前回の
の続きです。
そう、推理小説は、
当時の自分にあった
「どうしたら?」
というナゾを解くための
OS(基本的な機能)を、自分なりに養っていたのだと思います。
シャーロックホームズ
怪盗ルパン
ずっこけ3人組
三毛猫ホームズ(こちらは中学の時)
頭の体操
論理パズル
などなど、
小学校にある
推理小説とナゾ解き系は
ひととおり読んだと思います。
公民館の図書館にある推理小説も、
小学生が読めるものは、
たしか全部読みました。
※余談ですが、週刊少年ジャンプを僕は自転車に乗りながら読んでいたようです。
当時のことを友人が驚きと共に振り返って教えてくれました。
ルパンVSホームズ
という夢のようなタイトルの小説に至っては、
楽しみすぎて、
他の本を読み切るまで
とっておいたほどでした。
名探偵が、完全犯罪かと思われた犯行のわずかな食い違いや
犯人の犯したミスを発見し、
そこからするするとナゾが解けていくさまは、少年の僕にとってとても爽快なものであったし、かつ当然の結果のようでもありました。
そういった推理小説を読み漁る中で
知らず知らず、
「ナゾは解けるもの」
という意識の土台のようなものが、
自分の中に形成されていったみたいなのです。
考えてみたらその頃から、
【ナゾは全部解ける】
という前提で生きてきましたし、
実は今でもそう思って生きています。
自慢のような話になりますが、
数学は大得意で、
小中学校のテストで、解き方が全く分からなくて解けなかった問題は9年間でも5,6問くらいだったと思います。
(計算間違いは結構ありました汗)
もちろん自分が全てナゾを解いてきたわけではありませんが、
僕が解けないだけで、そのナゾはどこかの名探偵が必ず解けるのだと思って生きてきました。
そんな、
推理小説でナゾ解きのOSを搭載した
内田少年が、
最初に取り組んだナゾ解きは、
【カッコつけ】
でした…。
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