衣笠祥雄氏が私たちに残してくれたマインドセットとは!! | 知恵と人脈の宝箱・ご縁つなぎの伝道師

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人生は上り坂、下り坂、まさかの坂 仮にどん底の状態になったときでも自分は神様から応援して貰っている運のいい男だ!!何が起きてもありがとう。と感謝出来ることが出来る人生になりました。

このブログは私が過去の経験に基づき皆さまへシェアさせて頂きます。

人生どん底這い上がり

コンサルタント・ご縁つなぎの

伝道師・高井利夫です。

 

 

衣笠氏と私は同年代ですので

とても生き方に興味がありました。

 

それは、私の記憶のなかでは

デッドボールという打者にとっては

危険球を受けた時の対応!!

 

全く非常識極まりない対応を感じていました。

 

 



元プロ野球広島で、“鉄人”の異名を持つ

衣笠祥雄氏が23日に上行結腸がんで

亡くなったことが24日、分かった。

71歳だった。


元巨人投手の西本聖氏(61)が

「鉄人」衣笠祥雄氏の死を悼んだ。
1979年(昭54)の1つの死球に

まつわるエピソードから、在りし日の

衣笠氏の人柄をしのんだ。


私にとって衣笠さんは、野球人としてだけでなく

1人の人間としても、かけがえのない“恩人”です

 

先日、野球中継で解説をなさっていたとき

自宅で聞いていた声に元気がないので

とても心配していたんです…。

 

なんと言っていいか、言葉になりません。



忘れもしない日になったのは

1979年8月1日の広島戦です

 

私が先発した試合で、7回表まで7-1で

大量リード。

 

しかし、先頭の三村さんと2死から萩原さんに

死球を与えていました

 

ただでさえ、この展開でぶつけたら

大変なことになるのに、打席には

連続試合出場記録を続けている衣笠さんです。

 

 

それでもシュートピッチャーの私が

右打者の内角を攻められなければ

プロの世界では通用しません。

 

思い切って投げたら、衣笠さんの

左肩にぶつけてしまったのです。



両軍の選手が、ベンチを飛び出しました。

普通なら投手である私に突進して来るのですが

まだ5年目で若く、私の兄(明和氏=69)が

広島にドラフト1位で

入団していたこともあったのでしょう。


広島の選手は、キャッチャーだった

吉田さんに向かって行き、乱闘になりました。

私はその横で倒れていた衣笠さんの

元に走って「すいません」の繰り返し。


そこで衣笠さんから

「俺は大丈夫。それより危ないから早くベンチに帰れ」と

言っていただいたのを覚えています。


それでも動揺してしまった私は

その後に崩れて8-8の同点引き分け

 

宿舎に帰って、衣笠さんの自宅に謝りの

電話をかけました。

 

「大丈夫だから心配するな。それより

 

勝っていた試合に勝てなくて

お前は損をしたんだぞ」と逆に

気遣っていただきました。

「なんて人格者なんだ」と感動しました。


話はこれで終わりません

翌日、骨折していると聞いて

がくぜんとしました。試合になんか、

出られないだろうと、勝手に落ち込んでいました

そうしたら代打で出て来たんです。



ホッとしたというより、まさかのビックリです。


驚きが覚めない中

江川さんの1ボールから2球目をフルスイング。

次も、その次もフルスイングです。

3球振って空振り三振ですが

あれほど驚き、感動し、感謝した

三振はありません。

 

プロのすごさというものを

痛烈に見せていただきました。


1球目はファンのため、2球目は自分のため

3球目は西本さんに振りましたと話されたのを伝え聞きました


あの言葉は一生忘れません

その後、衣笠さんが記録を達成するたびに

うれしかったし、ホッとしたものです。


プロの厳しさを教えていただいたのに

私は心の中で誓いました。



「衣笠さんだけは厳しく内角を攻めるのをやめよう」と。



よくホームランを打たれました

天国の衣笠さんからは
 

「お前はプロとして甘かったな」と言われるかも

しれませんが、こんな人格者に対し

死球を当てたらいけない、と私の中で勝手に思っていました。

 

引退なされた後も「ニシ! 元気にしてるか」と

よくお声をかけていただき

 

かわいがってくれました。

心からお悔やみ申し上げます。



衣笠選手の偉業はもとより
普通では考えられない

マインドセットを備えておられる方でした。
 

人生の生き方を野球ファンのみならず

教訓を多く残して頂きました。
心からご冥福をお祈りいたします。