題字は武田庄吉元会員様

表紙絵は石坂健一会員様

 

尾崎定幸さん「対等の関係」:

医療現場において担当ドクターと患者は

対等な人間として病状の見通しや注意事項を聞くことは

不可能な雰囲気がある。

診察待ちの患者に気を遣いつつ必死に質問しても

高貴な人の言葉みたいに一言二言で片付けられてしまう。

分かり易く噛み砕いた説明をしてくれる医師は

滅多にいない。

弁護士と依頼人の関係にも当てはまりそう。

法的な紛争解決において一般人と比べてやや高度な専門知識を持っている為に

依頼人や事件関係者を自分より格の低い人間と無意識に思い込んではいまいか?

無料法律相談では

担当弁護士は忙しそうで聞き辛い、

担当弁護士にしつこく聞くと怒られそう

と、事件の見通しを聞かれることがある。

物腰や話し方が目立って温和な担当弁護士ですら

そういった認識のされ方で驚く。

依頼者に私の印象を訪ねた結果を。

「恐ろしくて口を利き辛いとは思わないが」&

「生意気だとは思わないが」の2点のフォロー付きで

1「早口でぽんぽん喋る」、

2「分からない専門用語を混ぜて話す」

3「話終わっても全く理解出来ないことがある」

とのことで、私がドクターに感じてる不満と同じで

口惜しく顔が歪みそうになる。

自戒せねばならぬと思う。

 

鈴木悦郎五段「私の碁歴」

●隣の農家の次男坊重ちゃんが私の師匠。

中学1年の夏に毎晩押しかけ相手をしてもらった。

●1カ月で勝てるようになったが白番は譲ってくれず、

打ってもくれなくなった。

23歳で北海学園大学に入学し、途中で挫折して、自・死・された。

●師匠がいなくなり、私は碁を打たなくなり、大学時代は麻雀をやった。

●大学1年の夏休みは札幌駅前通りの日本棋院札幌支部に

毎日通った。

昼ラーメン、夕カレーで1日中碁を打ち、1カ月で

アマ初段になった。

●東京地裁時代は裁判官囲碁会でよく打った。

「法曹」という冊子に私の裁判官囲碁対局が掲載された。

●いつの間にか五段で打つようになった。

●碁の過程が好きなので勝負にはこだわらない。

相手のポカミスで勝っても対局時間が無駄になったと感じる。

だから相手の「待った」の禁じ手も大歓迎。

仲間同士の対局ではこちらの方から待ったをさせて

やり直しで打ち継ぐこともある。

●相手がこちらの読み筋通りの時は痛快。

●弁護士の生活は慌ただしく、碁を打つ心のゆとりが

なかなか生まれない。

早くこの稼業から足を洗い、西岡の田舎に

小さな碁席を設け、席主として打ったり、講釈したりして

暮らせたらと考えてるが難しいだろう。

 

坂下誠さん(三~四段?)「S先生のこと」

●碁敵であり、碁を始めるきっかけの人がS先生。

●司法習練で裁判所配属になった26年前、

昼休みになると急いで法廷から帰り、

食事もそこそこに寸暇を惜しんで碁を打ってる裁判官が

後に弁護士となるS先生だった。

誰も相手がいなかったある日に、初心の棋力の私に

白羽の矢が立ち、強引に対局させられることになった。

フルボッコ続きだったが、そのうちに私の方から

対局を申し込むようになった。

●私が弁護士になり、札弁に入ってからは

S先生との対局機会は無くなった。

札弁にも碁好きの先生は大勢いて、

指導はしてもらったが、ヘボさを馬鹿にされる始末で、

初心者のまま数年が過ぎた。

●S先生が裁判官を辞めて突然、札弁に入ってきてからは

食事もろくにとらせてもらえずに1日中打つ羽目になる

こともあった。

家に帰っても碁盤が目の前にちらついてなかなか

寝られない狂気の沙汰な状態にもなった。

S先生の加入により段級のランクが壁に貼り出され、

札弁碁会全体が盛り上がった。

●私にとっては碁は真理探究でも

人格陶治(実践を通して人間としての正しい生き方を

磨き上げていくこと)の場でも無く、単なる娯楽。

碁の変化は無限だし、ヘボながら勝った負けたと

碁を趣味としています。

 

