瓦をのせた冠木門に「古見堂(こけんどう)」の額は、相国寺管長の筆によるもの。

ここはどこ?

京都のような佇まいをしていますが、実は大阪市内です。

 

こんな所があるなんて最近まで知らず、4月のよいお天気の日に行ってきました。

 

 

大阪メトロ四つ橋線 住之江公園駅から徒歩10分くらいのところにある、加賀屋新田会所(← Wikipediaに載ってました)です。

  

 

加賀屋新田会所

 

江戸時代、人口増加にともない農地(新田)開発が盛んに行われた。淀川や大和川の河口部を開拓する新田開発を、財力のある商人たちが請け負った。

豪商たちは開発した新田の経営拠点として新田会所を設けた。商家の別宅として、文人墨客が集まるサロンでもあり、庭園や茶室が造られた。リーフレットより抜粋

 

 

ここは大坂淡路町(現大阪市中央区)の両替商加賀屋に奉公にでて独立した、加賀屋甚兵衛(1680年生まれ)が新田開発した地域で、地名にその名を残しています。

 

加賀屋新田会所跡として大阪市指定史跡に、旧加賀屋新田会所 建物3棟(鳳鳴亭、書院、居宅))は、大阪市指定有形文化財になっています。

 

 

ちなみに大阪には他に

◆ 鴻池新田会所 (現在休館中・東大阪市)

 

◆ 安中新田会所跡旧植田家住宅(八尾市)

の2ヵ所が新田開発の史跡として公開されています。

 

 

唯一大阪市内に残る加賀屋新田会所跡は、10年以上かけて調査・復元・整備され、現在は加賀屋緑地として、なんと無料で公開されています!

 

 

説明が多くなってきたので、写真を貼っていきます。

 

 

 

敷地面積4822㎡(約1500坪…といわれてもピンときません)、無料でいいの?と思うほど立派なお庭と建物をゆっくりみてきました。

 

長屋門 再建

 

 

 

冠木門をすすむと、まるで寺院のような書院の玄関がみえてきます。

 

 

旧書院

 

宝暦4年(1754)の建築当時のままと伝えられる落ち着いた空間です。

 

山水の襖絵は雪舟四代目、雲谷等益の作

 

襖の一部を並べてみました

 

最近、雪舟の水墨画を模写した「紙本墨画淡彩四季山水図」(山口県毛利博物館)が、重要文化財に指定されました。雪舟四代目と名乗り、雪舟の影響を大きく受けた絵師のようです。

 

雪舟等楊像 雲谷等益

常栄寺(山口市)に所蔵されている雪舟自画像の模写 

 

扁額の「愉園」は、大阪朝日新聞記者でもあった作家の西村天囚が命名し、羅振玉が揮毫したもの。西村天囚は、朝日新聞の『天声人語』の名付け親で、江戸時代の大坂の学問所であった「懐徳堂」の復興に尽力しました。

 

 

ここまででも、いろいろな人名が出てきて豪商の広い人脈がうかがえます。

 

 

よく手入れされたお庭をみながら、渡り廊下を移動します。

 

 

 

 

頭上の透かし彫り、模様がそれぞれ違っておしゃれ

 

 

茶室の「鳳鳴亭(ほうめいてい)」へ向かいます。

 

 

 

 

 

コーナー窓というのでしょうか?

柱を設けず、庭を眺める視界をさえぎらないよう工夫されてます。

その分、開放感あります!

 

 

 

茶室 鳳鳴亭

 

茶室・広間・水屋を備えた数寄屋造り風。

大徳寺418代貫主、松月宙寶自筆による「鳳鳴亭」の額が掲げられています。

うまく写真に収められず何枚もとっていますが、竹を編み込んだ天井や縁側(廊下というのか?)部分の天井、弧を描く格子窓など凝った作りです。

 

 

 

外から見ると、清水寺のような舞台造りになっていました。細い木材で組まれてるから、そっと歩かないといけませんね。文化12年(1815)以前の創建と考えられています。

 

 

それにしても、見学者は一組しか会いませんでした。

知られていないから?

もったいないので宣伝します!

 

 

お庭に出てひとまわりしましたが、長くなってきたので次回に続きます。

 

ラバーダックちゃんもヒヨコ