生涯旅人の徒然日記

生涯旅人の徒然日記

気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

暖かい春から、気温も徐々に上昇して、またもや暑い毎日の夏がやって来ました。
多くのライダーが涼しさを求めて、高原ルートや北の大地を目指す旅に出るのかと思います。
夏だからこその景色を見たり、体験できることを逃さずやりたいですね。
そんな人生の記憶を刻みながら、今日も走り続けたいと思います。

新潟県の中越エリアを巡る旅ですが、柏崎から出雲先へ移動し、「道の駅 越後出雲崎 天領の里」

 

までやって来ました。敷地内には「天領出雲崎時代館」「出雲崎石油記念館」というふたつの

 

スポットがあるので、共通券を購入してどちらも見学をしていくことにします(^_-)-☆。

 

 

建物1階では、佐渡から金銀を運んだ御奉行船の模型や天領を統治した出雲崎代官所などが

 

見られます。また2階には、北前船の寄港地として栄えた出雲崎の商家や町並みが再現されて

 

います。間口が狭く奥行きが長い「妻入り」家屋が連なる独特の街並みが見られますよ。

 

 

出雲先は、良寛和尚の生まれ故郷です。ここには、良寛の生家「橘屋」も再現されています。

 

良寛は「多くの人達に親しまれ敬われたお坊さん」で、普通のお坊さんとはだいぶ違っていて、

 

お寺の和尚さんのようにお葬式の時に立派な袈裟を着て経を読むということはしませんでした。
 

 

老若男女・貧富を問わず、誰にでも優しく接し、子どもとは一緒に遊び、農夫とは酒を酌み、

 

裕福な人とは詩歌を交わすなど、自然体で人と向き合いました 。そのため、良寛の周囲の人は

 

心が和み、幸せな気持ちになったと言われています。とても温かい人柄の方だったのですね。

 

 

続いて「出雲崎石油記念館」も見学します。出雲崎は日本で初めて石油採掘に機械方式を用いて

 

成功を収めた場所で、古代石油発見期から近代ロータリー式掘削法にいたる推移、石油精製品や

 

行程、石油化学製品のできるまで、灯具、各種国内油田の地層、原油等が展示されています。

 

 

出雲崎町は古代から石油が発見されています。文献に記載されているのは、668年に越の国から

 

「燃ゆる水」「燃ゆる土」が献上されたと『日本書紀』に記されています。1890年日本石油㈱が

 

米国の綱掘機械購入して掘削をしたところ、1891年噴油を伴い、成功をおさめたとのことです。


 

石油界、学界、官界ではこの井跡を石油産業発祥地として顕彰し、記念公園を整備しました。

 

1966年には新潟県の文化財に指定され、同年ペンシルベニア州タイタスビル市にあるドレイク井

 

記念公園と姉妹公園の提携をしました。現在の公園は2006年に整備されたものです。

 

 

さて、出雲先の資料館も見学し終えましたので、そろそろ「道の駅 西山ふるさと公苑」にある

 

「田中角榮記念館」へと戻ってみましょう。到着すると開館の10時を過ぎていたので、500円で

 

入館できるみたいです。なお田中角榮氏は、日本の第64代内閣総理大臣に就任した政治家です。

 

 

残念ながら記念館内での撮影はNGでしたので、写真はお隣の「西山ふるさと会館」の展示物を

 

掲載させていただきます。田中角栄氏は、1947年に衆議院議員初当選し、以後44年間で17回の


当選をします。郵政・大蔵・通産など主要閣僚を歴任し、1972年に総理大臣に就任しました。
 

 

日中国交正常化を実現した指導者として有名で、日本の復興・発展に大きく寄与しました。

彼の生誕地で学び舎であった二田小学校跡地に記念館が建てられ、田中角栄氏の遺品・遺墨を

 

展示しています。今太閤や影の総理と呼ばれ、多大な影響力をもった政治家でもありました。

 


自民党最大派閥の田中派を率い、巧みな官僚操縦術を見せる田中氏は、党人政治家でありながら

 

官僚政治家の特長も併せ持つ稀な存在でした。自民党総裁の座を狙っていたころは、徹底して

 

やり抜く実行力から「コンピュータ付きブルドーザー」とも呼ばれていました。

 

 

さらに、道路法の全面改正や道路・港湾・空港などの整備を行う各々の特別会計法など、衆議院

 

議員として33件の議員立法を成立させ、戦後の日本の社会基盤整備に正負両面にわたる大きな

 

影響を与えたそうです。その後、金脈問題で総理を辞任、「ロッキード事件」で逮捕されます。

 

 

「道の駅 西山ふるさと公苑」を後にして、K23で長岡市の越路原にある「宝徳山稲荷大社」の

 

新奥宮へと移動しました。実は小高い丘の上にある神殿が遠くから見えていたので、気になって

 

寄り道してみた次第です。地元の人々には岩塚のお稲荷さんと言われて親しまれています。

 

 

訪れたのは新奥宮で、その他に本宮と内宮がありますが、いずれも巨大な建物になっています。

 

それにしてもなぜ、ここまで巨大なのでしょう。宝徳山稲荷大社は、越国総鎮守一ノ宮という

 

極めて高い格式を持ち、全国から参拝者が集まる「一大信仰の殿堂」だからとのことです。

 

 

その威容を示すために巨大な社殿が造営されたわけですね。  さらに、近代以降も増築を重ね、

 

現在の漆塗り・朱塗りの大殿堂という圧倒的な規模に至っています。訪問時はひと気もなく、

 

静まり返っていましたが、春秋の大祭では全国各地から多くの参拝者が訪れて賑わいます。

 

※Part7へ続きます。

今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。

 

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