作者: 娘
彼女が変わったのはいつだったか。
県外に進学した私は、年に数回、彼女と顔を合わせる程度になっていた。
昔むかし共に暮らしていた彼女は、おしゃべりで、時々怖くて、よく文句を言いながらもご飯を作っていた。
それが彼女の性格だと、母に何度諭されても、私には、どうにも彼女へのイライラが根底から抜けなかった。幼い頃は理解できなかった彼女の言動が、成長するにつれてわかるようになってからは、さらに嫌悪が加速した。気づけば無意識のうちに、勉学や就職を理由にして、彼女を避けていた。
あるとき、彼女が違う世界に行くようになったと聞かされた。
過去も。
未来も。
今も。
時間も記憶もぜんぶ、飛び越えて。
彼女には、死んだ人も生きている人も全て同じ、4次元の世界に【いる】のが見えていたらしい。
久しぶりに会った彼女は、口うるさくて、ガサツで、時々すっとぼける、私の記憶の中の姿とは、何ひとつ一致しなかった。
まるで、磨りガラス越しに会話しているような、水中にいる姿を上から見ているような、ふわふわ、ぼんやりした姿になっていた。
そして、彼女の中にいたはずの私も、変わってしまっていた。
「タマゴ焼きを作ろうね」
彼女は、そう言って、私にタマゴ焼きを出してきた。
「××ちゃん、タマゴ焼き大好きだもんね」
…私は、タマゴ焼きを好物だと言ったことも、作ってほしいと言ったこともなかった。
そのタマゴ焼きは、ひどくしょっぱくて、タマゴの味がしなかった。
彼女の中で、私は、
【タマゴ焼きが大好きな、幼い××ちゃん】になっていた。
もう料理もできなくなっていた彼女だが、彼女にとっての【私】は、彼女が作るタマゴ焼きが大好きな、いつまでも小さな女の子だったのだ。タマゴ焼きを作ってあげようと思う、か弱い子供だったのだ。
…今、彼女は、4次元の世界にすら、 行かなくなってしまった。
もう、幼い私と、無くなった曾祖父が同じところに【いる】世界は、見られないらしい。
タマゴ焼きも、振る舞われることはなくなった。
昔むかしの私が、おしゃべりな彼女にもう少しだけ関わるようにしていたら、社会に出てからも会話をしていたら、何かが変わっていただろうか。【いつまでも守るべき小さな存在】とは違う姿で、彼女の世界にいただろうか。
仕事帰りに、ふと、彼女と手を繋いで歩いた道を歩いてみた。
カツ、コツ、大人になってから履いているヒールを甲高く鳴らしながら、横断歩道に差し掛かる。お馴染みの、ハトの鳴き声のような音が聞こえる。
「パッポー、バカボンー。パッポー、バカボンー。」
間抜けな音にさらに謎の擬音をつけて道を渡る、彼女の懐かしい声が甦った。
もう、二度と聞けないであろう、ケラケラと笑う彼女の声。
…ああ、彼女の、祖母の、おいしいタマゴ焼きが、食べたかった。
(ある若者の記憶より)