ずっと大阪に住んでいますが、行ったことがない場所がたくさんあります。

国宝に会いに行こう!

シリーズになるのかな?

 

前回 河内長野・金剛寺↓

 

 

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西国第五番札所

紫雲山 葛井寺(ふじいでら)

 

河内飛鳥時代に百済からの渡来者によって繁栄したこの付近に王仁一族の辰孫王(しんそんおう)が葛井連として改姓し、氏寺として創建した。

当時は約2㎞四方の境内に東西両塔がそなわり七堂伽藍を有していた。

 

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大阪・藤井寺市にある葛井寺に、毎月18日にご開扉される千手観音が奉られています。あいにくの雨でしたがお詣りできる時に、と出かけました。

近鉄電車、阿部野橋駅から15分、藤井寺駅から徒歩5分で到着。

 

ふたつの漢字がややこしいですが、藤井寺は地名。お寺は葛井寺(なぜ「葛」を「ふじ」と読むのかは不明)というそうです。

*千手観音画像はネットよりお借りしました

*紫色文字はリーフレット・案内板より引用

 

 

境内では、阿弥陀堂が解体再建工事中でした。

 

 

旗掛けの松

 

南北朝時代、楠木正行らに縁のある三鈷の松。

戦乱や地震などにより幾度も荒廃と再興が繰りかえされました。

 

 

紫雲石燈籠(明治時代に写されたもの)

 

聖武天皇奉納の石燈籠。

西国巡礼中の花山法皇が本尊を拝すると、眉間の白毫が光輝き、石燈籠から紫雲がたなびいたとされ、そこから「紫雲山」と山号がつけられた。

 

花山天皇って、今月はじまったNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場していますね。

まだ東宮で強烈なキャラで登場しましたが、19歳で出家し、途絶えていた西国三十三カ所観音巡礼を再興したそうです。ドラマでその辺りも描かれるのでしょうか?

 

詠まれた歌が、葛井寺の御詠歌となっています。

 

参るより 頼みをかくる 葛井寺

花のうてなに 紫の雲

 

 

本堂は江戸中期に再建

 

法要が終わった後でしたが参拝者が次々とやって来て、人々の信仰の厚さを感じました。
 
本堂中央、大きな厨子の中のご本尊を拝しました。
 
 

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国宝 

本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像

 

神亀二年(725)聖武天皇の勅願により春日仏師の稽分会・稽首勲(けもんえ・けしゅくん)親子が制作し、行基が開眼したと伝わる。

一般的に千手観音は42臂(手)で表わされる。小手が1001本、持物をもつ大手が42本と実際に千臂を表わすのは極めて貴重である。

 

 

厨子は正面扉のみが開かれていました。

写真のように千手や持物をすべて目にすることはできませんでしたが、端正なお顔立ちと細身のお姿は静穏で、厳粛な空間を体感しました。

広がった千手は光背のようにも思え、指先だけを合わせた合掌は、今まさに手を合わせようとされているかのようでした。

掌には目が描かれ千の眼、千の手であらゆる悩みを救いとる蓮華王。

 

奈良時代初期の脱活乾漆造。

永正7年(1510)大地震により本堂が倒壊しても、無事に守られ1300年前の姿をとどめているなんて奇跡だと思いました。

 

 

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参拝後、境内のカフェで葛餅をいただきました。

しっかりとした弾力、低カロリーであっさりと。

 

 

ディクリディタ・サマデ・キリク

「お茶を交わして千手観音さまと余暇を楽しむ」の意味だそうです。

 

ゆっくり楽しませていただきました。

月に一度、ヨガの開催もあるそうです。

 

 

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西国三十三カ所お砂踏みができる場所もありました。

簡素なものではなく一ヵ所毎に大きな石碑が建てられた本格的なものでした。

心してお参りしないといけない気がして、今回は見送りました。

 

公式サイトより

 

護摩堂では護摩祈祷の読経が続いていました。

 

 

護摩堂前には大きな藤棚。

春には紫と白色の藤が揺れてきれいでしょうね。

 

 

こちらより

 

長い歴史をもつ藤井寺には、神社や古墳など史跡があります。

藤の時期に再訪したいなぁ。