鹿児島2日目は、朝からよく晴れました
天文館の、名前の由来を確認しました。
天文館跡 島津家25代重豪(しげひで)が、明時館という天文台を設置し薩摩暦を作成した。明時館は天文館ともよばれ、これに由来し名付けられた。
近くに、わざとらしいポーズ(笑)の重豪と家臣と思われる像がありました。斉彬の3代前から、藩校や医学館を創設し、新しいものをとり入れる精神があったのですね。
商店街に突然いて違和感ありますが、あちこちに像や碑が立っているので、地元の人は気にならないのかも。
どこ見てますか?
地面にも島津家の「丸に十字」がありました。
踏んでもいいのよね?
梅雨の期間に配布される「島津飴」は、茶色いけど、みかん味でした。
こんなマンホールデザインもありました!
シンプルで、彫りがきれいな文様。
あれですね!
◇
前日、演奏会があった宝山ホールの隣に、風格ある鹿児島市公民館がありました。
1927年竣工で、今も現役です。
公民館前の広場から左側に目をやると、
西郷隆盛像と犬がいました!
城山を背に立つ西郷さんと、道路を隔てた所にわんこ。
せっかくなので、一緒に写ってもらいましよう。
妹のとこの柴犬に似てて、和みました
こんなとこまで来たん?
宝山ホール前には、小松帯刀
逆光でお顔が見えず、ごめんなさい。
瑛太さんが演じた『篤姫』で、初めて知りました。
市内のほんと、あちこちに銅像があるんです。
九州新幹線が終着する鹿児島中央駅は、車窓から見ただけですが、イオンの前に大きな銅像がありました。
お借りしたアップ画像を見ると
何人いはるんでしょう?
たぶん裏側にもいて、総勢19名。
若き薩摩の群像
鎖国中の1865年、薩摩藩の命により、英国へ密かに留学した19名の若者たち。
その中には、先週の朝ドラ『らんまん』に登場した、初代文部大臣となる森有礼がいました。そういえば、薩摩ことばだったなぁ。
そして、五代友厚も留学生のひとりでした。
別の場所に、個人像が建っています。
車窓からも見えましたが、わざわざ写真を撮りに行きました。
五代さんには、よくお会いするので、薩摩藩士の中で最も親しみを感じます。
大阪にある像より、年齢を重ねておられる気がしました。
◇
歩きはじめに、おいしい珈琲が飲みたくて、朝からケーキをいただきました。
モーニングセットがなかったのです
理由になってない?
シックにガトーショコラとホットにしました。
アーケード街から横に入った通りの喫茶店。
お祭りの日なのに外とは別世界で、静かな時間が流れていました。
ライムライト
◇
ソイヤ、ソイヤ!
しかし、暑すぎてもう外に立っていられず、近くの百貨店にはいりました。
前日に撮影しました
山形屋(やまかたや)
江戸時代に創業された、老舗百貨店。
大正初期に建築された建物です。
心斎橋の大丸を彷彿させます。
付近には、三越や大規模店舗がありましたが、鹿児島中央駅の開発で閉店が相次ぎ、今では山形屋が残るのみだそうです。
百貨店といえば、大食堂。(昭和の感覚)
前日もらった南日本新聞のフリーペーパーに、こんな記事が載っていました。
鹿児島よかもん紀行
県民が愛する ”いつもの味”
ー山形屋の焼きそばー
80年前から営業している、山形屋食堂(現ベルク)で、65年前から受け継いでいるレシピの焼きそば。
この記事を見て、食べたくなりました。
欲張って、黒豚炒飯も注文しました。
ともにミニサイズですよ。
これで税込み1000円!
お財布にやさしいです。
わたしは皿うどんと呼びますが、こちらでは焼きそばなんですね。
ぱりぱり麺ととろっとしたあんが、よくからまりおいしかったです。
テーブルに置いてあった三杯酢をかけると、さっぱりいただけました。
炒飯は思ったよりあっさり味。
まわりを見ると、半数以上の人が焼きそばを食べていました。
大げさじゃなくて!
普通サイズは大盛で、食べ応えがありそうでした。
ここでもメニューにかき氷、しろくまがありました。
家族連れやひとりの人、地元の人の馴染みの食堂、という感じでした。
テーブルが多く、回転もはやいです。
フリーペーパーを見てなかったら、知らない情報でした。
桜島編につづきます
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