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プチ断食で健康的にダイエット@完全断食レポートつき

忙しい現代日本で日常生活しながらの完全断食は難しい。でも、断食は心身にとてもよいのです。まずはプチ断食から始めましょう。日本での断食レポートとインドの自然療養病院での断食生活レポートものせます。

入院先だった自然療養病院は、リゾートっぽいトロピカルな気候の土地ではあるけれど、リゾート施設ではなく、病院。なので、好きなものを食べて飲んで、好きに過ごしていいってわけではない。

と、いうお話ではなく、病院といっても、どんな病人も入院できるわけではないのですってお話です。

通常トリートメントに含まれている泥パックや腸洗浄、お風呂(各種あり。しかし、日本の温泉や健康ランドで区分けされているような「各種」ではないです。これについてはまた後日)の他に、医師が必要と判断すれば、鍼治療や光治療なども受けられるが、基本は食事療法。

可能な人は、完全断食ですが、強度の糖尿病など、断食すると死にかけるような人は、いわゆるプチ断食(果物や野菜のジュースやスープ)ですが、入院の条件が、薬類を一切飲まないこと。薬がないと一日を過ごせないほどの人は受け入れ不可ってことです。自然治癒を促す治療なので、自然療養で改善できる範囲の体であれば、っていう条件ってことですね。

化学薬品やもちろんアユルベーダや漢方もナシ。病院内で摂取するジュースやスープが薬となります。患者各々の体の機能改善の為のジュースやスープを飲むことになります。

では、いわゆる西洋医学の薬は、悪なのか?っていう疑問が沸いてくる。

結論からいうと、そうではなく、あくまでも自然の力と自分の力を合わせて自分を変えていくという場所なのであって、病院内のどの医師も西洋医学を否定していません。彼らはみな、インドの大学の医学部で学んだ後に欧米の医学も学んでいる先生です。

余談ではありますが、西洋医学であり西洋の考え方にも触れたことのある先生方の話す内容や話し方は、私が非インド人、つまり外国人であることを十分に配慮してくれ、外国人ならではの疑問を導き出す質問の仕方なども面白いものでした。

そして、この薬の話は、突然、南米のアマゾンに飛びます。


私は、かつて5~6年間、いわゆるバックパッカー生活をしていました。

バックパッカーとは、背中に大きなバックパックを背負って、大陸を移動する場合やどうしようもない場合は飛行機(外国でも飛行機代は高い)を使うけど、基本的には電車やバスといった陸路の交通機関を使って、日本人の感覚からしたら安宿に泊まって、数カ月だったり数年だったり、旅を続ける人のこと、です。私もそういう生活をしていたのです。

最近では世界一周という言葉が流行っているようですが、定義がよく分からないので、自分が世界一周旅人に数えられるのかどうか分かりません。が、バックパッカー時代の前後も含めたら世界3周ぐらいになっている気がします。

それはさておき、5~6年という長い期間で、なおかつ、特別なテーマを持っての日本脱出でもなかっただけに、実に行き当たりばったりで、明日の行き先も分からない生活が続いてました。なんの特徴もない、観光地でもないような土地でずっと滞在していたり、一ヶ月ほどのうちに1000kmほどの距離を同じルートで3往復もしたり。

実に根無し草生活だったもので、親類からは行方不明扱いされたりしていたけれど、家族も誰かに訊かれても私がどこにどのぐらいいていつ帰ってくるのか答えられない。私自身が帰国の2日前まで分からなかったんだから当然ですな。

そんな私が、ここだけは、行くべき季節に行く!と決めて、そうね~、結局南米だけで8ヶ所、アジアも入れたら10ヶ所以上行ったのが、アマゾン。亜熱帯地方や熱帯地方の巨大な森。レインフォレスト。

ブラジル、ペルー、ボリビアを中心に南米大陸の北半分のエリアの巨大すぎるレインフォレスト。南米のアマゾン地帯を合わせると巨大すぎて、日本が8個以上も入るサイズです。

