エルヴィス:ロカビリーの軌跡を訪ねて | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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ロカビリー一筋40年!
日本で、いや東洋で唯一エルヴィスのバッキングメンバー達とレコーディングした
ロカビリーの伝承者、ビリー諸川が送る公式ブログ

突然、携帯に電話があった。相手はメンフィスでいくつものレストランを経営している石水の日本支社の社長さんだった。

ビリーさん、一緒にエルヴィスの旅に行きませんか?

聞けば、社長さんは以前から僕のステージでの話術を気に入り、そのキャラクターをエルヴィスのツアーに参加してぜひ生かしてもらえないか、とのことだった。

ところが、僕は旅が苦手だ。

かつて、東海ラジオの仕事で何度もアメリカに行き、各所でギター1本でアポなしライヴをやったりもしたが(その旅行記は太陽社から『アメリカ、ギター1本うたい三昧』というタイトルで出版された)、いつも帰国するたびに3日は寝込んでいたくらいだった。

国内旅行ではそこまではないにしても、やはりホテルではなかなか寝付けない。
良い歳こいてアホかと言われようが、自分の毛布がないと眠れないのだ。
寝床に入ったときのあの冷たいシーツの感触がノーグッドなのである。
そうなのだ、見かけによらず、繊細なのだ、ビリーさんは。

だからお話を頂いたとき、即座にお断りしようと思った。ところが、
「通常のエルヴィスの旅ではなく、ビリーさんが実現したいエルヴィスの旅を企画したいと思っているんです」
と来たのである。

この言葉に僕の心は大いに揺らいだ。

というのも、生きているうちに、エルヴィスが1950年代にツアーした経路を一度は旅してみたいと思っていたからだ。

1954年から55年にかけて、エルヴィスはギタリストのスコティ・ムーアのシボレーに楽器一式を積め込み、南部各地のワンナイト・スタンドのツアーに明け暮れていた。
その時期のエルヴィスに強烈に惹かれる僕にとって、彼が旅した経路を自ら確認して行く事は、ロカビリー男のロマン以外の何物でもない。

それを実現するチャンスが今回、向こうから突然やって来たのである。

さすがの旅苦手のビリー・オヤジも行きたいとなった。
こんなチャンスはめったにあるもんじゃないから。
僕は社長さんに、僕が考えていた旅の内容をお伝えした。
そして、この旅のコーディネイト役のエアーリンク社の担当者に会い、さらなる詳細をお伝えした。

ナッシュヴィル~メンフィス~テュペロ~クラークスデイル~インディアノーラ~シュリーヴポート~ニューオーリンズという南部のルートを、エルヴィスたち同様、車で移動するツアー(飛行機の関係で逆からの道のりになる可能性も有り)で、エルヴィスがロカビリーを引っさげて活動していた時代の彼を追体験するというルートである。

ナッシュヴィルには、“トラックの運転手に戻った方が良い”と酷評された『グランド・オール・オプリ』が放送されていたライマン公会堂や、〈ハートブレイク・ホテル〉はじめ、いくつものミリオン・ヒットを録音したRCAスタジオBがあり、メンフィスにはサン・スタジオにグレースランド、ビール・ストリート。
テュペロにはエルヴィスの生家と彼が最初にギターを買った金物店がある。
クラークスデイルは、ロバート・ジョンソンが“ブルースの神髄と引き換えに悪魔に魂を売った“クロス・ロード”や、エルヴィスにも多大な影響を与えたマディ・ウォーターズをはじめとしたブルース歌手たちを記念したデルタ・ブルース博物館がある。
インディアノーラには、これまたエルヴィスと親交があったB・B・キングの博物館が間もなくオープンする予定だ。
そしてシュリーヴポートは、エルヴィスが1954年から56年まで毎週土曜日に出演していたラジオ番組『ルイジアナ・ヘイライド』が放映されていた土地であり、70年代のエルヴィスのギタリストで“ミスター・テレキャスター”の異名を持つジェームス・バートンの故郷である。
そしてニューオリンズは、デキシーランド・ジャズの地であり、エルヴィスの4本目の主演映画『闇に響く声』の舞台となった地である。

なんてことを、こうやって記しているだけで、50年代のエルヴィスの姿が目の前に浮かんでくる。
出来れば、その土地ごとで歌ってみたい。

よしっ、ギターを持って行こう!決めたっ!

旅が大の苦手なビリー・オヤジにとって、今回の旅は久々に燃える旅となりそうである。

BACK TO THE ROCK TOUR


※この旅に関するお問い合せは、株式会社エアーリンク:03‐3340‐5010
ビリー諸川と行く“ELVIS BACK TO THE ROCK TOUR~ロカビリーの軌跡を訪ねて”』係までお問い合せ下さい。