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以前ネパールに住む友人ゼン君が、いつも様々な物事に感謝して「ありがたい、ありがたい」と言っている男性の話をしてくれた。
確かに、全てに感謝できていたら穏やかに過ごしやすいんだろうなーと思い、僕も食事をする時、海外旅行ができていること、またちょっとイラっとすることがあっても、これも自分のステップアップのための修行になるんだろうなどと思い、「ありがたい」と思うように時々だけど試みたりすることもあった。
今朝ふと思ったことだが、「ありがたい」は「ありがとう」に比べて、自分主体の考え方なんじゃないかと。決して自己中心的なことは、悪い事ではない。ただ自分というアイデンティティに対する「ありがたい」や自己成長のための「ありがたい」よりも、様々な状況や人に対して、自我が無く本来の自己の部分から自然に出てくる「ありがとう」という想いは、それは更に自由で美しいものに違いないと思う。
その男性の場合はたまたま「ありがとう」という想いが「ありがたい」という言い回しになっているのだと思うが。
なぜ今朝ふとこんな事を思ったのだろう? 宿のシャワーのお湯が熱々で、凄く気持ち良かったからかも。