リュックに入れて図書館から持ち帰ったが、

半身麻痺患者にはえらい重かった。

 

 

1.3㎏ありますぜ。

 

志賀直哉さん:

1883(明治16)年~    1971(昭和46)年(88歳)

 

 

 

ほう。

動画残ってんじゃん。

面白いお話じゃ無いな。

本書収録の随筆もそんな感じだ。


梅原龍三郎さん:

1888(明治21)年~1986(昭和61)年(97歳)

 

ほう。

こちらも

動画が残ってる。

 

将棋会館の看板文字を書かれた人としか知らない。

 

(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)

 

たったの2ページ。

●将棋を覚えて五十何年、短い期間の例外を除きいつも身近に

将棋盤を置き、指していた。(10代から?)

ただ、研究心は無く、誰にも教わったことは無く、

従って定跡も知らず、誰と指す時も総平手である。

新聞将棋を見始めたのは25、26年前から。(42歳ぐらいから?)

以来、駒組だけは幾らか定跡らしくなってきたが、

要するに緣臺將棋で品の悪い将棋とよく人に言われ、

私自身も認めている。

梅原の将棋は私のから見ると育ちの良い将棋。

30年ほど前(33歳頃?)にカスリ時代の金子金五郎八段に

習い、その後、萩原八段に二枚落ちでみっちり教えてもらったらしい。

彼は二枚落ちの方が平手より得意らしく、

平手で負けると二枚駒を落としたがる。

相手が二枚落ち定跡を知らないと平手で勝つのに駒を落とされて

負かされることも起こる。

私は平手で彼に勝ったり負けたり。

しかし彼は自分の方が強いと思っている。

最近は2勝9敗と惨憺たる成績なので

そう思われても仕方ない。

私の将棋は育ちが悪いので大事なところでよく考えず

逆転して負かされることが時々ある。

将棋好き度は梅原の方が恐らく10倍。

しかし好きな割に上手にならないのは

好きは好きでも上に「横」といふ字の付いた

好きといふ事になるのかも知れぬ。

雑誌掲載用に8時半から11時(23時か?)までかかって1番指した。

梅原の方に簡単な詰みがあったのに気づかず、

危険と敵の桂馬を払った為に自分の駒台一杯に

駒を積みながら王手王手で押し切られて負けた。

雑誌に載せるにはあまりにみっともないと

言うので翌朝また指した。

ところが今度もつまらぬ一方的な将棋で私が負け、

三局目を指して出来たのがこの棋譜である。

その後、東京に帰った梅原から手紙が来た。

升田八段、加藤八段、高柳八段が梅原の家に来た際に

高柳八段に棋譜を見せたら加藤さんも見て

ふたりとも完全に黙殺したとのこと。

『どーも少し風流過ぎる將棋らしい』と書いて来た。

大関連中の前で角力(=相撲)を取つて見せたやうなものだ。

 

棋譜が無いのは残念。

 

ネット上に升田さんとの二枚落ちの梅原さんの棋譜はあった。

 

開始日時:1955/10/16 
場所:長野県軽井沢
手合割:二枚落ち
下手:梅原龍三郎さん
上手:升田幸三さん

△6二銀    ▲7六歩    △5四歩    ▲4六歩    △5三銀    ▲4五歩
△3二金    ▲3六歩    △7二金    ▲4八銀    △5二玉    ▲4七銀
△7四歩    ▲3五歩    △2二銀    ▲3八飛    △7三金    ▲3四歩
△同 歩    ▲同 飛    △3三歩    ▲3六飛    △6四金    ▲7八金
△8四歩    ▲5八金    △8五歩    ▲3七桂    △7三桂    ▲6八銀
△9四歩    ▲6九玉    △7五歩    ▲同 歩    △同 金    ▲7六歩
△7四金    ▲4六銀    △6四歩    ▲3五銀    △6五歩    ▲4六飛
△6四金    ▲5六歩    △6二銀    ▲4四歩    △同 歩    ▲4三歩
△同 金    ▲4四銀    △4二金    ▲4三歩    △3二金    ▲5五歩
△3一銀    ▲5四歩    △同 金    ▲4五桂    △5六歩    ▲7五歩
△6三玉    ▲5五銀    △4三金    ▲4四歩    △5五金    ▲同 角
△5四金    ▲7四金    △7二玉    ▲5六飛    △4五金    ▲7三角成
△同 銀    ▲同 金    △同 玉    ▲5三飛成  △6三桂    ▲6四銀
△8四玉    ▲6三龍
まで80手で下手の勝ち

 

梅原さんが勝ってるけど、升田さんの指し手に

本気を感じられずこの棋譜では下手の棋力は

分からないなあ。

 

古典の文壇人は棋力査定できる平手の棋譜が多く

残って無いのが残念だ。