〈ハートブレイク・ホテル〉は、フロリダの女教師が作ったものだった。 | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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1955年11月20日、サン・レコードから大手のレコード会社であるRCAヴィクターに破格の金額(3万5千ドル)で移籍したエルヴィスは、翌56年1月10日、ナッシュヴィルのRCAスタジオBで移籍後初となるシングル・レコードのためのレコーディングを行った。
曲目は〈ハートブレイク・ホテル〉で、トミー・ダーデンとメイ・アクストンが作ったものだった。
トミー・ダーデンはスティール・ギタリストで作曲も手がけていた人物だった。
そしてメイ・アクストンはフロリダの高校で国語を教えている女性教師だった。
トミーがマイアミ新聞の紙面で“淋しい通りを歩く”というメモを残して自殺した男の記事をメイに見せたことがきっかけで、生まれた曲だった。
メイはエルヴィスにこの曲は必ずヒットするから、RCAへ移籍したらぜひこの曲を移籍後の第一弾シングルにするよう進言していた。
エルヴィスも同様にこの曲がヒットする確信を抱いており、レコーディングでは、自分が持てるものすべてをこの曲の歌唱につぎ込んだ。

この後、全米にセンセーションを巻き起こし、PTAの団体から排斥運動まで起こされるエルヴィスの起爆剤となった〈ハートブレイク・ホテル〉が、学校の先生の手によるものだったという事実は皮肉な結果となった。


【深層その1】メイ・アクストンはフォーク・シンガーであるホイト・アクストンの母親である。

【深層その2】この曲の作者クレジットにはエルヴィスの名も記されている。
それはメイがこの曲がヒットしたとき、エルヴィスがクルマを買えるようにとの配慮からそうされた。

【深層その3】エルヴィスとメイとは1955年の5月にエルヴィスがフロリダに行った際、初めて会った。そのときエルヴィスが大変な親思い(フロリダの海を見てエルヴィスはメイにつぶやいた。
「何て海は大きいのだろう。お金を貯めてこの海を両親にも見せてあげたい」と言った言葉がメイの心を打った)だということを知って、彼のためにいつかいい曲を書きたいと、彼女自身が心に誓ったという。

【深層その4】エルヴィスはサン・レコードからの移籍の際、移籍料の他に個人的に5千ドルのボーナスもRCAから与えられている。