蓼科・松本ツーリング Part5 | 生涯旅人の徒然日記

生涯旅人の徒然日記

気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

辰野町のホテルを出発して、荒神山展望台や大城山山頂で景色を堪能します。

 

その後、弥彦神社や小野神社といった歴史的建造物を見学していきました。

 

そして、塩尻市にある平出遺跡にて、古代の人の暮らしを学んで、次へ向かいます。

 

 

塩尻市から松本市へと移動しますが、そろそろお昼時に近づいてきました。

 

ホテルの朝食バイキングをガッツリ食べたので、それほどお腹は空いていません。

 

そこでコンビニのおにぎりと野菜ジュースで、簡易ランチを済ませましょう。

 

 

混雑する市街地を避けるように、山側のK63で松本市街へと移動しました。

 

そして松本にて最初に立ち寄ったのは、「兎川寺(とせんじ)」というお寺です。

 

このお寺は、約1300年前の飛鳥時代に、聖徳太子により創建されたと伝えられます。

 

 

引き続き、兎川寺の道路を挟んで向かいにある「旧山辺学校校舎」も見学してみます。

 

八角塔が印象的なこの建物は、伝統的な日本建築と洋風の手法を組合せた学校建築です。

 

見学には大人200円の観覧料がかかりますので、受付で料金を支払い入館します。


 

旧山辺学校は1873年、兎川寺の本堂を借りて、兎川学校として発足しました。


それから後の1885年、当時の里山辺・入山辺の両村により新校舎が建築されます。

 

校舎の大工棟梁は地元出身の佐々木喜重で、開智学校の建設にも携わってます。

 

 

館内はもとの教室でしょうか、テーマごとに10室に分けて展示がされていました。

 

明治時代の学校建築、山辺学校の教育、山辺に見る戦争の影など順に見学します。

 

こちらは山辺の石造文化財で、レプリカに混ざって本物の石像が3体展示されています。

 

 

こちらの部屋には、地元の厄除け行事で使用する藁のツクリモノを展示しています。


この行事は「こと八日」と呼ばれ、市の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

行事では燃やされてしまうため、本物を見られる機会は少ないとのことです。

 

 

こちらの部屋では、山辺の文化財が展示されていました。


神社のお祭りで里をねり歩く、長野県宝の9台のお船の写真を展示してい ます。

 

また、畳の敷いてあるエリアでは寺小屋時代に使われた桐の机や道具などがあります。

 

 

旧山辺小学校の見学を終えて、次は「あがたの森公園」へとバイクを走らせます。

 

公園内の駐車場にバイクを停めて、さっそく園内を徒歩で散策してみましょう。

 

ここは大正8年に植えられたヒマラヤスギの並木と池を中心とした日本庭園です。

 

 

園内には旧松本高校の校舎が「あがたの森文化会館」として保存されています。

 

松本高校は、改正高等学校令に基づき9番目の官立旧制高等学校として設立します。

 

いわゆる「地名スクール」(ネームスクール)の高校のうちで最初のものです。
 

 

設立当初は、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置されていました。

 

学生寮として思誠寮が建てられ、のちに信州大学の文理学部に改組されました。

現存するかつての校舎は、重要文化財に指定されています。

 


 

旧制松本高校の施設のうち、現存するのは本館の一部および講堂です。

 

現在は、公民館、図書館およびホールとして活用されています。

 

中庭の景観も素晴らしく、この日も小規模な撮影会が行われていました。
 

 

旧校舎に隣接して、旧制高等学校記念館という施設があるので、入館してみましょう。

 

観覧料は大人310円で、展示物の撮影はOKとのことでしたので、ご紹介します。

 

当時の学生の生活環境やファッション、思想などが興味深く展示されています。

 

 

当時の男子学生は、バンカラスタイルが特徴だったようで、試着も出来ました。

 

袖がないので、上手に服を肩に乗せながら歩けるような慣れが必要です。

 

当時の学生寮の部屋を再現したコーナーなどあって、結構おもしろいですよ。

 

 

1886年から1950年まで旧制高等学校は、存在していました。

 

帝国大学への進学の特権を与えられていて、個性的なエリート教育が行われました。

 

当時の女性からは、出世が約束された学生として、人気が高かったようです。

 

 

旧制松本高等学校の資料展示は、マンガチックな説明とともにとても楽しめました。

 

当時の学生のまじめ一辺倒ではない、ユーモラスな一面がとても魅力的ですね。

 

その他、美術絵画の展示も行われていて、こちらも見学させてもらいました。

 


次は松本城下の親町三町のひとつで、問屋街として発展した中町通りにきました。


明治21年の大火の後、耐火建造物としての「土蔵」がいたるところに建てられました。


そんな中町通りにある「松本市はかり資料館」を見学してみましょう。

 

 

この建物は、明治35年創業の「竹内度量衝店」がその前身とのことです。

 

竹内度量衝店は、中南信地方の度量衝器の需要を一手に引き受けていました。

 

ここに国内外の「度」「量」「衡」に関わるはかり資料約1000点を収蔵しています。

 

 

観覧料は大人200円で、3つの展示室で、はかりに関する知識を学ぶことが出来ます。

上皿棹秤、蚕の雌雄選別機、ローマはかりなど、道具と関連資料を展示していました。

また、老舗の材木問屋「三松屋」の蔵座敷を移築、2010年より公開されています。
 

※Part6へと続きます。


今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。


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