週末の恐怖 〜 どうするべきか?
うちの家族は、週末のお出かけはほとんど家族全員で動きます。
英語しか分からない人一名(主人).....
自然と、家族の会話は英語へ。
気がつくと、私と娘の会話もいつの間にか英語へ....
ああ!これではダメだ
気持ちの切り替えをして、でもスムーズに、日本語へ変換。
ほっ、日本語の戻った。。
ワーキングマザーである自分は、一分一秒でも、子供といるときが勉強時間だと思っています。言葉は話せば話す程、身につきますから。
今日も、何気にリフトの上で、「日本スキーとは」を娘に説いちゃいました。
え?「日本のスキー」とは何ぞやって?!
それは、アナタ!
「お昼にカレーかラーメン、夜は温泉」
でしょう~!!!!
「お母さん、アメリカのスキー場でカレー食べれないから、せめて見た目が似ているチリ食べよっと!」
うちの娘の反応は特になく、彼女はMac n cheeseのお子様セットを食べていました....( と、家から持って来たおにぎり)
物の説明について
雪景色のアメリカ北東部。
先程、学校に送り届ける車の中で、雪景色を見ていた娘が、昨日の出来事を話してくれました。
「昨日、帰りのバスの中でね、家があったの。雪だるまが、家より大きかったんだよ!」
バスの中に家・・・・・?
家より大きい雪だるま・・・・?
よく解らん・・・・・
「ああ、帰りのバスの中から見た家だったんだね」
「そうそう」
「おっき~くてさ~、家より大きいの!」
どんな、雪だるまじゃ!?
雪だるまのサイズはともかくとして(どこか、確認しにいかなきゃ、私もみたい)、
娘の説明は、イマイチだな、と思いました。
現地校では、4年生。すでにこういう文章は、英語でしたら、ちゃんと説明できます。
日本語が話せるといっても、ちょっと複雑な状況を説明するのには、まだボキャブラリーが少ないのだな、とこういう時に確信してしまいます。
こういうときは、
「ああ、バスの中からみた家ね」
などと、すらっと、直します。
娘も、「あ、そうそう。バスの中からみた家、そうそう」
と「しったかぶり」して直します。
(子供は、Repeat After me!などと強制しなくても言い直すのが、さすが、です)
「その言い方、わかんないよ」
とか
「その言い方、間違っているよ」
とちょっとでもネガティブなことをいうと・・・・・
自分で言い直しません。これは必ずといっていいほどです。
「ふ~ん」
といって、流されます。
はやり、リピートして言ってもらうと、頭に残るので、これは必ず実践しています。
ああ、やはり・・・・・
言語の勉強は、ポジティブに!
これが、絶対ですね。
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夏の体験入学 ~3年目~
さて、昨年の夏。夏の体験入学3年目です。
もう、学校も友達も知り合いが多くなった娘。
今年の「お初」は、
1)校長先生が変わった
2)担任の先生が変わった
3)学童保育に入った
です。
昨年問題が多かったので、頼み込んで、仕事のお休みを3週間いただきました。
最初に娘をひとりで送りこみ2週間。そして、後の3週間は私と一緒です。
この「体験入学」は、各学校の校長先生と各先生方のご好意によるもの。
新しい先生になったら、「今年からはダメ」などといわれないだろうか・・・と思い、副校長先生に4月頃メールを差し上げると、
「校長先生が変わりましたが、新しい先生も、明るくて元気な方ですよ」
とお返事をいただきました。
ホッ・・・
いやいや、それは、社交辞令かも。副校長先生の上司である校長先生のことを悪くは言えまい・・・
などと心配していましたが、
私が日本に戻って、学校の夏祭りでお会いしたときに、本当に、明るくて元気な校長先生でした!
