入院した頃出版だから、チェックが今日まで漏れていたんだな。
坪内逍遥さん、
幸田露伴さん、
菊池寛さん(文壇将棋の中心)、
太宰治さん、
など昔の文士たちはよく将棋を指した。
将棋史考証の草分けは幸田露伴さん。
明治33(1900)年の「将棋雑考」では
世界の将棋の起源チャトランガについて考察してある。
最初の結婚をした明治28(1895)年に「将棋」という
文章で将棋の楽しみについて語っている。
翌年に妻に将棋ばかりしていて叱られ、少し控えるようになったという。
しかし小野五平名人の「将棋秘訣」(明治32年)刊行時には
序文を寄せたりはしている。
明治43(1910)年に妻を亡くすと小野名人、井上義雄八段、
関根金次郎名人らから指導を受け、四段の認定を受けている。
小野名人との交流は明治31年の名随筆「包む」でも垣間見ることが
出来る。
露伴さんと並び称される文壇の愛棋家は菊池寛さん。
芥川龍之介さんらが皆東大に通う中、一人京大に通っていたが
当時の「寂しさと無聊(ぶりょう:たいくつ)とを、
救って呉れたものは将棋であつた」と「将棋の師」(大正10年)で
振り返っている。
「将棋を指すことは彼に取つては、新しい一つの生活であり、
彼が発見した一つの新しい世界だつた。
何の生々として慰もなかつた彼の生活は、将棋に依つて、その日その日の
生甲斐を感じた」とまで書いている。
※半自叙伝「将棋の師」(びりたん要約):
京都大学時代は交際下手なのでちょっと親しく口を利く
友達のひとりもおらず、飲食をほしいままに
得るほどの金も無く、道端で会う犬にまで話掛けたくなる寂しさで
最初の1年は毎晩のように白河の下宿から京極まで一里(4㎞)近く
「床春(とこはる)」という名の理髪店まで歩いた。
底冷えの烈しい冬の夜に外套も無しで苦痛だったが
下宿の部屋の汚い羊燈の光の下で独りイライラ座っている
寂しさより勝っていた。
その寂しさと退屈を救ってくれたものは娯楽以上の将棋だった。
幾番か勝ち越してのうのうとした気持ちで帰る時は
全てのいらいらしさや、淋しさを忘れることが出来た。
3年間の京都孤独生活は不愉快な事が多かったが
将棋によって僅かに救われたと言って良かった。
小太りで赤ら顔の主人は仕事の合間を見て
「学生さん、ひとつ行きましょうか?」と相手をしてくれた。
長考中には駒の腹で盤をじれったそうにパチンと叩く癖があったが
親切に色々指し手を教えてくれた。
最初は2枚落ちでも勝てなかったが1年半で1枚落ちでも勝ちが
見えるようになった。
将棋を教えてもらう謝礼は十分生えていない髭を剃り、
十分生えていない髪を刈ってもらい、
その釣銭をサービスする事だった。
将棋目的の常連も多数来ていて彼らとも指した。
おみくじの文句などを学生はんに読んで貰うたらええ
などと頼まれるなど尊敬もされた。
夏休みが始まる前には主人に「また
9月においでやしたら、頭を刈らして貰わななりまへん」と
言われた。
京都にすら良い感じは持っていないが、卒業して京都を去って以来、
理髪店主人の将棋の師匠の事が懐かしく再訪した。
入口のドアが新しくなっているだけしか変わっていない
昔ながらの小さな理髪店があった。
親切な夫婦で子無しだったが、当時、夫婦に叱られていた12、13歳の少女がいて
彼女が散髪接客をしており夫婦が泊まりがけでお詣りに行ったことを教えてくれ、
「木村はんやおまへんか」と名前を憶えてくれていた。
香水等を置く棚に名刺を添え、土産の「白鶴」の一升瓶を置き、
