定価は各2,500円なのに上下巻合わせて古書2万円以上程度には高騰してる。

 

 

 

福岡県立図書館から図書館相互貸借のサービスで

自宅近郊の図書館に取り寄せてもらった。

 

 

 

 

上下巻合わせて総重量3.3㎏でびっくりした。

こんな重量級サイズと知らなかった。

司書さんから片手で受け取るのちょい大変。

片麻痺患者で片方の肩も利かず、体幹もダメージを受けてるし

冗談抜きで危険ではある。

リュックに入れて背負うと反動でのけ反るしwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【上巻】
第一章:上古(~平安遷都793年)

第二章:平安前期(794~985年)

第三章:平安後期(986~1155年)

第四章:鎌倉時代(1158~1335年)

第五章:南北朝・室町・安土桃山時代(1336~1602年)

第六章:江戸時代の前半(1603~1750年)

第七章:江戸時代の後半(1751~1868年)

 

 

 

【下巻】
第一章:ルールと作法の変遷

(碁盤の路、事前置き石、白か黒か)

第二章:碁手

第三章:辞書、考証書、作法書、往来物

第四章:物産書、名所記、風土記、紀行、地誌

第五章:家訓、訓戒書

第六章:随筆、見聞記

第七章:物語、説話、雑記類

第八章:戯曲

第九章:和歌、歌謡

第十章:狂歌

第十一章:漢詩、狂詩

第十二章:連歌、俳諧

第十三章:雑俳

第十四章:中国の碁話

第十五章:囲碁書(伝信録、名人碁伝、碁所旧記、棋書序文、

家元棋士列伝、秀策の書簡、囲碁人名録)

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【下巻巻末索引】

事項索引

人名索引

引用書索引

研究文献目録

 

(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)

 

●室町時代の公卿、一条兼良さんの「語園」という題の随筆もあり、

「語園」という聞き慣れぬ言葉は著者の造語では無い。

●研究者があっちこっちの文献からひとつひとつ調べなくても良いように

囲碁伝来の奈良時代から江戸末期までの囲碁が登場する資料をまとめて、

囲碁の歴史を概観したい、これが本書の狙い。

●史書、

年次記録資料、

辞書、

故実書、

物語、

戯曲、

洒落本、

随筆、

和歌、

漢詩、

連歌、

俳諧、

狂歌、

雑俳、

など手当たり次第に囲碁を探索した。

●著者は古典文芸研究家でも歴史専門家でも無い。

素人の編んだ囲碁史書。

雑多なのでふらりと雑貨屋を覗き見るくらいのつもりで

御覧頂きたい。

個人商店なので開店準備にかけた時間と手間の割には

欠陥や不足の品も少なく無かろうと心配している。

こういう風に書いてても「囲碁語園」の中の人は

イイカゲンとか批判される情報クレクレ君がいるんだな。

自分でイイカゲンで無い、壮大な労作を提示して見せてから

物を言え!!と言ってやりたい。

●アマチュアを自覚し、囲碁史専門家の間で争点を抱えるような

主題の場に素槍で突っ込むような無謀は慎み避けている。

●「大日本史料」の編集手法に倣い、

資料の真贋を見極め、取捨選択する手法は意識的に避けた。

目に留まった資料を全部引用するのを原則とした。

●江戸時代の囲碁史で争点のある問題に関しては

雑貨店では間に合わないので資料集め開始当初は

室町、戦国時代を下限と予定していた。

途中から江戸も加えたが、江戸期の資料は探索しつくされておらず、

質量共に見劣りしている。

●江戸期の家元の伝記記録類は膨大。

これらに対する史的な研究も先賢諸氏によって深く細かく

研鑚されている。

この分野にアマチュア老生がしゃしゃり出る隙間は無い。

●著者は囲碁殿堂資料館に事務局を置く「囲碁史会」に

2008年から席を置くことを許された。

 

 

●そうそう売れるような書物では無く、一般出版社は

興味を示さず、なかなか出版の目途は立たなかった。

しかし、ようやく助成事業、AJOSC(全日本社会貢献団体機構)