長谷川英二さん(三~四段?)「囲碁も将棋も」

●将棋は子供の頃、外遊びに疲れた時に指していたが

兄に手厳しく負かされて以来、約30年間指さなかった。

しかし、仕事関連の友人と出張が多かったことが原因で
数年前に将棋を再開した。

囲碁は司法習練生になって始め、今日でも打っている。

現在は囲碁で負けたら即、その場で将棋を指し、

何とか面目を保ったりしている。

●囲碁や将棋をプレイする理由は暇だからと思っている。

●3年前から1日80分は屋外で体を動かすことを習慣としている。

時間が無くなり、気・違・い・のように碁将棋に時間を割くことが無くなってきた。

●知り合いの理数系の人間は囲碁将棋等の勝負事は観戦のみと言う。

深く考えるとどんどん引き込まれ、他の事が手につかなくなるからと。

頭を使うからやらないという空手有段の公認会計士の友人もいる。

●碁会所や将棋会館にいつも居る人がいる。

どうしてだが知らないが全く持って強い人がいる。

しかし、碁会所や将棋会館を出ると存外普通の人で

人生の大事なものを注ぎ込んだのだろうかと

考え込まされることもある。

●碁打ちの碁を打つ喜びは金や地位に換え難いと言う。

ある棋士は負けたら絶望あるのみと。

囲碁史や将棋史に残る多くの対局は仁義なき因縁試合と私は思う。

行きつくところがこういうものでは余りに無頼(ならず者、 ごろつき)

ではないかと思うが、そうで無いという保証は何ひとつとして無い。

ともあれ、囲碁将棋から多くのことを私が学んだのは事実。

囲碁将棋が無ければこんなに深く知り合うことは無かった

人間関係が存することも疑いは無い。

●囲碁将棋をやっていなくて一人では気付けなかったこと。

勝負の気合い。

勝負の間合い。

落ち着いて全体を見ることの大切さ。

部分的に得してもそれ以上に薄みや弱点を作っては

何にもならないこと。

有頂天や思い込みの危ういこと。

周囲の人間から暗黙の支援を受けるような人徳が

私に欠落していること。

●しかし何よりも勝負の勝敗は天地をひっくり返すような

大事件では無いこと、その人の能力や人格をいささかも

傷つけるものでは無いことを体験として身に着けたことは大きい。

●人間としての大切なものまで負けてはいけないのだという

認識の表れで負けて平気なことは大切。

自信の喪失を支え、更なる自己研鑽の機会とすべく、

平気を装うことも大切。

●碁石と将棋駒に血は通っていないし、

対局者が全人格や能力を注ぐのは止めるに

越したことは無いと思っている。

この毒は飲まぬようにして河豚を楽しみたい。

 

