古い順に掲載するつもりが、ごっちゃになっちゃった。

1「駒歴」(12書体)1993/4~1994/3

2「駒の詩」(タイトル戦宿所蔵名駒)1994/4~1995/3

3「駒今昔物語」(名工駒師10名)1995/4~1996/3

4「駒景色」(雑多な話題?)1996/4~1997/3

5「駒の万華鏡」(各駒の色々な書体ごとの筆跡比較)1997/4~1998/3

6「駒作り百景」(駒の製造工程解説他)1998/4~1999/3

7「覇者の駒」(NHK杯優勝者の所蔵駒)1999/4~2000/3

の順に掲載したかった。


1.神奈川県鶴巻温泉 元湯 陣屋

女将は陣屋事件当時の女将の娘の紫藤邦子さん。

2015年74歳時には女将は宮崎知子さんに譲り、引退されてるみたい。

旧黒田藩邸を移築した3部屋続きの「松風」の

一番奥が対局部屋。

一番手前の部屋は明治天皇が宿泊された「御上檀の間」。

(中原誠名人の希望で御上檀の間に寝てもらったこともあるのですと)

 

逸品豪華会席夕朝2食ありのロールスロイス送迎付き

2名で税込み参考価格281,600円(2024年現在)らしい。

宿泊して見せて頂こうとするより、

福岡からの旅費宿泊費も含めて考えたら

その予算があれば静山さんの駒が買える気がする(笑)

所蔵駒は金井静山さん作島黄楊根杢菱湖書盛り上げ。

静山さんの駒尻の銘は彫らずに書いてるだけが

特徴っぽい。

飴色になり漆自体も透けてきて飴色を帯び、

何とも言えない風合いを醸しているのですと。

裏字はかなり擦り減り、平らな部分もある。字が擦り減り名駒と

しては少し惜しい気もするが座りが良くなり、

実に指し易い駒となり、陣屋対局では必ずこの駒が使われている。

終戦直後に三井家の接待所として使われていた陣屋を

三井家の重役をしていた母方の叔父が退職金代わりにもらったものを

お父様は買って旅館を始めたと。

屏風、掛け軸の他に盤駒もついていたのですと。


2.連載中に情報提供頂いた三菱アルミニウム創業者で

常任顧問の鈴木厚さん91歳所蔵駒。

1961年に自らの昇段祝いに特注で作ってもらった

木村文俊さん作の島黄楊虎斑木村名人書。

木村さんの駒尻の銘はだいたい彫ってあるのですと。

他に三菱本社理事長の故・船田一雄さんから譲り受けた

「清陽造」の銘の駒は奥野一香さんの「清流」書に似ており、

歩が極端に小さいので古い時代の駒と推理されるが

詳細は不明ですと。


3.関東名人駒。

奥野一香さん作シム告げ柾目宗歩好盛り上げ。

1949年に栃木県の愛棋家から盤駒駒箱をセットで

連盟に寄贈。

斑が少し入っているものの比較的平

凡な柾目ですと。

駒尻の銘の漆は消えかけ、裏字の漆も擦り減り、

少し傷も入っているが、「使われてこそ名駒」ですと。


4.関西名人駒。

宮松影水さん作島黄楊斑入り糸柾菱湖書盛り上げ。

駒字のタメや跳ねが少し派手目で

大振りの駒で漆の高低差がある影水流が確立

される前の20代後半までに作られた駒ではまるまいか

とのこと。


5.故・板谷進九段から譲られた「全日本トーナメント」会場の大阪の料亭芝苑の

女将久島眞知子アマ四段所蔵。

宮松影水作島黄楊斑入り赤柾水無瀬盛り上げ。

初期の銘が「宮松作」で晩年も「宮松作」が多く現れたが、

「影水作」に出色の作が多いのですと。

芝苑専務益本昌明さんの影響で若女将は将棋と駒に惹かれて

いったのですと。

関西名人駒が芝苑での対局で使われて、

駒の魅力にとりつかれ、

それより良い駒をと入手されたのですと。


6.天童市滝の湯ホテルの

女将山口隆子さんと娘の喜代さん。

2024年現在は次女の星野陽子さんが女将らしい。

伊藤久徳さん作島黄楊赤柾清安書盛り上げ。

久徳さん独特の太字の清安にしては細字の盛上げらしい。

1989年に納めた源兵衛清安は中央に文字が集中するのでテレビ映りがあまり

良く無いと1991年に改めて清安駒を納めたと。(1997年没)


7.山形県東田川郡櫛引町の建築業を営む松田和夫さんが

古物商から入手した黄楊の北限鳥海黄楊板目淇洲書盛り上げ。

版木の無い時代に竹内丑松さんが肉筆で5、6組作ったと

されており、確認されているのは4組で、酒田の本間武術間に駒箱には

「壱」、松田さんの駒箱には「参」と書かれている。

行方不明の関根金次郎名人の錦の御旗の出世駒、錦旗の駒は

「弐」なのだろうか?


