表紙は1980(昭和55)年2月号も加藤清さんという方の絵のようです。

わざわざ描かれたのだとしたら、近年の月刊将棋世界誌より

手が込んでいると言えます。

 

 

大山十五世名人書、中原名人書のこの駒は

香月堂様で作ったのかなー?

あるいは天童佐藤敬商店様で作ったのかなー?

びりたんはどちらの書も好きじゃないですけど。

 

 

青山碁盤店様の広告NEW!!

●「沖縄県」の「繩」の字が凄いな。

何で沖縄県の人のみローンはお断りなのだろう?

沖縄のみ配達できませんなら、まだ分かるのだけど。。

●1月号の広告は年中無休だったのに毎日曜定休に増えてますね。

●この囲碁の三人寄らば文殊の知恵の像(?)は何なのでしょう?

奥のおじいさんは紋付着てますし、明治から昭和初期くらいの

プロですか?

 

 

●関西本部の昼休みのエピソード。

たまたま居合わせた大山名人「いくら灘さんでも

Nさん相手に四枚落ではちょっとかなわないんじゃないの?」

ところが結果は上手勝ち。

あらためて灘九段の剛腕に驚いたという。

 

 

●チャレンジャーは将棋世界の初段コース卒業生。

 

手合割:四枚落ち
下手:西山二段
上手:灘九段

△4二玉    ▲1六歩    △3二玉    ▲1五歩    △2二銀    ▲1八飛
△6二銀    ▲1四歩    △同 歩    ▲同 飛    △1三歩    ▲1六飛
△4二金    ▲1七桂    △2四歩    ▲1四歩    △同 歩    ▲同 飛
△2三玉    ▲2五桂    △1三歩    ▲同 桂成  △同 銀    ▲1六飛
△7二金    ▲2八銀    △5四歩    ▲1七銀    △5三銀    ▲2六銀
△4四銀    ▲1五銀    △3四歩    ▲1二歩    △3二金    ▲1一歩成
△3一金    ▲1二と    △同 玉    ▲2四銀    △1四歩    ▲1三銀成
△同 桂    ▲1四飛    △2二金    ▲3四飛    △3三銀打  ▲3六飛
△2三玉    ▲2六飛    △2四銀    ▲1五銀    △2五銀    ▲1四銀
△3四玉    ▲2五銀    △同 桂    ▲7六歩    △5五歩    ▲4八金
△4五桂    ▲4六銀    △2三金    ▲4五銀    △同 銀    ▲5五角
△4四銀    ▲8八角    △2四金    ▲4六桂    △同 銀    ▲同 飛
△4五桂    ▲3六歩    △3七桂左成▲3五銀    △同 銀    ▲同 歩
△同 金    ▲1六飛    △4八成桂  ▲同 玉    △3七銀    ▲5八玉
△5六歩    ▲同 飛    △4八銀打  ▲2二角成  △5七桂成  ▲同 飛
△同 銀成  ▲同 玉    △5二飛    ▲5三銀    △2二飛    ▲2六桂
△同 銀不成▲同 歩    △6五桂    ▲6六玉    △4八角    ▲6五玉
△6四金   

まで103手で後手の勝ち

 

●局後も灘九段は「この端攻めは初めてくった」と

しきりに感心していた。

●▲12歩の垂らしが好手で灘九段「これで参った」。

そして絶妙手「▲12と」で「これは四段の手や。

▲12とで本当に強いと思ったよ」

西山二段「▲12とで投了してくれるかと思いました」

●▲24銀は気が緩んだのか紛れを呼んだ疑問手だった。

ここは▲14歩△22銀▲24銀で受けが無かった。

●▲15銀も重かった。

普通に▲14歩と打ち、△25桂▲13歩成△同金▲同香成

△同玉▲15歩のように攻めるべきだった。

本譜では寄せにくい中段玉となる。

●最終手△64金以下は即詰み。

 

いやー、下手は確かに強かった。

そして上手の指し手はこれは苦しいなー。

灘さんの強さもこりゃ分からんって展開だ。

しかし、この「将棋大観」定跡の

「下手1七桂早跳ね攻撃法」は

下手の活用している駒が少ないから

細い攻めをつなげる技術を学び、

棋力向上を図るには良い戦法なんですけど、

負けにくい戦法ではないんですよね。

敗因はふたつかなー。

1)下手が火傷し易い戦法を選んだ。

2)四枚落ち下手の実戦不足。

 

福崎さんの奥様の元女流プロ鎌田睦美さんの

お写真を始めて見ました。

 

 

平井碁盤店様の広告。

本榧じゃなくって、やっぱり広告商品は桂ですか。

皆さんが本榧に手がでない時代だったのかなー?

 

 

2月号は謹賀新年広告が掲載されています。

 

 

あっ、この「汀」さんという駒師様のお名前は

「駒づくりを楽しむ会会報合本」でお見かけした気が…?

 

 

熊澤先生の広告もありました。

 

 

おっ。8代目駒権さんの広告だ。

「テレビ、雑誌、新聞記載 名人超深彫駒」ですか。

当時、大阪の地方新聞(?)に駒権さんの記事は

色々と掲載されていたっぽいので、読みたいなー。

大阪の図書館に行けば古い新聞のバックナンバーを

調べられるのかなー?

図書の司書さんも、いつの記事かまでは

調べてくれないだろうし、どうすれば良いのだ?

 

http://www.shogi-koma.net/blog/2017/01/post-89.php

http://www.shogi-koma.net/blog/2017/02/post-90.php

大阪の駒の博物館二歩様が竹風さん、掬水さんに

続いて八代目駒権さんのお話をしましょうと

ブログで書かれていたのでとってもとっても楽しみに

していたのですけど、

「八代目駒権の蜀紅の駒をお持ちの方がおられましたら、

一度当社まで来て誠に失礼ですが、見せて頂けないでしょうか」

というオチでずっこけてしまいました。

 

http://blog.goo.ne.jp/aka_u_man/e/17a4ca2cef26d0547e3954f0b13f6aaf
http://www.eonet.ne.jp/~trickbag/syougi.htm

そうそう。

剣心さんですけど、伝説の蜀紅よりも上位の書体という

「日本魂」の駒を第二百七十七作と作られたようですね。

 

奨励会の記事はですねー、まず

堀口さんがサイボーグと書かれていて驚きました。

そんな異名をとっていた時代があったんですね。

まあびりたんは堀口さんのことを失礼ながら

ほとんど存じ上げておりませんが。。

後は、塚田さんが怪物と書かれています。

しかし、ちらっと、1980年のバックナンバーを

読み進めると負けが込んで、いわゆる降級してるっぽいですけど。

すんなりと上がれたわけでは無かったのですね。

知りませんでした。