!



夫には、これで自発呼吸出来なかったら、

元に戻すと医師から連絡があってたみたい



私は、そんな事知らず、これもいらん!

早くスッキリしたい!

と強く思ってたら、次の日取れました。



鼻から直接胃にチューブが入っていて

太い注射器に黄色い液体の栄養剤が

入っていて、



『今から入れますよ!』って看護士さんが。



もう、臭いと胃に液体が入った瞬間、

嘔吐して




私は口から食べたい!

そう思い

無茶な事を言いました。



『もう、この鼻取ってほしい。

自分で食べたい。』



そして、先生の一時的な許可がおりて、

専門の先生のテストが受かったらという事で

私は、見事にクリアして、鼻からのチューブも

取れました。



この体験から、今後、もしもの時があったら 

私は、こうしたいという事を

夫に伝えておきました。



生き方、逝き方

それぞれあると思います。

でも、私は長生きしたいのではなく、

自然に生きて、逝きたいのです。



だから、今のうちにね、夫に伝えておきました。



夫は、ただ、『分かった。』と

言いました。



こんな話しはもっともっと

後かなーと思っていたけれど、

生き方、逝き方は、自分にあると思うので、

その決断をしないといけない夫に早めに

伝えておきました。



こんな事がなくてもね、

自分の生き方、逝き方、考え方をね、

家族で話しておくのもいいんじゃないかなーと

思ってます。

何故なら、家族でもそれぞれ考え方や

意見が違うから。



自分の生き方ってあると思うんですよね

私は、ちゃんと自然を身体で感じて生きて

いきたいと思っているんです。



今日は、重い話しを書いてしまいました。

重い写真も載せてしまいました。



なので、お詫び




今日、我が家のベランダで見た夕日

風邪の冷たさ、燃える夕日をちゃんと目で

焼き付ける

そんな生き方がしたいんです。


だから、これからも、1日1日を大切に
生きます。


最後まで読んで下さりありがどうございました。

ゆるり  澤田 昌枝