の助成も決まり、

大阪商科大学アミューズメント産業研究所を発行元として

発行部数はたったのウン百冊で出版の段取りがついた。

1人でも多くの読者の目に触れるようにしたいと
主要都市にある三十数館の図書館、大学に寄贈することを考えた。

●ザル碁の上達はこれまでと悟り、

碁の上達に見切りをつけて30年ほど前から始めて、

本書に集中したのは定年後の12年間。

●指1本でキーを叩き、執筆。

●図書館や大学に通い原典にあたって集めた資料は、

史書、古記録、日記、随筆、物語などの散文1380冊、

和歌や、漢詩、狂歌などの韻文は数100、

和歌220首、

漢詩480首、

狂歌400首、

連歌、俳諧1600句、

雑俳2700句。

※雑俳(ざっぱい):本格的な俳諧に対して、

雑多な形式と内容をもつ遊戯的な俳諧の総称。

 江戸中期に流行。

 前句付け・冠 (かむり) 付け・折句 (おりく) ・

沓 (くつ) 付け・川柳など。

●B5サイズ。
本編の上巻946ページ、
補編の下巻873ページ。

下巻は上巻に載せられなかったものを拾遺的に集め、

文芸ジャンルごとに記述。

下巻巻末には

「事項・人名索引」、

「引用書索引」、

 「囲碁史研究文献目録」。

●曹洞宗の開祖道元さん(~1253年53歳)の『正法眼蔵』は

岩波文庫で読んでいたが文字を目で追いながら、文意を読み落とし、

本書には掲載し損ねたことに本書発刊後気付いた。
●【著者略歴】

1938年台湾台北市生まれ。

終戦で引き上げ愛媛県松山市で育つ。

1960年中央大学法学部卒。(22歳)

1998年民間会社を定年退職。(60歳)

著書「江戸川柳とい武具(上)刀剣」(2001年63歳)

「囲碁語園」上下巻(2009年71歳)他

所属する団体:川柳雑俳研究会、古い川柳研究会、囲碁史会(2008年~)、

各会員。

●『慶長見聞集』(1614年)が遣唐使の吉備真備(693~775年)が日本に囲碁を

伝えたという伝説を伝えているが、彼の留学(717年)よりも前に編まれた

「律令」や「風土記」の遺文から、囲碁の日本への伝来は真備よりも古い

ことが明らか。

●囲碁の日本への伝来は奈良時代とされている。

●本能寺の直前に催されたとされる碁会は、

江戸期の随筆にある記事が典拠らしいが、

史料としての記録はない。

茶会の余興として囲碁が打たれたとするようだが、

当夜の茶会についても研究家は否定的。

●秀吉が本因坊に与えた朱印状の話は

本因坊家伝書『伝信録』に記されるものだが、裏付ける史料はない。

●伝書には「創られた」伝説は多い。

●古事記にも「碁」の文字は登場している。

●スペシャルサンクス:

秋山賢司さん、

小澤一徳さん、

越智信義さん、

香川忠夫さん、

増川宏一さん、

水口藤雄さん、

斎藤譲一さん(囲碁殿堂資料館学芸員)、

柴田洋子さん(囲碁史会会員旧姓:慶徳沃子)、

徳弘晴彦さん(囲碁史会会員)、

井上静子さん(大阪商科大学アミューズメント産業研究所)、

老妻

など。

●源氏物語全54帖中、囲碁に関わりのある描写があるのは12巻

1)空蝉

2)葵

3)須磨

4)絵合

5)松風

6)胡蝶

7)竹河

8)橋姫

9)椎本

10)宿木

11)東屋

12)手習

 

(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)

 

●『大日本国法華経験記』(1040年頃)には

法性寺の南に小さき寺あり。

定法寺と名付く。

別当の僧あり。

形は僧に似たりといへども、

所業は俗のごとし。

窃盗、淫妄、飲酒を行ひ…諸の雑芸を習ひて、

無益のことを作し、双六、囲碁、毎日欠かさず…

悪行を摂受すること海の流を吞むがごとく、

火の薪を焚くが如し。

この僧死んで蛇となり、灼熱地獄に落ちる。

と書かれているらしい。

「今昔物語」(1110年頃)の巻十三本朝第四十四

「定法寺別当聞説法花得益語」にもこの説話は載っており、

残された妻女が法華経を書写供養することで

地獄の別当も救われるそうな。

こういう坊主が日本将棋も作った気がする。

●「宇治拾遺物語」(1200年頃)の巻三ノ五

「鳥羽僧正と国俊たはぶれの事」には

絵描きの鳥羽僧正(覚猷)さん(1053~1140年)

