僕がかつて在籍していたロカビリー・バンドに“ピンク・キャデラックス”というグループがあった。
1981年から82年頃のことだったと記憶している。
当時の僕は、ギャロッピング・ギターもスラッピング・ベースも意味がわからなかった時代…。
そんな当時にあって、いわゆるロカビリー・マニアによって結成されたバンドが、このピンク・キャデラックスだった。
当時の音楽雑誌「月刊ベア・バック」(アメリカン・ミュージック・ファイル)に、そのバンドについての紹介文が掲載されている。
『“ロカビリーに燃えるニュー・フェイス”
一時期のロカビリー・ブームは過ぎたとはいえ、ブームはブーム。俺たちはあくまでもロカビリーを追求するゾ、という頼もしいバンドが現われた。
その名はピンク・キャデラックス。(中略)~、
彼らは徹底的に50年代の音を再現してくれるバンドだ。
メンバーは、リーダーでピアノ&スティール・ギターのドクター・ナオヤ、リード・ギターのバッピン・トミー、ウッド・ベースのスラッピン・ヒデ、ドラムスのミスター・クロダ、そしてリード・ヴォーカルと生ギター担当、プレスリー狂のビリーこと諸川秀樹。
バッピン・トミーいわく、“〈ブルー・スエード・シューズ〉は、カール・パーキンスの原曲のみがロカビリー・サウンドで、他のエルヴィス、エディ・コクランのものはロックン・ロール。
ましてやシャナナや最近のバンドのものはすべてロックン・ロール。
この曲をロカビリーで演奏できるのは、日本では我がピンク・キャデラックスしかない”
彼らが演奏するのはロカビリーだけではない。
そのルーツであるカントリーとブルースを、その上にドがつく感覚でやってしまうのだ。
カントリーとブルースのアイノコ音楽であるロカビリー。
この辺にトミーの言葉に伺える自信の裏付けがあるのだ~(後略)』
いやあ、まずニュー・フェイスというキャッチ・コピーがうれしい!日活&東宝&大映&東映といった日本映画黄金期を彷彿させる。
そうなんだよな、あの頃は、ロカビリーはこうだ!という定義づけをやたらしていた僕だった。
今でこそ、ロカビリーの最大の定義は、ヴォーカルの在り方だと確信しているが、当時は、演奏形態に、楽曲といったことに徹底的にこだわっていた時代だった。
ピアノやサックス、そしてコーラスが入ったもの、それにエイト・ビートものはすべてロカビリーじゃない、と頑なに言い張っていた時代だった。
そういったことを僕に仕込んだのが、このバンドのドクター・ナオヤ氏であり、バッピン・トミー氏だった。
ふたりはロカビリーという音楽の真髄を70年代から既に熟知していて、そのこだわりはまさに“キ○ガイ”的なものだった。
ジョニー・バーネットやソニー・フィッシャー、そしてアンディ・スターやパット・カップといったロカビリアンのことを知ったのも、このふたりがきっかけだったし、ロカビリーを歌うときの、マインドとステージングを伝授してくれたのも、このふたりだった。
つまり、僕にロカビリーを最初に洗脳したのが、このふたりだったというわけだ。
当時のステージングはロカビリーというより、いわゆるパンカビリーといった感じだった。
歌いながら、楽器を奏でながら、それぞれのメンバーが店中を暴れまわり、本当に滅茶苦茶だった(ライヴの音が残っているとしたら、鳴ってない楽器の音がありすぎて、スカスカなサウンドだと予想する)。
おかげで出入り禁止となった店が続出した。
だから、ステージを終えると、いつも何処からか血を流していた。スラックスも何本もダメにした。
とにかくロカビリーは“正気のサタ”では出来ない音楽という考えの持ち主(特にナオヤさんと、トミー氏)の集まりだったから、普段も大変だった。
こんなことがあった。
あれは、千葉のパルコの屋上で開かれたビア・ガーデンに一ヵ月頑張って出演したら、『11PM』に出られるという話を持ってきた芸能事務所関係の人間がいて、アホな僕らは、まんまとその話に乗ってしまい、自腹をきりながら、毎日千葉に通ったのだが、そういったステージをやるバンドだから、客たちも、いつ自分たちが、そのバイオレンスに巻き込まれるかと、ハラハラドキドキでビールどころではないのだ。
それで客足も遠のき、結局、一ヵ月の出演話は、2週間足らずで打ち切られ、紹介者から頂いたギャラもひとり3千円弱!当然『11PM』の話もお流れ。
踏んだり蹴ったりのなか、メンバー同士でのトラブルも発生!ヌンチャクなどを振り回し、それを必死になって止めるなんてことがあったのも、このときだった。
いっぽうで、千葉から電車で帰るときは、疲れたと言って、網棚で寝るメンバーもいたし(次の駅から乗ってきたお客はビックリ。そりゃそうだ、カバンを乗せようとそた網棚に人間が寝ているんだから)、俺は今夜もパワフルだぜっ、とか言って、吊革で懸垂を始める体力自慢のメンバーもいた。
千葉の営業のときのエピソードを語るだけで、原稿用紙150枚は楽勝である。
とまあ、要はハチャメチャなバンドだったというわけだが、実はこのバンドでレコーディングしたことがあった。
場所は蕨市のスタジオ。
自分たちの音が欲しくて、ナオヤさんが段取りしてくれたスタジオだった。
僕らはそこで〈ピンク・キャデラック〉と〈ロッキン・ダディ〉を録音。
それをアセテート盤にカッテイングしてもらい、メンバー各自が持ち帰ったと記憶していたのだが、どうやら、そのアセテート盤を現在も持っているのは僕だけのようなのだ。
それを僕は聴きたくないから、随分前に友人のヨッピー佐野君にあげてしまった。聴きたくなかった理由はひとつ。
下手クソ過ぎてイヤだったから。
ところが、その佐野君がその音を今回CDに焼いてくれて、聴いてみたら、ビックリ!
良いのだ。実に良いではないか!演奏も歌もハチャメチャだが、とにかく、そこにみなぎるパワーが凄いのだ!これぞ、ロカビリーっていう感じなのだ!
ヒーカップ&スラップ・バリバリ!おまけにスティール・ギターも入っていて、しかも〈ピンク・キャデラック〉はオリジナル(バッピン・トミーの傑作!)。
あ~っ、みんなにも聴いてもらいたいなぁ。
このビリーモロカワの幻の音源を!
機会があったら発表したいので、まずはバッピン・トミー&ドクター・ナオヤ様、僕までご一報を!