今回は栃木県栃木市にある、大中寺と言うお寺を訪ねてみました。
ここに何があるかと言うと、昔から言い伝えられる七不思議があるそうです。
そんなミステリアスなスポットへ突入していきます。
「大中寺」は、1154年に真言宗寺院として太平山の南麓に創建されます。
その後に荒廃し、室町時代には曹洞宗の寺院として再興しました。
戦国時代に入ると縁故があった事から、上杉謙信公より七堂伽藍を寄進されます。
上杉氏と北条氏がこの地で和睦を結んだという史実も残っています。
江戸時代には徳川家より関三刹に選定され、関東にある曹洞宗の中心的な役割でした。
長い参道を歩けば、そんな深い歴史を感じさせる雰囲気が出ています。
梅雨時と言うのも相まって、参道の石段にはコケがびっしり生えていました。
さらに長年の劣化により、かなり痛んでいて、足元には十分注意です。
参道の両脇には大きな杉の木が立っていて、その奥に山門が見えてきました。
山門をくぐると、もう少し高台に本堂の姿も見えてきました。
大中寺は、上田秋成の著書『雨月物語』にある「青頭巾」にも登場しています。
境内には「青頭巾」の伝説に関わる「大中寺七不思議」と呼ばれるものがあります。
七不思議の案内板がありましたが、かすれて読めない文字もありますね。
①「東山一口拍子木」、②「馬首の井戸」、③「不開の雪隠」
④「不断のかまど」、⑤「油坂」、⑥「枕返しの間」、⑦「根なしの藤」
こちらは⑤「油坂」ですが、立ち入りは出来なくなっています。
夜学のため油を盗んだ学僧が、「石段」に油を溢し足をすべらせ亡くなりました。
それ以後、学層の祟りにより不吉なことが起こるという階段です。
②「不断のかまど」は、本堂の中にあって見れませんでした。
修行僧が釜戸の中で寝ていたところ、それを知らずに火を焚かれて死んでしまいます。
それ以降は人が入らぬよう、「釜戸」の火を絶やさないようにしたという伝説です。
⑥「枕返しの間」も本堂の中にあり、ガラス戸から覗くと少し見えました。
本堂にある座敷にとある旅人が宿泊した際、ご本尊に足を向けて眠っていました。
すると翌朝には、頭と足の向きが逆さまになっていたという伝説です。
さて、続いては②「馬首の井戸」へとやってきました。
井戸なら深いのかなと思い、覗き込んでみると、すっかり埋められていました。
近隣の豪族「佐竹小太郎」が戦に敗れて、大中寺に逃げ込むも住職に拒否されます。
恨みに思って愛馬の首を切り落とし井戸に投げ込み、自身も自害しました。
それ以後、井戸には馬の首が浮かび上がり、馬の嗎も聞こえるという伝説です。
こちらが③「不開の雪隠」ですが、「雪隠(せっちん)」とは、トイレのことです。
「佐竹小太郎」を追いかけてきた奥方が夫の自害を知り、自ら雪隠で自害しました。
それ以後、雪隠には奥方の生首が現れ当時の住職が封印したという伝説です。
⑥東山の一つ拍子木は、境内の少々外れにあるらしいので行けませんでした。
山の方から「拍子木」の音が一回だけ鳴ると、寺に異変が起こると言われています。
ただし、この音は住職以外には聞こえないという伝説です。
⑦根無し藤も本堂の裏側のほうにあるらしいのですが、行けませんでした。
快庵禅師が、鬼坊主の霊を弔うため、持っていた藤の木の杖を墓標として刺します。
すると不思議にもその杖から芽が出て、立派な藤木となったという伝説です。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ペコ。
今回は、ここまでで終わりです。
よろしければ、また見に来てくださいね ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )💘。
では、明日もお会いしましょう。おやすみなさい(^^)/~。
おわり。。