かすみがうらツーリングPart1 | 生涯旅人の徒然日記

生涯旅人の徒然日記

気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

天気は良いのですが寒くて風の吹く天気予報に、お出かけをためらっていました。

 

しかし直前の予報で、土浦方面は風がそれほど強くないとわかります。

 

そこで今回は、日本で2番目に広い湖である「霞ケ浦」を周回してみようと思います。

 

 

寒いので高速道路は使わずに、筑西市までR50を進み、K7へと道を変えます。

 

途中のコンビニでパンとコーヒーの朝食を取り、筑波山を見ながらさらに進みます。

 

やがて石岡市へと入り、高浜方面へと向かえば、霞ケ浦の北岸へたどり着きました。

 

 

続いて小美玉市へと入り、まずは「小美玉市玉里史料館」へと立ち寄ります。

 

史料館は「生涯学習センター コスモス内」に併設されていて、入館は無料です。

 

この施設では、小美玉市の歴史を考古資料を中心に通史的に展示しています。

 

 

最初に「海とともに暮らす~縄文時代~」のコーナーを見てみましょう。

 

縄文時代の霞ケ浦は穏やかな内海で、海の幸に恵まれていたそうです。

 

そこには貝や魚、獣、木の実といったものを採取して生活する貝塚人がいました。

 

 

弥生時代の後半、2,000年前から、玉里の地に農耕を始めた弥生人が登場します。

 

古墳時代は、天然の良港である高浜入りを中心に、有力な豪族が誕生します。

 

水上交通を掌握した豪族の墓である古墳が、玉里には数多く造られます。

 

 

小美玉市内で撮影された昔の写真も展示されていて、とても興味深いです。

 

さらに寛永二年に製作された古い絵図「霞ケ浦絵図」が展示されていました。

 

霞ケ浦全体を表した絵図は、これが唯一で、この玉里史料館でしか見れないそうです。

 

 

史料館の見学を終えて、次は近くにある「民家園(旧小松家住宅)」へと移動します。

 

この古民家は、旧玉里村の小松家から寄贈され、1994年ここに移築されました。

 

創建の時代は1700年代(江戸中期)で、もともとは庄屋格の人物の家とされています。

 

 

ガイドの方によると、地域の特色を現す曲がり屋の造りで、中には厩もあるそうです。

 

南面の建具は半分下が板で仕切られた珍しい造りで、蔀戸と呼ばれているものです。


室内は広間型の間取りで、さんべや、三本溝の敷居、太くない梁など特徴があります。

 

 

民家園の駐車場入り口には、立派なレンガ造りの門が設置されていました。

 

これは、1909年から1962年に現在の玉里総合支所敷地内にあった小学校の門です。

 

脇にあった説明版によると、2002年に小美玉市民家園に移設復元されたそうです。

 

 

次はK144にてR355へと抜けて、国道を南東方向に走ることにします。

 

すると進行方向右手にある小川南病院の近くにレトロな鉄道車両が見えてきました。

 

すかさず近くまで行ってみると、鹿島鉄道のキハ432が保存展示されているようです。

 

 

2007年3月まで鹿島鉄道で活躍したあと、病院の敷地に移設されたそうです。

 

屋根こそついていませんが、保存状態はまずまずで綺麗な感じでした。

 

もしかしたら病院の施設の一部として、今でも使われているのかもしれません。

 

 

再び国道へと戻り、R355をさらに先へと進めば、左手に大きな古墳が見えてきました。

 

「三昧塚古墳 農村公園」の駐車場にバイクを停めて、古墳を見学していきましょう。

 

これは、全長85m、後円部径47m、後円部高さ8mの規模を誇る前方後円墳です。

 

 

この古墳は5世紀後半に成立し、発掘調査を経て、平成17年に復元整備されました。


周囲は濠でめぐらされ、約2mの深さを有していたと考えられます。

 

墳丘には円筒埴輪が三重にめぐらされ、墳頂下2.7mに箱式石棺が置かれてました。

 

 

墳丘の上部に登ることが出来るので、階段を登って上からの眺めを楽しみました。

 

遠く筑波山や、霞ヶ浦方向の景色も見通せるので、登って損はないですよ。

 

古墳見学もほどほどに、引き続き国道を離れて、霞ケ浦湖畔を巡ることとしましょう。

 

 

※Part2へ続きます。

今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。
 

 

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