人として

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社会人として生きる以上、、だれでもあると思う・・・
組織人としての判断、、個人としての判断、、
そして葛藤・・・・・
判断に迷ったとき、
必ずもどる原点・・・・
いや、もどるべき原点・・・・
「人として」どのように判断すべきか・・・
人としての本当のやさしさ
甘くするのがやさしさなのか?
あえて厳しく接するのがやさしさなのか?
「やさしさ」って何なんだろう?
原点!!
「人として」の判断、、
それは時として組織人の判断としては失格かもしれない・・
社会人としてあまいとお叱りを受けるかもしれない・・・・
だけど「人として」の判断、、そこには悔いはない
それは損得を越えるもの・・・・
それって、、、本当に正しくないのかな?
それって、時折、忘れてきてしまうもの?
みんな忘れているだけだよね?
原点はここなのかな?
皆さん・・・自分の原点はどこですか?

懐かしい~もうすぐ春ですね~

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先日、日本全国、春の嵐・・
春といえば・・・・
春風のように現れた、キャンディズ・・春一番・・・・なつかしい~♪
キャンデイズといえば・・・当然出てくるのが・・・・・
当時は、キャンデイズ派とピンクレデイ派に分かれたり・・・・
アイドル全盛期かな? 両方ともすごい人気だったよね!!
ピンクレデイ・・UFO・・・・・なつかしい~♪
貴方は、キャンデイズ派、それともピンクレデイ派 どちら?

マハトラ ガンジーの教え

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「会議でみんなで決める」
しかし、みんなで決めたにも関わらず、まったく動かないということはないであろうか?
よく、「みんなで決めたのに○○さんが・・・動いてくれない」とよく耳にするでしょ・・・・
それは、実は「みんなで」の解釈に問題があるのである・・・
誰か強い(強引でも良い)リーダーシップを発することができる人がいれば別であるが・・・
みんなで決めた場合、「他力本願」にみんなが陥っている場合がある・・・
「誰かがやるでしょ」みなさん、そんな意識状態になったことあるでしょ・・・
その場合、みんなが決めたとおりは動かないし、当初の目的も難しくなる・・・
残念ながら「誰かやるでしょ」は誰もやらないと同意語!
みんなで決めようが、、ある一人が決めその周りの人々が動こうが・・・
ひとりひとりが、意識を変えない、もしくは変えさせない限り物事は動かないのである・・
みんなで決めても結局最後は、個人の問題に還元されるのである・・・
政治の世界もおなじ・・・・
「今のままでは良くない、何も変わらない」という思いは、今多くの人が抱いているはず・・
でも、思っているだけでは、何も変わらない
「ひとりひとりが意識を変えて行動しない限り、何も変わらない」
よく最近、政権交代したのに何もかわらないとの愚痴を耳にする・・
でもその原因は、実は、その愚痴をいう貴方自身にもある・・・・・
「個々人の意識、気持ちが変わって・・・その結果、、大きな力となっていくのだから」
「まずは、ひとりひとりが目覚めないとだめなのである・・・・」
「問題は、他の人にあるのではなく、あなた自身の考え方にあるのである」
「まずは貴方自身が動くことである・・・目的に向かって!」

一期一会

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記憶よりも心に残る映画、、作品・・・
もう何年前かな???
素直な心でただ一生懸命走る姿、、そして人生・・・・
透き通るような心・・・
ただ一生懸命・・・・・・
それは感動を生む・・・
この作品には、これ以上の言葉はいらないであろう!!
皆さんの心に「フォレストガンプ」を鑑賞したときの心が蘇りましたか?

「物質的豊かさ」から「心の豊かさ」の時代へ・・・・・・

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日本は、戦後、「物質的豊かさ」を追求してきた、
高度経済成長、所得倍増論、そして「物質的豊かさ」を手に入れ「経済大国」へ
しかし、そのなかでもっと大切なものを見失ってきたのではなかろうか・・・
「物質的豊かさ」から「心の豊かさ」の時代へ・・・・・・
「心の時代」、ごく最近言われてきたような気がするが、、、、
実は、バブルがはじけたあと、
今から20年程前には、すでに「心の時代」に今後移行していくであろうことは指摘されていた・・・・
これは「成長を目指す社会」の時代から「成熟した社会」への時代変化と相関していると思う・・
しかし、ごく数年前までの日本は、、経済成長を重視し、「心」を見失っていたのではなかろうか?
そして、そのなかで、このままではいけない、
変えなくてはいけないと気づきはじめたのではないだろうか・・・・
その20年前の指摘が今、大きく動き始めたように感じる・・・・
この「心の時代」を今後目指すべく日本の姿として
鳩山首相は、「新しい公共」という表現をしたと思う・・・・
このブログの「大切なもの」の源は、この「新しい公共」の考え方とそう遠くないものである
所信表明演説より一部抜粋
地震(阪神淡路大震災)で、家が倒壊し、二階に寝ていた息子が瓦礫の下敷きになった。
積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板をとん、とん、とんと叩く音がする。
何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、三十分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。
「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。」これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。
息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。
(中略)
全国から多くのボランティアがリュックサックを背負って駆け付けました。復旧に向けた機材や義捐金が寄せられました。慈善のための文化活動が人々を勇気づけました。混乱した状況にあっても、略奪行為といったものは殆どなかったと伺います。みんなで力を合わせ、人のため、社会のために努力したのです。
あの十五年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。
このブログの「大切なもの」のなかでは、「心」をキーワードにしてきた・・
そして、その精神の源は、幾度かご紹介したが、この歌にある。
「心の時代」では日本よりも民主主義の大先輩アメリカは、先を走っているような気がする・・
だからこそ、みんなで力を合わせ、人のため、社会のために努力するために
集まることができるのではないだろうか???
「心」のない「物質的豊かさ」「経済成長」の世界は偽善の社会ではなかろうか?
この休日に一度立ち止まり、もういちど考えてみる価値はあると思う。
