お譲り下さった出品者様は

昭和30(1955~1964)年代に大阪の美術商様で入手されたとのことでした。

 

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【昭和30年代(1955~1964年)の時代背景】

1956年「道路で遊ぶ子供たち」

東京の新宿でこんなにレトロだったのか?

1960年「大八車によるごみ収集」

東京も大八車??

1961年「楽しい給食の時間」

ビートルズの頃って、東京もここまで貧しかったの?

1963年「蒸気機関車が並ぶ尾久操車場」

東京でも電車じゃ無く汽車のSL走ってたの??

1964年「東京オリンピック開会」。

昭和30年代は要するにロックンロール初期の頃だな。

冷蔵庫、洗濯機、テレビが「三種の神器」の時代に

古美術商で携帯将棋盤の骨董品を買い求められたわけなので

凄いなあと思います。

で、携帯将棋盤は『終戦(1945年)直後の作品』とのことでした。

 

 

【終戦直後の時代背景】

昭和22(1947)年「上野地下道の人たち」

終戦から2年まだ戦争の傷跡が消えぬ東京の街には

家も仕事も夢も失った人々が溢れ、この地下道では凍死者が出た。

1947年はまだ「終戦直後」と言えそうかなあ。

昭和26(1951)年「都内にあった常設露店」
最盛時13,000軒を超えた露店は都民の生活を陰で支えていたが、

この年を最後に常設露店は都内から姿を消した。

政府が経済白書で『もはや戦後ではない』と宣言したのが
国内総生産が戦前の水準を上回った
戦後10年過ぎた昭和31(1956)年らしいので

『終戦(1945年)直後』は1945~1947年頃と

びりたん比で解釈することにします。

 

入手経緯を商品持ち込み様から聞けたかもしれない主古美術商様も

当時、正しい情報を聞き出せたとは限りませんからねえ。

『新携帯将棋盤』は

1)戦前に作られたもの

2)終戦直後の物資不足&食糧難の中で作られたもの

のどちらでしょう?

いずれにせよ戦争被害の地域差はあれど、

闇市(?)の店頭に並んだのでしょう。

で、旅先で将棋したいと終戦直後にも関わらず

旅行先で将棋を指すような余裕のある道楽な方がいらっしゃって

購入されたと推理出来るのかな。

 

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【戦時中&終戦直後の庶民の暮らしぶりを考察する為の文章色々】

●敗戦直後の食糧難、物資不足の青森県。

商用で泊りがけで田舎に行くことになった。

汽車の客車には達磨ストーブが配置されていた。

おんぼろバスの天井には大穴が空いており

雨天時はバスの車内で傘をさす始末だった。

青森県下北郡東通村白糠老部は太平洋からの息も出来ぬ

くらいの風の吹きようであまりの寒さに

キンタマが縮み上がり驚いた。

宿に着くと女中さんが膳と共にロウソクを持って来てくれた。

停電か?と尋ねると違いますと。

電圧が低くて電灯の用を足していなかった。

当時は青森市も電球の明るさは現代の半分くらいで

田舎では更に暗く新聞も読めなかった。

●1939年、馬鹿に暑く寒い満州で高射砲隊付きの軍医として

ソ連と睨み合いの地点の警備についていた際に甥から

慰問袋をもらった。

人家も無く、野郎ばかりの集団で飲みに出掛けるか、

下戸は餡巻をかじるか、内地からの便りや慰問袋が無上の楽しみだった。

皆の慰問袋に入っている将棋駒は天童製柳駒で歩兵が「ノ」と

しているもので打ち下ろすと「ボコン」という音でさっぱりだった。

●慰問の汽車移動は大変で床板にうずくまり居眠りする他は

立ちっ放しで、ようやくひと席空いて交代で座ったが赤ん坊連れの

婦人が立っており忍びなくて譲って立ち通しだったりした。

加藤さん「木村名人も含めて一緒に満州に慰問に行った時は
3等車の板の腰掛けに33時間乗せられました。
私ら若かったんですけど、もうお尻が痛くて痛くて(笑)。
木村名人もものすごい顔して寝てたもんね。
それでも大山さんはジイッっと寝てるんだ。
その寝顔を見て、これだから将棋も強いのかな?
と思いました」

