『エド・サリヴァン・ショウ』での視聴率は、82、6%だった! | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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1956年、エルヴィスが全米にセンセーションを巻き起こした当時、アメリカでもっとも人気があったテレビ番組が『エド・サリヴァン・ショウ』だった。

司会のサリヴァンは、“悪魔の申し子”と呼ばれたエルヴィスを非難する、良識あるアメリカ国民に向かって「死んでもワタシの番組にあの男だけは出演させない」と豪語していた。
が、エルヴィスが出演した他の番組(『ミルトン・バール・ショウ』や『スティーヴ・アレン・ショウ』)の視聴率の高さに、ついにサリヴァンも屈しせざるをえなかった。

出演料は他の番組が7500ドルだったのに対し、サリヴァンは破格の1万ドルを提示。
しかしエルヴィスのマネージャーは5万ドルを要求。
サリヴァンは一瞬ためらったが、結局は視聴率の魅力に勝てず、交渉が終わったときには3回の出演で5万ドルを払うという前代未聞の条件にサリヴァンは首を縦に振ることとなった。
言葉とは裏腹に、サリヴァンが視聴率を重視していたことが露見してしまった瞬間だった。

9月9日、エルヴィスはサリヴァンのテレビ・ショウに1回目の出演を果たした。
エルヴィスは〈冷たくしないで〉、〈ラヴ・ミー・テンダー〉、〈レディ・テディ〉、〈ハウンド・ドッグ〉をうたい、視聴率は驚異の82、6%を記録。
5400万人のアメリカ人がこの夜のエルヴィスを見たのだった。翌日、サリヴァンはカトリックの信者たちから一斉に非難を浴びることとなった。

「あなたがあのプレスリーのプロモーターと化していることは、誠に遺憾である。あなたを指示してきた多くのカトリックの視聴者たちは激怒している。道徳を傷つけたことに対しての償いは、もはや不可能といえるだろう」
「エド・サリヴァンよ、地獄へ墜ちろ!」
と、その声は高まるばかりだった。


【深層その1】サリヴァンへの非難が高まるなか、当のサリヴァン本人は、その直前に交通事故に遭い、エルヴィスの1回目の出演を病院のベッドで見ることとなってしまった。