若いときに行ったラス・ヴェガス公演は失敗に終わった | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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ロカビリー一筋40年!
日本で、いや東洋で唯一エルヴィスのバッキングメンバー達とレコーディングした
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1969年にそれまでの映画俳優の仕事から歌手活動を再開し、その復活の舞台となったのが、アメリカ最大の娯楽とエンターテイメントの町・ラス・ヴェガスだった。

彼は華麗なスタンド・カラーのジャンプスーツを身にまとい、彼のパフォーマンスは次々とラス・ヴェガスの観客動員数の記録を塗りかえ、フランク・シナトラやディーン・マーティン、サミー・デイヴィス・JRといったそれまでヴェガスを代表するようなエンターテイナーたちに代わって、新たな“ラス・ヴェガスの帝王”となった。

死後30年近く経った現在もラス・ヴェガスへ行くと、道を歩けば、そしてホテルの部屋を出れば、エルヴィスのそっくりさんに必ず出会うことができる(ニコラス・ケイジ主演の映画「ハネムーン・イン・ヴェガス」やケヴィン・コスナー主演の「スコーピオン」などを参照)。
それほどラス・ヴェガスはエルヴィスのイメージが大きい場所なのだが、実は〈ハートブレイク・ホテル〉で全米にセンセーションを巻き起こした1956年にエルヴィスにはラス・ヴェガスに進出し、敗北を喫っした過去があった。

1956年4月23日、ラス・ヴェガスのニュー・フロンティア・ホテルのヴィーナス・ルームで、エルヴィスにとって初めてのラス・ヴェガス公演が行われた。
“原子爆弾の威力を持ったうたい手”として初日こそ、このショウのトリを務めたエルヴィスだったが、客受けが悪く、2日目からはショウのオープニング・アクトへと格下げされた。
初日の彼のショウを見たヴェガスの大人の客たちには、エルヴィスの音楽はただやかましく聞こえただけで、演奏中に席を立ち「いったい何だ、これは!あっちへ行ってルーレットでもしよう!」と出て行ってしまう客が相次いだ。エルヴィスのバックでベースを弾いていたビル・ブラックは初めて自分たちの演奏をまともに聞くことができた、と語っている。

当初4週間のはずだった出演期間も2週間に短縮され、エルヴィスはヴェガスをあとにするとき、「こんなクソ・ヴェガス、二度と来るものかっ!」と吐き捨てた。


【深層その1】後年ヴェガスのショウは、1日2回、各1時間のステージを行っていたエルヴィスだが、この1956年のステージは1日2回、各20分だった。

【深層その2】このときエルヴィスは、当時の“ヴェガスの帝王”、リヴェラーチェと親しくなり、母親のためにサインをもらっている。