8.羽澤ガーデン様所蔵木村文俊さん作島黄楊虎斑錦旗書盛り上げ

「香車」が一枚、「車」の最後の横棒が一部、漆が飛んで

対局では使われなくなったのですと。

代表取締役の森恵美子さんに依頼を受け、

酔棋さんがこれから修理にチャレンジされるのですと。

 

 

落ち着いた日本家屋と広い日本庭園を持つ料亭・レストランだった羽澤ガーデン様。

2005年12月で営業を終了したらしい。
近隣住民は羽澤ガーデンの文化的価値を重視し、また庭園の緑の保全を求めて

マンション開発許可取り消しを求めて訴訟を起こし2012年に和解。

 

 

 

建物自体は殆どが取り壊され、一部の樹木が植樹されたと。

名残の灯籠、石畳、暖炉などが組みこまれた
3階建て114戸の「ザ・パークハウス広尾羽澤」になったのですと。

3LDKで3憶5千万円ですって。


9.富山のアマチュア強豪北野悦郎さん所蔵児玉龍兒さん作

島黄楊赤柾源兵衛清安書盛り上げ(1989年購入)。

富山でのタイトル戦使用駒によく提供されている。


10.日光グランドホテル様所蔵

掬水さん作島黄楊根杢水無瀬書盛り上げ。

大山名人が日光グランドホテルで名人戦をやろうと

声をかけ、盤駒を準備したそうな。

キラキラした根杢なので対局検分で二回も

中原名人がためらいを見せられたそうな。

竹内淇洲さんのご子息六郎さんが楠木正成さんの

「桜井の駅」の故事とその紋所の「菊水」にちなんで

「菊水」と命名してくれたので何年かはそれを使っていたが

同名の者も多く、華やか過ぎるので「掬水」に変えられたのですと。

2024年現在は「日光グランドホテル ほのかな宿 樹林」という名称っぽい。

 

1336年6月に父の楠木正成さんは劣勢で自分は討ち死にしそうなので

「一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と

形見にかつて帝より下賜された菊水紋(流水に浮かぶ菊)が

入った短刀を「最期まで父上と共に」と懇願する数え歳11歳の正行(まさつら)さんに授け、「桜井の駅」の地で別れを告げたと。

1336年7月4日の「湊川の戦い」で足利尊氏軍と後醍醐天皇方の新田義貞さん&楠木正成さん朝廷軍の合戦が行われ正成さんは戦死したと。

 

 

 

「史跡桜井駅跡」は大阪の島本町さんに

水無瀬兼成さんの書き駒を見に行った際に駅前にあった公園だ(笑)。

桜井さんだから桜井駅の今生の別れの菊水紋のって、

滅茶苦茶な由来の駒師雅号の命名だ。


11.箱根仙石原 ホテル花月園様所蔵の宮松影水さん作島黄楊柾目清安書盛り上げ。

駒銘の「影水作」の「水」の「フ」の画の漆が残念ながら飛んでいると。

タメがふっくらし、ハネが鋭く、他の駒師の清安書と違い

源兵衛清安風ですと。

元支配人の永岡進さんが新入社員だった頃にホテルで名人戦が

行われることになり故芹沢九段の紹介で前沢碁盤店様に

盤駒も買いに行き、記者室用にも用意した方が良いと言われていたので

影水作板目錦旗盛り上げを購入し、こちらは控室で記者たちにぞんざいに

扱われていたそうな。

どちらの駒も多少の汚れや傷はあるものの

漆の減り具合もさほどでも無いのですと。

多少の汚れぇ??

 

12.紀尾井町 福田家(ふくだや)様所蔵奥野一香さん作島黄楊虎杢奥野錦旗盛り上げ。
駒尻の銘は殆ど飛んでいる。
駒文字も木村文俊さんの駒みたいにあちこち部分的にとんでる。
現存駒のほとんどは二代目幸次郎作と言われているが品川戸越に
住んでいた松尾某の作品では?という説もある。

1960年頃に古美術商で購入された。

1971年の升田式石田流の対局もこの駒だ。