●貨幣の価値が下がっており、衣類と交換で農家から米をもらった。

すし詰め列車に乗って米を運び線路伝いに走って逃げ、

摘発の警官から逃げる必要があった。

逃げる者も生活がかかっていた。

追う係員も自分の家には食料が無かった。

●黄楊駒と将棋盤は家宝にしていたが、

戦火からの安全を願ってしまい込んだ土蔵の中で

B29の直撃弾で一片の欠片も残さず砕け散ってしまった。

●1945年の8月15日の終戦を迎えてスタコラ家に辿り着き、

重荷の食生活に追われながら、一日の憂さを

将棋盤でも撫でて忘れたく、あちこちをほっつき歩いた。

銀座は瓦礫の街で、そこらここらにムシロの垂れた

掘立小屋があろうという始末で将棋盤を売るちゃんとした

店なんて一軒も無かった。

その代わりに銀座通りの両側には金さえ出せば何でも手に入る

縁日然とした闇市が栄えていた。

盤は最上の榧が第一希望。

悪くても銀杏か桂どまりまで。

欅は建築用材で重くて好きで無かった。

盤の厚みは4寸欲しかった。

盤が薄いと貧相に見え、究極的には例の2つ折り畳みの

軽便盤となり、1枚の紙製になってしまう。

脚付で無い薄板盤では背中を丸めて胡坐になり妙手も浮かびそうに無く

調子も出ない。

そんな中、ぴったりの桐覆い蓋付きの盤をガラクタ道具と一緒に

闇市で並んでいたのを見つけた。

1万円と高額だったが焼け跡の東京中探しても

二度と出会えまいと思って購入した。

その後毎月3回の同好会を私宅で行ったが、

皆で持ち寄る将棋盤の中で私の闇市盤が一番良く、

皆がその盤での対局を望んだ。

●駒も子供の玩具のように柳駒で歩兵などチョンと

一筆の「ゝ」の字が書いてあるだけのようなものでは感じが出ない。

●関東大震災後の棋界の復興は予期以上に早かった。
将棋どころではあるまいと考えた人も多かったようだが、
事実は反対で慰安と娯楽の無い人生は容易に存在するものでは無い。

 

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「旅行中の汽車の中での一局は折り畳み薄盤の土壇場」との

文章を読んだことがありますけど、振動と煙は大丈夫だったん??

 

【当時の汽車について】

●ブレーキは各車両にあるタンク内のエアを使うので

何度もかけたり緩めたりはできない。

●夏の運転席は60度。
顔もすすで真っ黒になる。
背中に雪が積もったりもする。
●急な上り坂は時速20キロほどであえぎながら登る。

 

昭和30年代に汽車に乗っていた生き証人の方に

お話を伺ってみました。

●客席の振動とかは覚えていないと。

ただ、先頭車両以外は引っ張られてるだけだし、

現代とそれほど変わらないのでは?とのこと。

●窓は閉め切っていても煙が入って来るので

皆顔が黒くなるので目的地についたらすぐに

ホームで顔を洗うと。

●長いトンネル内では煙が充満して死ぬのでは?と

聞いてみたら、「死んでない(笑)」ですと。

●寝台車切符は貧乏で買えないから夜出発して

朝まで荷物盗られないように見張って起きていて

現地について餌ですと。

駅弁は昼に売るものなので食べなかったと。

 

 

 

 

当時の汽車の揺れの程度は知らないけど

布盤なら大丈夫じゃね?

仕切り無しの折畳み板盤なら木駒が動くだろうけど。

 

 

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「実用新案」とは「ちょっとした発明」のことらしい。

【実用新案権の主なメリット】
1)審査官による審査が行われずに権利化されるので、

早期に権利化することができる。
2)実用新案権の方が特許権と比べると安価。

※実用新案権:

「出願料」は14,000円、「登録料」は毎年2,100円+(請求項の数×100円)
第4〜第6年    6,100円+請求項の数×300円
第7〜第10年    18,100円+請求項の数×900円
(実用新案権の権利存続期間は出願日から最大10年)


※特許権:
特許庁費用20万円+弁理士費用50万円。
権利化後も特許料の維持費がかかる。

 

【実用新案権の主なデメリット】

1)権利化後に無効審判が請求された場合に無効にされやすく、

特許権よりも権利として弱い。
2)権利の存続期間が、出願日から10年であり、

特許権と比べると非常に短い。
3)権利行使の際には、侵害者にまず警告する必要があり、

それからしか損害賠償請求できない。
無効審判でその実用新案権が無効にされた場合は

逆に損害賠償責任が生じる可能性がある。

 

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「将棋」のキーワードの実用新案データベースを検索すると

1971年以降のものしかヒットしないみたい。

それ以前のものはデータベースとして残っていないのかなあ?

珍発明も多くて面白い。

 

1971/09/01「シヨウギノコマ」。
駒の動かし方を将棋駒に表記する。

ほう。

「スタディ将棋」の先駆けだ。

 

1972/05/29「照明付き将棋盤」
半透明将棋盤の裏に照明器具を取り付ける。
夕方屋外で将棋を指すと暗くなると中止か照明のある明るい場所に

移動の必要があった。

どうせ縁台ヘボ将棋だったはずなので中止でええやん。

 

1972/08/29「マグネツト式碁将棋盤」
マグネット碁石&将棋駒の耳障りな吸着音は

大盤では特に大きく消音シート貼り付けで消すと。

 

1972/10/26「携帯用将棋セツト」。
将棋盤は発泡スチロール含んで爪楊枝みたいな棒を差し込む穴を開けておくと。
ボール紙製将棋駒は爪楊枝みたいな細いつまみ兼固定棒付き。
現行のプラスチック製、金属製、フェライト製、木製は高価と。

乗り物の車体の揺れでの駒の移動を抑える携帯用将棋セツトですと。

『棒状将棋駒』案の先駆けは色々あるっぽい。

1975/05/26トミー工業株式会社様出願の「将棋玩具」。
底板上に弾性体を設置し、格子状枠を設置し、
格子の孔に棒状の駒を差し込む。
従来から「棒将棋玩具」は知られているが
操作性が悪かったので改良したと。

 

 

これのことだ。

2024年の視点で評価するなら相当、操作性が悪いですけど(笑)。

弾性体のウレタンスポンジが経年劣化で

チリになって使えなくなってしまいました。

 

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この「木製シャッター構造」はどういう技術なのだろう?