藤野義昭さん(五~六段?)「碁を覚えた頃」

●大学に入った昭和32年頃、勉強もせず、家で

所在なさそうにしていると亡父が「碁でもやるか」

と誘ってくれたのが私が囲碁を始めたきっかけ。

父は戦前、満州でプロ二段にしばらく習った腕前だった。

私は父の対局を時々盤側で時々見ていてルール程度の

知識はあった。

確か九子で教わった。

●父相手に五子、六子の7級くらいになるととても
面白くなり、連日のように碁会所で他人と手合わせするようになった。

歌舞伎町にオープンしたばかりの席料1日5円の碁会所だった。

特別に月極めで700円くらいにしてもらっていた。

大学に顔を出すのは週に1、2日で、

残りは碁会所に直行していた。

●数局打つと頭が疲れるので名曲喫茶でコーヒーを飲み、

レコードを聴いて頭を休めるのが日課だった。

「らんぶる」や映画「青春の門」にも登場した

「風月堂」が行きつけで珈琲1杯で数時間粘っても

嫌な顔はされなかった。

のんびりした良き時代で出来ればもう一度戻りたい。

●始めて3年ぐらいは父ともよく打った。

父は指導のプロ二段を嘆かせたほどの石を取りに行く碁なので
他流試合に揉まれて私が強くなると、父の白石が死ぬようになった。

しかし稀に私の大石が取られることもあるので

父は頑として流儀は変えなかった。

私が二段、三段となり、滅多に負けなくなっても、

白を息子に渡そうとしなかった。

腹が立ったので性懲りも無く挑戦して来る父を

連戦で完膚なまでにやっつけた。

1年半後に無念そうに白石を譲ってくれた。

●後年、何子も置かせていた悪友にどうしても

勝てなくなった時に白石で頑張っていた

父の気持ちが理解出来た。

父に碁を教わったおかげで
今まで楽しい思いができたと感謝している。

歳をとるにつれ、あんなに徹底的にやっつけなくても

良かったと悔やまれる。

あの世で再会したら懐かしい取り碁を父と打ちたい。

ただし、きちっと四子置いてもらうが。

●私の通った碁会所には定職は無いが碁だけは強い人がいた。

金は無いが暇なら幾らでもある学生がいた。

昼間から相手には困らなかった。

いつも赤ら顔で賭け碁を仲間と打っている強豪の

じいさんがいた。

 

 

 

 

美空ひばりさんの「花笠道中」の鼻歌を繰り返し飽きもせず歌っていた。

「これこれ石の地蔵さん、西へ行くのはどっちかえ?」と

その部分のみだった。

歌舞伎町のもう1軒の碁会所は席主のおかみさんは

まだ相手もいないのに入店と同時に席料支払いを求めてきて、

計算高く好かなかったが手伝いのおかみの娘が可愛くて

目当てで通った。

娘の帰り時間に合わせて無理やり勝負が終わるようにして何度か

デートもした。

能力の限界か、精力の分散か、この頃から棋力はストップし、

以後30年間伸びていない。

 

高野国雄さん(五~六段?)「碁を楽しむ」

●碁、将棋、麻雀とたしなむが最も性分に合っていて好きなのは囲碁。

アマ三段の父が自宅で仲間と囲碁を打っていたので

自然にルールを覚えた。

大学卒業の頃には父と互角になった。

●30年前の父の通夜では父の仲間が追悼の碁を打っていた。

●私が碁に熱中したのは

判事補を5年で辞め、1967年から3年間、名古屋でイソ弁をしていた時期。

アマ初段位獲得戦で実力二段、三段に5名ほど勝ち抜き、

初段の免状を取得した。

現在は査定の甘い碁会所で五段、六段で打っている。

●将棋は斗争(闘志、闘魂、ファイト)的で質的で立体的であり、

基本的に攻め合い。

囲碁は取り引き的で量的で平面的。

●私の独断の当会囲碁愛好者の棋力診断

 

新川晴美さん(三段~四段?)「囲碁二題」

3年前の4月30日。

突然、顔前の碁盤が半分見えなくなった。

対局中の人は顔が無く、顔がある空中に

白色光があるだけ。

太陽を強く見た後に周囲を見た時のように

視界は右側半分が丸い白色光の影になり

見え難くなっている。

強い頭痛と嘔吐感がして観戦を諦め、寝室に

入って安静に努めた。

しかし頭痛がひどくなり、翌朝は煙草を吸う

方法も分からなくなり、喋る事も自由に出来なくなり

入院になった。

ドクターの問診では氏名も住所も年齢も忘れて

答えられなかった。

診察室の物の名前も言葉に出来なかった。

脳梗塞発症で1年間の闘病生活スタートとなった。

●勤労協の囲碁支部の大会で2年連続準優勝して1987年に初段免状をもらった。

しかし私の事務所斜め前の区民センターの老人クラブに行くと

2級格で扱われる。

不愉快だが対戦すると評価通りの結果となる。

年寄りは隔日出勤し9~16時まで休みなく対戦しており勝ち目は無い。

10年後に私が仲間に入る時には「区民センター初段」になっているだろう。

 

