「もう、起きなさいよー!」
襖の向こうから、母の大声が聞こえる。
朝は苦手だ。学校の日でも休みの日でも自分で起きたことなんて、ほぼないと言っていい。爽やかな目覚めなんて言葉は、私の人生に存在しない。
「布団の温もりを感じつつ、うだうだする時間ほど楽しいものはないよなぁ。うん!」と幸せ気分でいたら、ガラリと襖を開ける音と共に怒声が頭上に降ってきた。
「いい加減にしなさいっ!」
はいはい。起きますよ。起きますってば。ここまできたら、抵抗しても無駄だ。仕方がない。至福のひと時に別れを告げて、起きるとしよう。
我が家の台所は、私の部屋と居間の間にある。部屋を出た途端、私のまだ半分眠っている五感が、即座に反応した。
鼻の奥にしっとりと湿り気を帯びて上ってくる微かに甘い香り。これは、つまりご飯が炊けた時の匂いであり、今朝も我が家の朝ご飯は、ご飯と味噌汁とおかずの和食だということだ。
私は別に和食が嫌いなわけじゃない。蓮根のきんぴらやおから、白和えなど、ババ臭いと言われるようなおかずも好き嫌いせずに食べるし、寧ろ好きな方だと思う。
それでもたまには朝からパンを食べたい。厚めのトーストにバターと苺ジャムをたっぷりと塗り、フライパンでパリッと炒めたウィンナーと固ゆで卵のおかず。
これぞ、休日の朝!って感じがする。
でも、残念ながらうちは父が和食派なので、圧倒的に朝は、ご飯メニューが多い。
ぼやっとしたまま居間に行くと、食卓の上には既におかずが用意されていた。今日は、タマゴ焼きにキャベツの千切り添え。それに味付海苔。台所から「味噌汁は自分で注ぎなさいよ」と母の声がした。
台所に行き、鍋の中の豆腐とワカメがお椀の中でなるだけ均等になるよう、慎重にお玉を動かす。少し多めに注ぎおわった味噌汁とご飯を持って居間に戻り、朝ご飯を食べ始める。
タマゴ焼きをひと切れ、口に放り込む。いつものように甘い。朝寝坊の私のために残してあるのは、母が作る甘い方のタマゴ焼き。我が家には、父用の醤油のみで味付けしたタマゴ焼きと母用の砂糖入りのタマゴ焼きがある。
母は砂糖が入らないタマゴ焼きなんて、あり得ない…と言い、私にも当然のように甘いタマゴ焼きを作る。
でも母のタマゴ焼きは、私にとって少し甘過ぎる。いや、正確に言うと「甘過ぎる」のではない。「中途半端に甘い」のだ。母の母、すなわち私のおばあちゃんが作るタマゴ焼きは、母が作るものよりうんと甘い。それなのにおばあちゃんが作る甘いタマゴ焼きは、母のものとは比べものにならない程、美味しい。
ことタマゴ焼きに関してはおばあちゃんの方が母より格段に上手だと思う。
母には口が割けても言えないけど。
母のおばあちゃんに対するひねくれた感情は、半端なものじゃない。間にたつ私は、幼い頃から二人の間に流れる嘘臭くて居心地の悪い空気を何とかマシなものにしようと努力し続けている。我ながら、よくやっているな、と感心してもいいくらいだ。
そんなことをぼんやりと考えつつ、食べ終えた食器を台所に持っていくと、母が「タマゴ焼き、美味しかったでしょ。やっぱりタマゴ焼きは、砂糖が入ってないと美味しくないよね」と問いかけてきた。
「そうだね。美味しかったよ。ごちそうさま」
私は幼い頃から数えきれないほど繰り返してきた返事をする。真実でもないけれど、嘘でもない。必要かつ最適な言葉だ。
私に将来、子どもが生まれたら、その子には「ほのかに甘いタマゴ焼き」を作ってあげようと思う。そして、もしもその子が『もっと甘い方が好き』と言ったならば、もっと甘いタマゴ焼きを作ってあげよう。タマゴ焼きは、甘くたって甘くなくたって、本当はどちらでもいいと、私は思っているから。
自分の子どものためにタマゴ焼きを作る。いつか本当にそんな日が来るのだろう。私の子どもは、どんな表情でタマゴ焼きを食べるだろうか。
淡いピンクと黄色の花柄のカーテンから差し込むぬるい日差しに向かって、背伸びをひとつ。遅い日曜の朝が始まった。