憧れのHERO | 馬い鹿~おやじのひそひそ話

馬い鹿~おやじのひそひそ話

20年ぶりのバイクリターンから4年
大勢の仲間達と気楽にオンとオフ楽しんでます。



みなさんこんちは~(^-^)/





と、明るいご挨拶ではありますが・・・・・・・・


今日は、ちょいとしんみりするような真面目なネタでございます。






大人でも子供でも、憧れの人は誰にでもいるでしょう。





勿論、私にもいます。



永ちゃんだと思うでしょ?



それも勿論なのですが、もう一人




その日から何年も経った今でも忘れられない人がいます。







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          日本を代表するレーサーだった「萩原光選手








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箱根では未だ伝説 となっている街道レーサーからサーキットへと


ステージを移して日産のワークスドライバーとなった。



小田原の元暴〇族から日本を代表する若手となったワルガキは





当時玄人向けの人気レース「マイナーツーリング」で


東名アドバンサニー(B110)を荒々しいが適格なテキニックで

ドライブし


F3,GC、F2とステップアップして、



日産のCカーをドライブし


星野一義、松本恵二と組んで、星野の一番弟子である光の




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          ル・マン24時間への出場が決まっていた。





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           ゼッケン「16」とにかく最高にかっこよかった。




私には、子供の頃から好きなレーサー


高橋国光 :国さん」がいたが




光は、とにかく憧れのレーサーだった。






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       当時有名になった人気チーム「Leyton House 」は



光とお兄さんの萩原任さんが「丸晶興産」に売り込んで出来上がったチームだった。



光は正に「Leyton House」の看板だった。




そして当時私は、一緒にサーフィンをしていた先輩の



「国さんや萩原光の車が作れるけど来るか?」の誘いで



とある会社に入り、当時の人気レースGC(グラチャン)


GCカーのボディー「MCS:ムーンクラフトスペシャル」を作る事になった




学生選手権なので使用するレーシングヨットを作りながら


MCSボディーを作った。





そして、その会社で仕事をしている最中にあるチームクルーから


信じられない連絡が入った。






「〇〇ちゃん・・・・・萩原選手が先ほど、亡くなってしまったよ」





当時のスポーツランド菅生で


グループA「ベンツ190E」のテストドライブ中に


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2コーナーでコースアウトしクラッシュ。マシンは炎上し、そのまま息を引き取った。


窓から車外に半身を乗り出した格好で焼死してしまったと聞いた。





とにかく涙が止まらなかった。



人目も憚らず工場でワンワン泣いた。



その夜のニュース報道を見て、一人でまたワンワン泣いた。






29歳の若さで亡くなってしまった光は、将来を嘱望され




生きていたら


日本から最初にF1をドライブするのは光だっただろう」と


中島悟のF1デビュー時も言われていた。



その後「レイトンハウス・マーチ」としてF1に上がったレイトン


あのマーチをドライブするのはカペリでは無く



光だったに違いないと、私は今でも信じています。






当時のドライバー達は、みんな引退して、チーム監督となっている





光が引退するまで、光のドライブする姿が見たかった


ベテランになった光の円熟したドライブが見たかった。





光のメットのデザインを引き継いだ景山正彦・正美兄弟が


ドライブする姿を見る度に光を思い出した。





最後に



これは私の単なる自慢話でしかないけど



ココペリ と一緒にFISCOに行って


私達が作ったMCSをドライブする光を見た。



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雨のレースで光がドライブするレイトンハウス・マーチは不調


思うような成績は残せなかったが



その姿を見た時の喜びは今でも忘れられない


若かった頃の最高の想い出。



そして、光がこのMCSをドライブする事は二度と無かった。


その後、このレイトン・マーチは、現トムスチームの監督である


関谷 正徳氏がドライブしたが、見に行く気にはなれなかった。






レースに認知度の少ない日本では、一昔前のF1のような人気では無かった。

当時の国内レースを知っている今の世代の人は少ないでしょう。


(当時の暴〇族が各地から御殿場に乗り込んでくる事でも有名で、GC最後のレースは、東京・神奈川・静岡・山梨など各地から集結した族車などが御殿場インターからFISCOまで続きました)




二輪も四輪も今のレーサーは、昔のハングリーな環境で


活動する人の方が少ないとも聞きます。




それは、日本でもヨーロッパのように、モータースポーツが将来の夢を託せるだけの対象として認知させたって事なのかもしれません。




異次元の世界で勝負するレーサー達の悲報は、今でも繰り返されています。




そんな時代の現在



日本には、こんな素晴らしいドライバーがいたって事を知って欲しかった、想い出に更けるひげでございました。





風戸 裕選手・高橋 徹選手・加藤大治郎選手・阿部典史選手


亡くなってしまった多くの有能なレーサー達の意思を継いで


日本から世界に羽ばたくレーサーの活躍をこれからも期待したいです。








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      萩原光:(1956・7・21~1986・4・7)享年29歳




貴方は最高に速く、最高に魅力的な最速のやんちゃ小僧でした。



貴方は生涯、私の憧れのレーサーです。






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