本書は毎日新聞の連載記事を加筆編集したものだそう。
1)「本因坊400年手談見聞録」(2011年7月~2012年9月毎週)全62編
2)「本因坊70年の旅」(2015年4月~2016年3月毎月)から4編(近年情報)のみセレクト
3)「本因坊400年への道」(2016年4月~)から2編(近年情報)のみセレクト
※手談=盤上の無言の対話
本山寂光寺(じゃっこうじ)様。
住所は京都府京都市左京区仁王門通東大路西入北門前町469。
宗派は:鎌倉時代の「日蓮宗」、日蓮さんを宗祖、
南北朝時代の日什(にちじゅう)さんを派祖とする顕本(けんぽん)法華宗。
寺の元は日淵上人が1578年建立の「久遠院」(室町近衛町)。
1590年に1.4㎞徒歩19分の距離の寺町竹屋町に寂光寺移転。
敷地内に七つの塔頭(たっちゅう)があり、
その一坊が日海さん32歳の住む「本因坊」だったそう。
ちなみに「本因」とは成仏の根本となる「本因本果」の法のことで
「坊」は僧侶の住居、
要するに『本因』銘の小屋住まいだったニュアンスということにしよう。
二代目住職算砂さん(1559~1623年)の没後の
第5代将軍徳川綱吉さん&七代目住職時代の宝永の大火(1708年)で焼失し、
その年に徒歩1.3㎞18分くらいの距離を現在の地まで移転したっぽい。
副住職大川孝瑛(こうえい)さんは三十三代大川定信(じょうしん)住職の
息子さんとかなのかなあ?
不審者、防犯対策で施錠してると書いてる(笑)
日海上人(にちかいしょうにん)と読むらしい。
風呂敷で包んで持ち運べる仕様の碁盤は唐桑材の近衛家からの
贈り物。
中が空洞になっており、下部に碁笥を収納できるらしい。
とすると、写真では分からないけど、卓上盤の下に
空洞部位が接合された形態なのかな??
白っぽい目盛りの消えかけた部分に彫り跡は無いし
象嵌ではなく描いてますね。
瀬戸物製の碁笥と碁石は朝鮮からの贈呈品。
直筆の巻物(1617年58歳時)には囲碁の心得11首(囲棊之狂哥)、
将棋の心得(將棊之狂哥)が書かれている。
↑
どこにもちゃんと『囲棊之狂哥』、『將棊之狂哥』と
記載してくれてないなあ。
囲棊之狂哥
算砂法印。
の方はパス。
資料小展示「囲碁・将棋の狂歌」。後期は「将棋の狂歌」です。初代囲碁名人、本因坊算砂は将棋の名手でもあり、「将棋の狂歌」も著しました。全11か条からなり、多くの歌が「囲碁の狂歌」と対になっています。読み下し文等の解説シートを展示終了後に当館webサイトにアップします。#算砂 #囲碁 #将棋 pic.twitter.com/badoRUVEfV
— 山口県文書館 (@YMGC_Pref_Arch) February 16, 2022
將棊之狂哥
1)駒立は相手によりてさしかへよ?
さて惣(そう)つもり時(じ)の見合せ
「全体的に形勢が良く、勝つつもりでいる時」は見合わせよらしい。
2) 作り物(創作詰将棋)ありと…心の外の手を…
3)我前を…
4) 身乃上のまけなるを… 人の善悪いふ…おかしき
5)藝能ハ身なり…大事也。
6)かりそめに下手とさす共…
7)上手とてあまりの ける…
又おそれぬもあしきなりけり
8)たしなミは影に…面白き手…
9)番数を勝…
10) 文武…堪忍するハ…道之道なり
11) 古今にもありかたかりし御代なれハ
家職…べき也
↑
ゲームのコツではなく、対局するにあたっての心構えだな。
(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)
●文献、資料も無いが囲碁の起源は4000年前の中国の
伝説の「堯帝」が作ったとされる。
インド説、チベット説もあり、
不明としか言いようが無い。
●最古の史料は中国の殷代のもの。
●「論語」、「孟子」にも酒囲碁が登場するらしい。
「論語」は孔子さん没(紀元前479年)後に後世の人間が、奴はあんなこと、
こんなことを言っていたと、言いたい放題の事を書き記したものと
びりたんは思ってる。
で、あれこれいい加減な解釈の注釈がつけられ、ワケガワカラン
ことになってる気がする。
【原文】「子曰、 飽食終日、 無所用心、難矣哉。
不有博奕者乎。
爲之猶賢乎已。」
↑
「子曰く、終日飽食で、ダラダラ心を用いる所無くては
ダメ人間じゃね?
博奕(ばくえき=賭博)なるものあるじゃね。
之を爲すはまだ賢(かしこ)す」
当時のギャンブルは双六と囲碁だったのかなあ?
三国時代の曹操さん(155~220年65歳)、関羽さん(160~220年60歳)も
囲碁やってたらしい。
日本への囲碁伝来時期は卑弥呼さんの時代とか
倭の五王の時代とか推測の域を出ないと。
飛鳥時代に書かれた随書「魏国伝」に日本人が描かれてると。
奴らは正月元旦は射的やって酒飲んでる。
その他こまけーこたあ、華(中国)と同じだが
奴らは棊博(囲碁)とか双六とかサイコロゲームが
好きだべ、と。
万葉集、古事記にも碁は登場し、正倉院宝物にも碁盤がある。
平安時代には鳥獣戯画、源氏物語、枕草子に登場し、鎌倉時代は
太平記に登場する。
室町時代には皇族の伏見宮貞成親王の日記である『看聞御記(かんもんぎょき)』
で懸物をした碁会の様子が描かれていると。
徒然草にも碁ほ登場するようだ。
2004年4月29日の15時頃に京都龍源寺の住職が
展示ケースを壊され、蒔絵碁盤と桐紋(豊臣家)の碁笥、
葵紋(徳川家)の碁笥、碁石を盗まれたと通報された模様。
秀吉さんと家康さんが対局されたとされる棋具である。
結局、翌年に犯人が捕まり、一式は無事に戻って来たそう。
15代将軍の徳川慶喜さんはプロとの五子指導碁の棋譜が残っており、
アマ三段はあるっぽい。








