しあわせの場所とは?

世界中のヨガをやる多くの人が持つ理由には「自我の終わらせる」というものがある。苦しみから解放されるということもその一部。それを実現しようとするには、その自我を消し去ろうという方向への意識に労力を使わず、それさえも受け入れながら、自分自身のところにあるよう意識を置きつづけるべきということがここ数年感じること。

ラマナマハルシが言うに、
“ われわれは自分自身が実在でありながら、実在を獲得しようと探し求めている。これ以上の不思議はないだろう。
われわれは実在を隠している何かがそこにあり、実在が得られる前にそれが破壊されなければならないと考えている。
それは馬鹿げている。
あなた自身があなたの過去の努力を笑う日がやってくるだろう。
あなたが笑うだろうその日もまた、今この瞬間なのである。”

本当のしあわせは、欲しいものが手に入ったり、目的や野望が実現したりという、満足感や充実や嬉しさや安心感といったステージのものではないところのある。
それは、外部からおぎなうものでなく、いつの日か得られるようなものでなく、「いまこの瞬間にあるもの。」

常に実在する真我にあるには、そこにステイしやすいシチュエーションがあれば尚いい。
時間もなく距離もない。

写真はアルナーチャラ山。

“「ア」「ル」「ナ」は、
存在、意識、至福を意味するだけでなく、真我、個我、そしてその二つの合一を表している。
それゆえ、「アルナ」とは「汝それなり」を意味し、「アチャラ」は「不動」を意味するのである。”
Five hymns to Arunachala より。