から帰ってからは
パチンコ屋さんに通う日々でした。
実は高校生の頃、
親父以外と初めてパチンコに
行ったのですが、
同伴者はパチプロでした。
僕は17歳にして、
パチンコの英才教育を
受けていたのです。
ですからパチンコのナゾ解きは
あっという間でした。
パチンコで稼いだお金で
車を買いました。
(ある仲間は専門学校の学費を
全てパチンコで稼ぎ、
ある仲間は26歳までパチンコだけで
生活していました。)
土浦の「21世紀」っていう
パチンコ屋さんまで
中古で買ったモスグリーンの
ホンダインスパイア
を走らせて
タコスロやクランキーで
リプレイはずし。
あるいは牛久のPXっていう
お店に行ったりして、
ぺしぺしスロット打ってた。
青7が並んだら
シビれる毎日の繰り返しでした。
(大当たり確定なので笑)
それはそれでめちゃくちゃ
楽しかったですが、
別にスロットがやりたかった
わけではありません。
「夢が見つからない
んだから仕方ない
じゃん!」
というのが僕らの言い分でした。
この頃、親父が
「お前ら大変だよな。
夢見つけなきゃいけないんだもんな。
俺たちの時は夢なんて選択肢は
無かったよ。頑張って勉強して
いい大学入って、いい会社入れば
終いだったからな。」
と言っていたのですが、
ホントにそうだなぁ
と思います。
そんな日々を送っていたある日、
日記を書こうと開いたら、
(うちの兄妹は全員、
中学の入学祝いに父から日記を
もらって以来、
日記を書く習慣がありました。)
まだ書いていないはずの
無かったよ。頑張って勉強して
いい大学入って、いい会社入れば
終いだったからな。」
と言っていたのですが、
ホントにそうだなぁ
と思います。
そんな日々を送っていたある日、
日記を書こうと開いたら、
(うちの兄妹は全員、
中学の入学祝いに父から日記を
もらって以来、
日記を書く習慣がありました。)
まだ書いていないはずの
今日の日記が
すでに書かれていたのです。
「あれ?」
って思ったら兄の字でした。
そこにはこう書いてありました…。
「あれ?」
って思ったら兄の字でした。
そこにはこう書いてありました…。
つづき