親方に訪問を伝えてくれと立ち去った。
夫婦に会えなかったことは残念だったが
彼の訪問を知った時の主人の喜び方を想像し、
酒好きの主人がどれだけ楽しんで味わうかを
考えていると彼自身楽しくなった。
菊池寛記念館様所蔵モノクロ写真3枚が掲載されている。
1)4~5寸ぐらいの将棋盤(桐盤覆いで盤面は見えず)、
桂材色に見える一本足駒台、駒袋、将棋駒一式セット
2)将棋駒を並べた脚付き盤盤面を眺め笑顔の菊池寛さん。
椅子か座椅子に座っている風に見える。
3)長男英樹君と畳で座布団に正座して脚付き盤で対局している
1931年の光景。
何故か駒台無し。
駒箱のみは寛さんの側に置かれている。
互いに座布団の前に身を乗り出し座っているが
前傾姿勢で、姿勢は悪く無い。
息子氏は手つきもプロっぽく見える。
菊池寛さんは「文藝春秋」を創刊し、将棋記事を掲載した。
将棋を知らぬ者は原稿をもらえないと言われるほどで
文藝春秋社に遊びに行き、将棋に感化される者が増え、
文壇の一角が将棋サロン化した。
森下雨村さん、
松野一夫さん、
平林初之輔さん、
加賀三郎さん、
延原謙さん、
など探偵物文壇も将棋を指していた。
江戸川乱歩さんは初めは対局から
逃げ回っていて直木三十五さんから
「将棋は探偵術の推理方法では駄目なのだらう」と
からかわれる始末の初心者だったが、専門棋士の
指導を受け、「将棋はどこか探偵小説的な味を持つているので
嫌いでは無い」と言うようにまで上達し、
自宅で探偵作家クラブ名人戦を開催したりもした。
将棋雑誌にも推理小説作家の将棋小説やエッセイが
掲載されるようにもなった。
文士グループでは戦前から戦後にかけ、
「阿佐ヶ谷会文学アルバム」で外観できる「阿佐ヶ谷将棋会」が活動していた。
文藝春秋チーム、
阿佐ヶ谷将棋会チーム、
創元社チーム、
早稲田チーム、
本郷チーム(坂口安吾さん中心)
などがあり、盛んに対抗戦が行われていた。
「阿佐ヶ谷将棋会」は下手の横好きの集まりだったが
坂口安吾さんは自称「達者なのは口ばかりで
たいして強くなかった」と本郷チームは「阿佐ヶ谷将棋会」より
更にヘボ将棋だったらしい。
戦時中は友人知人が召喚され死んで行く、
言論統制で思うように文章が書けないという事情もあり、
将棋がコミュニケーションになっている部分もあった。
8月30日付け朝日新聞夕刊に、地元阿佐ヶ谷の記事が掲載された。玄関前の写真は取材にいらした記者さんの撮影。井伏鱒二も太宰治も上林暁も外村繁も木山捷平もこの家を訪れて将棋を指したり酒を飲んだり、時に喧嘩したり。下の写真は玄関脇の6畳と8畳を取っ払って開催された阿佐ヶ谷会。ずいぶん密。。 pic.twitter.com/hhzzFCGfdL
— 青柳いづみこ (@AZxeKovhCoEd6s0) August 30, 2021
右下の写真も掲載されている。
「阿佐ヶ谷将棋会」の井伏鱒二さんと上林暁さんが四寸脚無し盤で対局するのを
青柳瑞穂さんと外村繁さんが観戦しているっぽい。
織田作之助さんも作中でも将棋を度々登場させ、
自分も指した。
「将棋と文学スタディーズ」(2019年)は
全文公開されている。↓
夏目漱石さんは「娯楽と云ふやうな物には別に要求もない。
玉突は知らぬし、囲碁も将棋も何も知らぬ」と大正3年の
「文士の生活」に書いている。
しかし日記に高濱虚子さんらと将棋を楽しんでいた様子が
記されているし、
「炬燵して得たる将棋の詰手哉」とか
「炭団いけて雪隠詰の工夫哉」とか