国際化の考えもある方で、「これからは2か国語、いや3ヶ国語という時代です。娘さんの日本語教育とは、いいことです」といっていただけました。
担任の先生は、1、2年生は同じ先生でしたが、今年から、違う先生になりました。
新任の先生だったので、バイタリティーがあり、娘を普通の子として扱ってくれました。
すでに日本語がかなり出来る状態になっていたので、コミュニケーションには問題がないようでした。
私が日本にいって、すぐに「3者面談」があり、時間を割いて、私達も入れていただきました。
後日、娘がまたトラブルに巻き込まれ、他の生徒に「アメリカ人、バカ~」と言われてぶたれたことがあったのですが、今回の先生は、これを事件として処理してくれなかったのが残念に思います。
これが、アメリカでしたら「人種偏見行為!」また、「暴力行為」して問題視するところですが、ここは、日本。
もちろん、あってはいけないことですが、こういうことを問題視するかどうかは、教員次第なんですよね。
私もお世話になっている以上、先生の仕事を増やすのも悪いし・・・・と、あえて先生には連絡しませんでした。
実際、娘が先生に行ったときは、「それは仕方ないわよね」と言われただけだそうです。
これにはちょっと驚きでしたが・・・・
こういうことが、「イジメ」の種を植えつけるんでは?と思いましたが、私は教員でもないので、防御策を取ることにしました。
1) 「アメリカ人、バカ~」というのは、とても悪いことだ。
2)あなたはアメリカ人だから、バカなのではない。
3)あなたはバカではない。
4)子供に人種偏見をなくさせるため、友達、家族、学校がそれぞれ、それは悪いことだ、と知らせるべきである。
5)次回言われたら、「私は日本人だよ。それにアメリカ人はバカじゃないよ」とって、その子供の間違いを正すべきである。
などなど・・・・
こういうことは、私の性格上、次から次へと、話しながら出てくるんです。
聞いている本人としたら、うざ~っと思うかもしれないけれど、要は、
「その子供の言ったことやぶったことは悪い。あなたは馬鹿ではない。」
まあ、こんなことを理解してくれれば、成功です。
娘も、「そうか、私が悪いんじゃなかった~」と味方ができたのを安心したようで、それ以上、問題視はしていませんでした。
もう一つ、新しいことといえば、「学童保育」に入れたことです。
私の母が住む横浜では「浜っ子クラブ」という学童保育(と違うのかもしれませんが)があります。
ボランティアで行われているもので、基本的に無料。働くママなどに利用されているようです。
内容も様々で、遊んだり、町内のボランティアをしたり。
これで、4:30頃帰ってくるので、私の母も楽だったようです。
娘も大満足で、汗だくで、友達もたくさん作り、帰ってきました。
ボランティアのお母様方に大感謝です!
子供は毎年変わるもの。
去年問題が多くても、今年は全然大人になっていることもあります。
3年目の体験入学は大成功!
母も、4年目をOKしてくれました。
さて、しばらくしたら、日本の学校にお願いして、母にもお願いして・・・・
今年は、もう少し長く日本にいさせようかしら?
アメリカに帰ってキャンプに入るより、日本で入れられるかしら?などなど・・・・
まだまだ、心配は尽きません。
夏の体験入学 ~2年目~
さて、無事に終わった1年生の時の体験入学。
最後には、クラスの生徒全員からの寄せ書きをいただいたり、集合写真を頂いたり、お別れ会までしていただきました。
クラスには、うちの娘がいて、気にくわない子もいたようです。そりゃそうですよね。いきなり日本語が分からない子がきて、他の子が娘に注目するわけですから、気にくわない子も居るのは当たり前だと思います。
他にも、上級生に「アメリカ人、バカ!」と言われて、お腹を殴られたり。
その生徒は問題児だとのことですが、現実は、こういう差別は、日本でもアメリカでもたくさんあること。
そういう差別にどのように立ち向かうか、というのも、人生勉強の一つです。
ハーフで育った娘は、将来、「半分はみ出し」と思って生きていくのかもしれませんし、「二つの国を股にかけて」生きていくのかもしれません。
どちらにしても、大人になっても、このような差別に立ち向かう必要がありますので、今から訓練、訓練。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
さて、2年目の話です。
今回は、娘だけを送りだしました。
JALの「ファミリーサポート」をお願いすると、子供でもひとりで飛行機に乗ることができます。
地元の学校が終わって次の日だったので、ファミリーサポートで子供だけで帰る子供がいなかったせいもあり、JALの職員の方が、特別扱い(笑)でサポートしてくれました。
本人といえば、「ばいば~い」と、手を一度振っただけで、さっさと、入国審査もセキュリティーチェックも通り越し、母の私といえば、心配で、手を振り続ける始末。
成田に母が迎えに来てくれ、6週間の、私の母(祖母)と娘(孫)の二人生活が始まりました。
7才、といえば、多感なお年頃。
なにやら、問題をいろいろ起こし、気楽に一人暮らしをしていた母の生活をかき乱して、大わらわでしたが、
(毎日のように、Skypeで娘を怒ってた・・・笑)
6週間後、でっかいぬいぐるみを抱いてJFKに戻ってきた娘の一言。
「英語忘れちゃったみたい・・・」
やった~!!!!これこそDream Come True!