野田信彦さん「第1期将棋大名人誕生について」

●囲碁を愛する先生は多いが将棋を指す先生は少なく10名ほど。

舛田先生は四段の別格で残りの9名ほどは皆、縁台将棋レベル。

市川茂樹先生、窪田雅彦先生、私の3名で誰が強いかを決める

期限12月27日までとする名人決定戦が昨年6月頃にスタートした。

9月終りまでの経過では市川先生圧倒的リードで

窪田先生が苦戦していた。

ところが10月に裁判官や検察官も読む会報11月号に

私と市川先生が囲碁将棋等の特集記事を書くことになり、

3人とも自分が名人だと記録を残したくなり

気楽な楽しい遊びの雰囲気が一変した。

原稿締め切りの関係で勝率確定日は11月4日となった。

確定日2日前の勝率は私が1位であった。

ところが会報の特集掲載が12月号に延期された。

そこで勝率確定日も12月27日まで延期になった。

更に平成3年1月31日まで再延期されたものの

いずれも私が成績上位だった。

結論として実質的に私が第1期~第3期まで名人位を保持した

ことになりタイトルは「大名人」とする次第だ。

市川先生と私の優しさで第4期名人には窪田先生が就任した。

 

市川茂樹さん「拝啓将棋大名人殿」

「将棋大名人位決定リーグ戦」で野田先生は第1期優勝、

窪田先生は第2期優勝でそれぞれ将棋大名人位に就かれた。

両先生とも棋力抜群で数々の新手を出し、特に終盤は指し手が冴え、

小生は感心し、投了するばかりだった。

いつだったかどちらの先生か忘れたが

終盤の詰み逃れで玉を桂馬のように跳ねたことがあった。

冗談でも小生には考え付かず画期的な発想に

心底から恐縮した。

序盤で着想されていたらもっと素晴らしかった。

口の悪い輩が「待ったのN」、「手順違いのK」などと

言っていたが我々素人レベルでは止むを得ないのです。

両先生も「待ったをして何が悪い?」

「手順違いがどうした?」と怒っていました。

今後も譲ることなく、待ったと手順違いを恥じることなく

続けるべきと思います。

両先生は対局中、ビールを飲み、冗談を連発し、

普通では考えつかない珍手をしばしば指される。

次から次に変わる話題の会話は途切れることない。

しかし「あいつらは本当によく喋るが、

バカッタレ、クソッタレが多くて何を言ってるか分からん。

頭が変では無いか?」と失礼なことを言う観戦者がいた。

両先生は対局相手を指してバカッタレ、クソッタレとは

言っておらず、ご自身に言っておられたのです。

その意味で両先生ともご自分を正直に評価できています。

いずれにせよ両先生とも頭も含めて健康に留意され、

ますますご健勝であられるよう祈ってペンを置きます。

敬具。

 

窪田雅彦さん「秒読みのすすめ」

●子供の頃から将棋好きで高校、大学は将棋部に所属した。

学生将棋は個人戦と団体戦がある。

●1手30秒の秒読みの痺れるような非日常のプレッシャーは

忘れる事の出来ない感覚として残っている。

経験の無い方は是非体験してみて下さい。

●将棋に対する愛着は今でも強いので

相手をお探しの際はひと声おかけ下さい。

 

(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)

 

弁護士さん方ってこんな変わった思考の持ち主の方が多いのか?

と思ってしまった。