こんにちは
麗人社の吉田です。
これまで、百兵衛編集部のスタッフがブログを執筆していたのですが
7月の百兵衛リニューアルに伴い、ブログも再スタートしようということで
ブログ執筆に舞い戻ってきました
これからは、新しい百兵衛の事はもちろん
アートにまつわる様々な豆知識から、麗人社のこと
一緒に働くスタッフの事など、色々と紹介していければと思います
という事で、まずは自己紹介から!と言いたいところですが
中の人には特に誰も関心はないと思いますので、
私のオススメの筋トレ
を紹介・・・
しないほうがよさそうですね。。。
では、前置きはこれぐらいにしておいて
このブログの”根幹”でもある百兵衛の事を改めて紹介したいと思います。
◆「百兵衛」とは?
百兵衛は年に4回、春、夏、秋、冬と発刊される季刊誌です。
内容はアートにまつわるいろんな事!
元々は百兵衛という架空のお爺さんが
日本全国を行脚しながら、各都道府県それぞれの
土地に関連するアーティストやアート情報、文化等を紹介してきました。
もちろんその地域だけではなく全国のアート情報から画廊の紹介など
少し従来のアート情報誌とは違った路線だったんですね。
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「時は江戸の後期。浮世絵では歌麿や写楽、北斎らが有名になり、今で言う敏腕プロデューサーとして彼らを売り出した中心人物が日本橋大伝馬町の出版元、「蔦屋耕書堂」を営む蔦屋重三郎(※実在の人物 1750―1797)。全国をくまなく歩いて得た美術や文化の情報を、百兵衛は飛脚を使い季節ごとに蔦屋へ送り続け、それを木版画で刷らせた瓦版が江戸中で人気となったのである。(ここで季刊となる理由ができた。)
やがて「美術や芸術」という言葉がなかったこの時代に、庶民たちの間に高尚な美術文化を普及させた人物として、百兵衛の名は全国に知られる事となる。この事にいたく感心し、褒美を出すという殿様に会うため彼が江戸城に向かう道中、大伝馬町から逃げ出した暴れ馬に撥ねられ、その衝撃で平成という時代にタイムスリップ。江戸に戻れないならこの平成という時代の瓦版でも作るかと「美術屋・百兵衛」を創刊した……
それがこれまでの12年間。今号からの想定は、全国を周り終えた百兵衛が最終地の熊本で眠りについた4月の末日、江戸時代の両国辺りを歩いている自分を夢見る事に始まる。明け方に夢の中で「令和」という言葉を誰かが連呼、目が覚めるとそれはテレビのニュースキャスターの声だった。自分がタイムスリップした平成は終わって新しい年号に。「嗚呼、わしは二度と江戸には戻れんのか……」と諦めて雑誌のリニューアルに取り組んだ……
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その中で今年の春に発刊された美術屋・百兵衛 №49 熊本文化考で
47都道府県を行脚し終わり
今夏発刊された№50にリニューアルしたわけです!
さてさてこれからこの”百兵衛”がどのような方向に進んでいくかはこれからの事ですが、
皆さんには是非、新しく始まる百兵衛爺の新しい旅を暖かい目で見守り
応援して頂けたら幸いです。
ではまた!
麗人社
吉田
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