剣心さん作の「蜀紅」。

天童将棋駒祭りの会場で秀峰さんが

小一時間眺めて下さりました。

「気持ち良く彫れている&

私は駒権さんの実物を見た事があるが、

この駒は駒権さんの彫りになっている」と

ご感想を頂きました。

しかし、鵜呑みに信じるのでは無く、

自分なりの意見を持つことが大切と思います。

後年、駒権さんの「竜司」を見て思いました。

駒権さんと全然違うやんと。

剣心さんは駒権さんの彫りをそっくり真似せず、

緻密に洗練した彫りで表現されたのかな?と

思うようになりました。

駒師さんや碁盤師さんなど玄人受けする駒のようです。

 

 

この後、剣心さんは製作数が減ったように思いますし、

オーダーをお受け頂けてラッキーでした。

 

 

寛月さんの魚龍。

愛用する盛り上げ駒はこれが最初で最後の予定です。

同じ将棋とモノ作りが好きな人間として、

人柄で寛月さんを選びました。

玉、王、王の組み合わせは珍しいですね。

「王&玉」OR「玉&玉(双玉)」の組み合わせでの対局は

聞きますが「王&王」の組み合わせは聞きませんもん(笑)。

 

 

「寛月作」を二枚にするのは控えたのかなあ?

駒尻の銘は小学生でも読み易い筆跡でと強くお願いして

書道をされてる奥様に書いて頂いたそうです。

将棋駒は道具です。

文字はプレイヤーに情報を正確に伝えてこそ

意味を成します。

令和時代の一般的教養レベルのプレイヤーに

読めない古代の公用文字では皆が顔を見合わせて

「私ももちろん読めません」と苦笑いするコントになります。

 

 

これもメルカリさん経由でお譲り頂いた

使い込まれた天童書き駒楷書体。

漆かカシュ―かは分かりませんが指が多く触れる部分の

文字に滅が生じることが分かります。

 

 

駒師名は飛んだのでは無いかと思います。

 

 

木が反る木取りの板目なので

 

もちろん反って変形しています。

しかし、1枚も紛失せず、文字が消えかけても廃棄されずに

伝わっていますし、よっぽどの対局魔の

将棋好きに大切に使われたことは間違い無いと思います。

 

 

駒木地の成形は後年の伊藤太郎さんのものとも違って

 

 

特に歩が薄くて小振りです。

しかし、戦時中の慰問駒と比べるとめちゃくちゃ品質が

良いですし、

テケトウに1951年に天童市で行われた第1回王将戦第6局の頃の

駒ということにしよう(笑)。

 

所持している組み駒で再掲して何か語ってみようかと思った駒は以上です(完)