(もちろん、パパには、ちゃんと英語で話してましたよ)
昨年、私が一緒に行ったときより、かなり日本語が上達していました。
帰りの車の中でも、いきなり母娘で、日本語べらべらトーク。
主人もびっくりするほどでした。
はやり、「24時間言葉漬け」というのは、とても効果があるのだと思います。
この年は、祖母である母には大変面倒をかけしてまったけども(次の年は「もう6週間は嫌だ」と言われました・・・ごめんね、お母さん)、この年がまさにターニングポイントでした。
次回は、3年目のお話をします。
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夏の体験入学 ~最初の年~
思い起こせは、娘の日本語習得は、ターニングポイントがありました。
それは、日本語教育開始から2年目の夏です。
無理やり補習校に入れていただいたのですが、その時に、電話で副校長先生が「必ず夏は体験入学させてくださいよ」と言われました。
体験入学(学習)というのは、日本の学校に臨時で入れていただくことです。
アメリカの現地校は、夏休みは6月中旬から始まります。
日本の学校の夏休みは7月下旬から始まります。
アメリカの現地校が休みになった途端に、日本に行って、日本の学校に1ヶ月入れていただく、というのが体験入学です。
このシステムは、実はシステムではなく、各学校のご好意で行うものです。
1ヶ月だけ、転入生が入ってくると、その分、先生も時間を取られるでしょうし、学校も面倒ですからね。
周りの方に聞くと、「体験入学は拒否されることもある」「上履き、体操着、制服、ランドセルと全て揃えないといけない」という話も聞きます。
うちの場合は、母が住む団地の中にある公立の小学校にお願いすることにしました。
1年生の夏のことです。
メールを何回か書いたのですが、返事がないので、母に協力してもらって、直に学校にお願いすることに。
母も「孫の日本語のためなら!」と思ったか、すぐに出かけていってくれました。
すると、「ああ、お嬢さんからメールいただいていますよ」とのこと。(じゃあ、返事して~)
すぐにOKを頂きました。
この学校は県内でも、珍しく国際交流が盛んな学校とのこと。
「あの・・・・うちの娘は日本語が弱いのですが」
という質問にも、
「1年生の先生は経験豊かな方たちですから、大丈夫でしょう」
とのお言葉。
持ち物も「1ヶ月ですから」ということで、水着もバッグも体操着もあるものを揃えてくれればよい、といわれましhた。
教科書も先生のお子さんが使っていたものを貸していただけました。
その後、私と娘が日本に戻る前に、母と学校の間で、持っていくものやスケジュールなどの受け渡しがあり、母も雑巾やら、ゼッケンやらを用意しておいてくれました。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
さて、初日。
娘、私、母にもついてきてもらって、校長室へ。
「ああ、いらっしゃい!」
笑顔で迎えてくれた副校長先生。
校長先生は女性の方で、ちょっと厳しそうでしたが、「毎年いらっしゃる予定ですか?」
と言われたので、「はい、できればお願いしたいです」
と言ったところ、
「それでは、長いお付き合いになりそうですね」
といっていただいたのが印象的でした(その後、この先生は転校されてしまいましたが)。
その後、先生が来ていただき、クラスへ行くと・・・・(ドキドキ)
子供たちが、
「あ~きた!」
と待ち受けていたように、娘に取り囲み、カバンをかけてくれる子供やら、手紙をくれる子供やら、クラスで飼っている虫を見せてくれたりと、すごい人気!
ああ、先生が事前に心の準備も生徒たちにさせてくれていたんだ、とばかり、涙がでそうになりました。
あっという間に、うちの娘は他の生徒たちに混ざり、私達は用がなくなってしまいました(笑)。
その日は、創立記念日だったそうで、「お母さん、お祖母さんもご覧になっていってください」と言われたのでしばらく見てましたが、途中で退散しました。
しかし、その後、壇上にうちの娘も上げ、校長先生からのご紹介と、インタビュー(笑)を受けたそうです。
その後も、給食の時間に、放送室まで連れていかれ、全体放送で「インタビュー」を受けたそうです。
先生も、「ごめんなさい~。私英語があまり分からないので、娘さんの言う事が全部分からないため、イライラさせてしまっているかもしれませんが・・・」と謝りのお言葉までいただいてしまいました。
その後、1ヶ月の間、毎朝「いってきま~す!」と元気な声でドアを出ていき、母と私が窓から「いってらっしゃ~い」と見送る。 (本人によれば、「ひとりで歩いて学校に行けるなんて凄い!」とのこと。アメリカではバスです)
帰ってきたときに、遠くから、友達と遊んでいる声が聞こえ、ドアをあけるなり、汗だくになって「ああ、楽しかった。お水~」と言って帰ってくる。
1年目は大成功!本当に、ほっとしました。
しかし・・・・・本当のターニングポイントは、2年目だったのです!(続く)。
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