もう10日も前のことになるが、デリーで行われた
ある劇を見に行ってきた。
見に行ったのは、Mogly's Gurukul という団体が行うもの。
この団体の活動の一つとして、インド文化やヒンズーの神様などを
子供たちが楽しみながら学べるような劇を公演している。
この日行われたのは、悪魔の息子・Prahlad(プラフラーダ)のお話
こじんまりとした会場は、客席からステージが近く
小さな子供でも飽きずに観ていられそうな感じ。
劇が始まると、悪魔である父親の怖いシーンが続き、
「こわい」を連発していた誠一郎
ステージから端役たちが下りてきてシャボン玉をしたり、
子供と一緒にダンスをしたり、
子供たちが飽きないような工夫がよく施されていた劇だった
ちなみにこの劇のあらすじはこうだ。
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厳しい苦行を行ったヒラニヤカシプはブラフマーという神様から
不死身の体を得ることに成功した。
不死身を手に入れるときのヒラニヤカシプの約束は、
神にも悪魔にも人間にも獣にも殺されず、
昼にも夜にも殺されず、家の中でも外でも殺されないという
細かい要求をする念の入れようだった。
彼の息子・プラフラーダは、父親ではなくヴィシュヌという神様を
熱心に信仰しており、それが気に入らない父親はプラフラーダを殺そうと
何度も目論むが、いつも失敗に終わってしまう。
「ヴィシュヌなどどこにいるのか」と父親が問い詰めると、
「あらゆるところにいます」とプラフラーダは答えた。
「この中にもいるのか」と怒った父親が柱を殴ると、轟音とともに柱が砕け、
柱の中から半身がライオンで半身が人間の人獅子に化身したヴィシュヌが現れた。
人獅子に化身したヴィシュヌは、ヒラニヤカシプを捉え
爪で引き裂いて殺してしまった。
(参考:長谷川明 著 『インド神話入門』)
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入念な約束の上に手に入れた不死身のヒラニヤカシプを
ヴィシュヌはどうやって殺したのか。
ヴィシュヌは人間でも獣でもない人獅子に姿を変え、
昼でも夜でもない夕暮れに、内でも外でもない玄関の柱から出現し、
ヒラニヤカシプを殺してしまった。
このストーリーの意味合いとしては、どんなに完璧に叶えられたと思う欲望にも
思わぬ盲点があり、結局は神に滅ぼされる。
すなわち神より偉大なものはおらず、神を敬うべきである、といったところ。
今回の劇では、ただ純粋にヴィシュヌの存在を信じたプラハラーダを主役にして、
神によって父親の陰謀から守られ、ひたむきに祈りをささげる
プラハラードの姿に焦点が当てられていた。
ヒンズー教には、数多くの神が存在し、さらにその神々には様々な化身がおり、
神々が生まれたり化身になったりする背景には、無数のストーリーがある。
その無数のストーリーの一端が、
インドの学校で劇が演じられたり、子供たち自身が劇を演じたり、
テレビドラマになったり、映画として上映されたり、
村などでは老人たちが子供たちに話し聞かせたりする。
インドの子供たちはそうやってヒンズーの神々や
そのストーリーに隠された教訓を少しずつ学んでいくのである。
今回の劇では、そんなインドの習慣を垣間見たような気がした。
劇が終わり、カーテンコールのあとは、
音楽に合わせてダンスが始まった
連れていかれる雄二郎![]()
「離せー!!」
観客もステージに登って、役者たちとダンスダンス
やはり最後はダンスで終わるのがインド流
最後には写真も撮ってくれて、サービス満点だ
サンディープさんが一緒に来てくれていたこともあり、
帰りは誠一郎の念願だったデリーのバスに乗って家路についた