 

 

なるほど。

箱根寄木細工で使用作品例があるのは知ってたけど

『蛇腹扉』と呼ぶわけね。

細い角材を用意してタイトに密着整列させて

輪島塗りの「布着せ」みたいに

裏面を布地でボンド接着して「シャッター構造」を

つくるわけね。

難しい技術では無いな。

 

 

閉め切ったところ。

 

 

 

留め具ロック。

 

 

オープン。

 

 

シャッターは溝を伝って

 

 

裏面に。

 

 

マックス裏面にシャッターが行き切ったところ。

 

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無垢材で無くて合板。

 

 

樹種は何だろう?

いつの時代から合板ってあったのだろう?

 

合板の歴史。

古くは古代エジプト。

日本では正倉院の御物。

合板の製造が機械化されたのは、明治40年。

 

 

【接着剤の歴史】

人類が初めて使った接着剤は日本や中国でも同じで

原油からの生成物である天然の「アスファルト」ですと。

しかし、日本は木の文化なので植物から採取出来る

「漆」に縄文時代以降移行したのですと。

日本では原料である獣肉を食べる習慣がなかったので

膠(ニカワ)を使い始めたのは遅く、7世紀以降の模様。

で、日本は米文化なので接着剤のリストには

後に米が原料のでんぷん糊が加わったと。

雨水対策で柿渋を混ぜたり、張り直しできるように

小麦粉を混ぜたり工夫があったよう。

「石の文化」であるヨーロッパでは

天然アスファルトが接着剤の主流だったと。
 

日本では明治40(1907)年にベニヤの製造機械化が始まり、

耐久性の向上が進み、昭和25(1950)年頃には尿素系接着剤の開発が進むなど

合成樹脂系接着剤の全盛期に入ったと。

 

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量産は無理で商品価格はべらぼうに高くなるけれど視覚ハンディの方向けの

こういう無垢仕様の方がびりたんとしては好みだ。

ちなみに、視覚ハンディの方向けの盤は大赤字奉仕価格で

2万円代だったのを記憶している。

 

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製法上なのか、謎の穴があいている。

 

 

長手方向のAにも謎の穴が。

Bに分割ラインあり。

 

 

戦後79年なので時代色を損ね過ぎぬように

 

 

劣化している部分を損傷せぬように

 

 

掃除メンテナンスすることに。

 

 

 

掃除キット。

片手じゃやり難いwww

 

 

駒も同様だが、プラスチック消しゴムでは

汚れは落ちない。

 

 

超細目のペーパーやすりを後日使おう。

 

 

裏面は仕切り無しの将棋盤になっている。

「星」は無い。

 

 

目盛線は不良部分はあれど品管合格らしい。

 

 

目盛りの質感。

 

 

亀裂あり。

 

 

損傷部位もあり。

 

 

 

掃除前の写真だけど、駒が取り出し易い為の凹みの工夫かと。

 

 

 

掃除後。

 

 

掃除後。

 

 

仕切りは長手方向は突き抜けず。

 

 

短手方向は突き抜ける。

 

 

イエローで塗装された仕切り板はベニヤ材かなあ?

 

 

駒の材質は何だろう?

面取りは無い。

 

 

駒木地の成形具合は悪くは無いがそれなり。

 

 

角度もサイズも出てはいないので

治具を使って作ってはいなさそう。

 

ちゃんと王将と玉将仕様。

 

 

印刀が滑ってオーバーランしたような跡に見えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彫刻が揃っていないから手彫りだ。

悪く言えばそっくりには彫れない。

良く言うなら手作りの味。

 

 

左の方は文字が上方向に明らかにずれてる。

 

 

左の方は右に僅かにずれてる。

 

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「布盤」だと当時の汽車の揺れで盤面は崩れるのかなあ?

縁台ヘボ将棋なら仕切り付きで局面を保存するまでも無かったと思うわけです。

強かったら局面は記憶できるのでこれまた局面を物理的に

保存する必要は無いという理屈になるんです。

ということで将棋好きの方向けの商品ということは分かるのですけど

不思議な商品と思います。

舗装されていない当時の道を走行中の

トラックの荷台で指すのなら振動が凄まじそうなので必要かな。

でも車がポンポン跳ねるので仕切りあっても駒が吹っ飛ぶ気もするけど。。

 

サイズは225×330×37.21㎜。

おおよそA4サイズ。

 

 

総重量は662.3g。

全く携帯性に優れて無いけど

よくこんなものを持ち運んだなあ。