将棋を詠んだ句もあるし、
「琴のそら音」(明治38年):登場人物が火鉢の傍に陣取って
将棊盤の上で金銀二枚をしきりにパチつかせていたシーン、
「坊ちゃん」(明治39年):兄と将棋を指し卑怯な待駒されて
嬉しそうに冷やかされ腹が立って飛車を眉間へ叩きつけてやるシーン、
「虞美人草」(明治40年):気狂いの発明した詰将棋の手を、
青筋を立てて研究しているようなものだという比喩シーン、
「それから」(明治42年):登場人物が「先生、将棋はどうです?」と
持ちかけられるシーン、
「行人」(明治45年):あなたの顔は将棋の駒みたいと言われるシーン&
将棋の駒がまだ祟ってると見えるねと笑われるシーン&兄と自分と将棋を指した時、自分が何か一口云ったのを癪に、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎ
を思い出したシーン&「兄さんは岡田さんをどのくらい
信用していらっしゃるんです。
岡田さんはたかが将棋の駒じゃありませんか」
「顔は将棋の駒だって何だって……」
「顔じゃありません。心が浮いてるんです」の会話シーン、
「こころ」(大正3年):父は前ほど将棋を差したがらなくなった。
将棋盤はほこりの溜たまったまま、床とこの間まの隅に片寄せられてあった
のシーン&「ちょっとまた将棋でも差すように勧めてご覧な」
私は床の間から将棋盤を取りおろして、ほこりを拭いた。のシーン、
「道草」(大正4年):彼は子供の時分比田と将棋を差した事を偶然思いだした。
比田は盤に向うと、これでも所沢の藤吉さんの御弟子だからなというのが
癖であった。今の比田も将棋盤を前に置けば、
きっと同じ事をいいそうな男であった。のシーン、
と将棋が登場しまくっているので隠れ愛好家が疑われている。
芥川龍之介さんも「真の芸術家は勝負事はきらひなんだよ」と
将棋を誘われると気取っていたらしいが、
「SODOMYの発達」、
↑
芥川龍之介さんはやっぱりアフォやwww
将棋シーンが見当たらない。
「絹帽子」:亭主が莨盆と將棋盤とを兩手に持ちながら、
恬然と猿梯子を上つて來た。
本ばかり讀んでゐたのでは、毒になるに違ひないから、
一つ將棋でもおさしなさいと云ふのである。
自分は今この亭主と、將棋をさすと云ふ事が、階下に泣いてゐた老妻の爲に、
何故かある善行をしてやるやうな心もちがした。
そこで何も知らないやうに、さしたくもない將棋を二番さした。
亭主は見慣れない鉈豆の煙管で、悠々と莨をのみながら、
時々お手はなどと云つてゐたが、
それでも流石に落着いてはゐられないやうな調子だつた。
將棋は、二番とも飛車取王手で、造作なく自分が勝つてしまつたの描写、
「冬と手紙と」(私小説):K君やS君に來て貰つて
トランプや將棊に閑をつぶしたり、
組み立て(名産の)細工の木枕をして晝寢をしたりするだけの記述、
など「將棋(將棊)」を指す描写がある。
日本近代文学館様所蔵の1921年に芥川さんの自宅で
友人の将棋を観戦している写真も残されている。
大正13年の「少年」には行軍将棋ごっこに没入し過ぎて
我を忘れた少年時代が描かれている。
晩年には息子にチェスを買い与えてもいる。
ということで彼も文士としてのイメージ戦略で
アンチ将棋発言をしただけで将棋を好きとは言い難かっただけかも
しれない。
その他は
1)坂田三吉さん略歴
2)木村義雄さん略歴
3)升田幸三さん略歴
4)花村元司さん略歴
5)小池重明さん略歴
6)観る将棋座談会