が悪戯される話が収められていると。

鳥羽僧正さんは藁を浮かべた湯船に飛び込む癖があり、

甥っ子が悪戯して湯船の底に碁盤の足を天側に向けて

隠し置いてたものだから、碁盤の足に尾てい骨(尻骨)を打って

悶絶し、音がしなくなったと。

僧が「こはいかに?」と声掛けしても死んだみたいに返事も

しないので近寄って顔に水を吹きかけたら息をして、

オロオロ言われけると。

「このたはぶれ、いとはしたなかりけるにや」と。

※このおふざけ、非常にきまりが悪くていたたまれないであろうか

人の世の営みはいつの時代もアフォだ(笑)

●1235年(鎌倉時代)「東大寺の囲碁禁制」。

「宗性起請文」(東大寺文書)。

東大寺102代別当宗性大僧正の自誓書。

囲碁将棋等一切の勝負事禁止という命令条項が含まれるっぽい。

坊さんも遊び過ぎて真っ白に燃え尽きてたに違いない。

●「言継卿記」の1555年の項。

山科言継さん49歳の日記。

1月~11月まで「おとこたち御五うたせらるゝ」×八億回。

連日囲碁三昧。

廃人の記録だらけ。

●吉田社当主の「兼見卿記」の1575年3月17日の項。

織田信長さんに新作碁盤の内に菓子を入れ、

之を進呈したと書いてる。

中が容れ物になってる変わり碁盤なのかなあ?

●1582年6月2日早朝:本能寺の変。

「言継卿記」にも本能寺に儀礼的に参上し茶を振舞われたとは

書いてるが「茶会の催し」があったとは他の公家日記にも書かれていない。

信長さんは6月4日に中国戦への出陣を計画しており、

本能寺の変のあった翌日6月2日か6月3日に

茶会を開き、皆に披露する為に茶の名器を

本能寺に持ち込んでいたのではとする説がある。

碁と茶会の話は江戸時代とか後世の者の

創作と考えられているらしい。

●島津家武将「上井覚兼日記」の1584年の項。

終日雑談、茶湯、御酒、碁、将碁などにて慰み候也×八億回。

●寛永時代の130歳の老人からの聞き取り

「渡辺幸庵対話」:

竹村武蔵さんという者あり。

自己に剣術を鍛錬して名人也。

宮本武蔵さんは武芸、詩歌、茶の湯、碁将碁、諸芸に達す。

洗足行水を嫌って一生沐浴すること無し。

外へ裸足で出て、汚れたら拭くと。

汚れを隠す為に天鷲織両面の衣服を着ていた。

130歳の婆さんか爺さん、寝言は寝て言えwww

●182年の石製17路碁盤:後漢時代の望都県出土。

595年の陶製19路碁盤:隨時代の張盛出土。

なので考古学からの考察では17路→19路への推移は

182~595年の413年間の間。

430年頃の南朝宋時代の「読曲歌」に「方局十七道」の句がある。

570年頃の北周時代の「孫氏算経」が19路盤の上限史料。

文献から考察すると430~570年の間の140年間の間。

 

(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)

 

2024-1938=86。
2024年現在増田忠彦さんは86歳でいらっしゃるのか。

下巻は索引部分のみコピーして上巻だけで十分な気がする。

よくこんな凄まじい量の情報を調査収集されたものだと思う。

要約してくれないと殺人的な古語文の洪水で読めたものじゃ無い(笑)

 

【びりたんの認識のまとめ】

囲碁は陰陽とか元は占いのツールとしてスタートして

後にゲームになったと。

正倉院の碁盤も端に碁石を置くと窮屈なので

17路盤として使われていたのではあるまいかと。

17路時代もあったが19路に変わって

風土記等にも記載があるので日本伝来は奈良時代くらいで、

公家も僧侶も賭けて廃打ち&将棋を廃指しして、

駄目人間が増えて業務に影響が出て禁令も出たと。

「小将棋は持ち駒再使用にした方がオモロくね?」と

考えたのは廃指し罰当たり駄目人間の僧侶の気がする。

そこいらの創作物語好き婆ちゃんが色々でっち上げ法螺話を語って

生真面目稗田阿礼さんみたいな人が書き留めて

悲喜劇になっちゃったと。

囲碁も将棋も歴史はそんな感じがする。