常磐いわきツーリング Part2 | 生涯旅人の徒然日記

生涯旅人の徒然日記

気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

真冬に掟破りの北上ツーリングに出発しましたが、沿道には雪景色が現れます。

 

渓谷区間では、路面凍結にも遭遇して、冷や汗を掻きながらの走行が続きました。

 

そしてたどり着いたのが、「花貫ふるさと自然センター」という施設です。

 

 

ここは花貫ダムに隣接し、自然いっぱいの環境のキャンプ場が併設されています。

 

公園内のセンターではこの近辺の自然環境を紹介するパネルや資料が置いてあります。

 

そして農産物の直売所があり、その奥に食事ができる施設も入っていました。

 

 

高萩市街まで食事処は皆無なので、ここでお昼ご飯を食べていくことにしましょう。

 

ちょうどテーブルも空いていて、注文もすぐできそうでしたので、着座します。

 

メニューを見て色々と悩みましたが、「かき揚げ蕎麦」を食べることにします。

 

 

食堂の方が凄く手際よくて、ほぼ待たずに注文した商品が提供されました。

 

刺身こんにゃくにお新香までついて、内容もボリューミーと嬉しい限りです。

 

お腹いっぱいになったら、次はR461をさらに東へ走って、花貫ダムへ行きましょう。

 

 

渓谷と海を望む花貫ダムは、1972年に完成した重力式コンクリートダムです。

 

総貯水量2,880,000㎥、農地防災・上水道用水・工業用水等に使用されています。

 

周囲の地形は山々が入り組み、特に紅葉の時期には観光客の目を楽しませます。

 

 

日本では数少ない「海が見えるダム」の一つで、県立自然公園に指定されています。

 

ダムによって形成された人造湖には、特に名称が付けられていないそうです。

 

こんなに立派なダム湖なのに、なんだかもったいない気がしますね。

 

 

ダムを後にして、続いて高萩市のK10沿いにある資料館にやってきました。

 

ここは、高萩市の炭鉱の歴史を伝える「菊池寛実記念高萩炭礦資料館」です。

 

2012年に開館で、これまで知られていなかった貴重な資料が展示されています。


 

「炭鉱の町・高萩」は、1851年の江戸時代末期から、1972年まで採掘が続きました。

 

屋外には高萩炭礦の創業者である菊池寛実翁のレリーフ像が設置されています。

 

また石炭の運搬に使用されたトロッコや、3000万年前の木「珪化木」を見れます。

 

 

残念ながら屋内展示は、冬季休業中でしたので、屋外展示を見学することにします。

 

資料館前の広場には、いくつもの芸術作品(ブロンズ像)が展示されていました。

 

それぞれが、特異なスタイルをもった人物像で、なかなか見ごたえがあります。

 

 

それぞれの作品を歩いてみて回ると、日差しもあるためか体が温まってきました。

 

山間部を走ってきて、体も冷え気味でしたので、ちょうどよかったと思います。

 

見学もほどほどにして、次はK10で北茨城市へと移動することにします。

 

 

途中からK22へと道を変えて、海沿いのルートであるR6へと抜けます。

 

やってきたのは、「北茨城市歴史民俗資料館・野口雨情記念館」という施設で、

 

北茨城市に生まれ日本三大童謡詩人の一人とされる野口雨情の記念館となります。

 

 

「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「船頭小唄」「波浮の港」等を作詞し、

 

1945年に63歳でなくなるまで全国各地を旅し、多くの民謡集や童謡集を作りました。

 

館内では雨情の偉業を後世に伝えるため原稿・書簡・遺品などを収蔵・展示してます。


 

また、北茨城市の民俗、文化財あるいは歴史遺物、文書等の歴史資料も展示してます。

 

郷土の歴史と文化に対する知識と理解を深め文化の振興を図る目的だそうです。

 

特におもしろかったのは、第2次世界大戦中に使われた風船爆弾の展示でした。

 

 

風船爆弾は、日本軍が開発・実戦投入した気球に爆弾を搭載した爆撃兵器です。

 

日本から偏西風で北太平洋を横断させ、アメリカ本土空襲を企図したそうです。

 

9000個のうち300個がアメリカに到達し、オレゴン州では6人が死亡しました。

 


※Part3へ続きます。

今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。
 

 

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