貴堂資彦さん:日本棋院埼玉県支部連合会長。

現在は90歳くらいでしょうか?

1945年、終戦の年の8月の夏休み(小学4年)に

小学1年の弟と五目並べで遊んでいたら

父が覗き込んで来て囲碁の方が面白いと教えてもらった。

戦後の混乱期にも関わらず、世話好きの父は自宅に碁好きを集めた。

碁席の無い時代なので夜になると近隣以外からも集まった。

埼玉新聞囲碁担当記者まで訪れ、対局は深夜まで続いた。

坂田栄男先生も毎月見えるようになり、研究&研鑚の場にもなった。

手狭になり道場も開設されたが1950年頃に焼失してしまい

現存はしていない。

1976(昭和51)年より日本棋院主催の「県民囲碁まつり」を

主宰してきた。

200通の案内を一人で手書きしていた。

住所を青焼きコピーする技術が生まれると今度は

住所シールの糊付けが大変になった。

碁盤常備の会場が無かったので碁盤搬入に苦労した。

対局時計は大会参加者の寄付で購入した。

 

碁盤師・吉田寅義さん

敗戦からようやく立ち直り、生活にゆとりが出来て

趣味の時間が持てるようになると愛好者たちは

盤を持ち寄り、順番を取り合うように楽しんでいた。

仕事柄そんな光景をよく見掛けた。

修理を急かされ、引き取りに訪問すると

対象の盤は使用中で、終局まで延々と付き合うこともあった。

今では懐かしい思い出だ。

個人を訪ねその場で仕上げた。

近場の県内は助かったが、10日、20日と長旅していた時期が

10年間ほどある。

古い盤を新盤のように仕上げて喜んでもらえると

苦労も忘れ仕事冥利に尽きる。

県内に碁会所が少なかった頃、浦和の森崎道場は

繁盛していた。

常に明るい盤で打てるように定期的に数面ずつ目盛り直しをしていた。

盤は早くから卓上盤タイプだった。