参加したツアーのタイプも様々で、日本からの、汚れることを全く想定していない良い生地の服を着ている人たちが多いツアーだと、アマゾンの雰囲気を味わうために、アマゾンの入り口近くまでしか行かない。でも、このタイプのツアーの良いところは船も大きく、疲れないところ。たまにカヌーにも乗るけど、基本は船。都会からちょっと田舎に小旅行に行くっていう感じでしょうか。

もちろん、アマゾンの奥深くにしか生存しない動植物は見られないけど、青い空に緑の木々、茶色のアマゾン川、そして、お洒落なコテージでお洒落な食事。よっぽどの鳥マニアや蝶マニア、花マニアや草マニアでない限り、異国情緒も十分で問題ないです。例え、見られる動物が猿やオウム、ペリカンといった、日本の動物園で見られる動物であったとしても、です。これはこれで、遠路はるばる、日本から来て地球の裏側にいると思うと、かなり嬉しいのです。

ちなみに、日本から地球の中心を通って反対側に行くと本当にブラジルかアルゼンチンあたりに着きますので、その地域に行った人が、地球の裏側に来たと表現するのは正解な気がしますね。

私は、このタイプのツアーには一度しか参加しませんで(旅仲間の家族が遊びに来た時に一緒に行った)、他は全て、アマゾンはアマゾンでも、ヴァージンフォレストと言われる奥地に入りました、もちろんガイドつき。ガイド付きにした理由は、日本が8個も入るサイズの森に一人で入ることは死を覚悟してないと出来ないし、一人で入ることの意義が見出せなかったし、案内人がいるほうが安全で心強いから。

最初の頃は、アマゾンといえば、やっぱり乾季よね~ってことで、乾季を狙ってましたが、だんだんと乾季は植物が少ないことに不満が出てきて、雨季にも行くようになりました。

雨季のアマゾンの滞在経験者には分かるかと思いますが、ひと様にお勧めはしないです。日本の梅雨というレベルではない雨が降るのですね~、熱帯雨林。レインフォレストと言われるのですが、まさにその言葉の意味の通り、雨の森、です。

雨季には雨季の良さがあり楽しみがあるとはいうものの、熱帯雨林の雨季は、よっぽど好きじゃないと無理かも。雨そのものよりも雨が引き起こす不都合・不調などなど。乾季に比べたら、アマゾン散歩できる時間も短くなるしね。

乾季と雨季にわかれる地域の地図は季節によって違ってきます。乾季には歩いて行けていた場所が雨季にはカヌーが必需品。アマゾンの人たちのカヌー操舵が上手なのは当然ですね、自転車感覚です。カヌー以外移動手段がないからです。ちなみにカヌーも森の木を切っていぶしながら自分たちでつくります。当然、オールもです。船だけでなく、ナイフ一本で簡単な机や椅子、テントの枠組みまでつくります。ビニール紐の代わりに木の皮使用。カッコよいです。

南米のアマゾンツアー何回かのうち、一緒に行った旅仲間の中に、当時、官公庁勤務予定の東大生君と京大生君がいたが、正直言って、アマゾンボーイと一緒にいると、大変にドンくさくてださく見えた。アマゾンでは学歴エリートは価値がなかったが、今頃は日本の官僚制度の中でエリートコースを歩んでいると思われる。

あ、前置きがこんなに長くなってしまった、お薬の話のはずだったのに。つうことで、次の記事に続きます。



断食を日常的に取り入れるようになって、肉体面はもちろん気持ちの面でも随分と助けられていると思うことがよくある。

その一つが、先入観の排除。長い日数、断食してひたすら心身をからっぽにし続けていると、先入観だけでなく、いろんな自分の信念に近い思いまで消えていってしまう。


断食とヨガ、ともに心身にいいと妄信的に好きな人もいれば、単語を聞いたり見たりしただけで、なんだか宗教チックで嫌だな、変な世界の話じゃないの?とか、あちらの世界の住人になってしまったのじゃないの?とか、一瞬にして毛嫌いする人もいる。

断食はともかく、ヨガなんて、公民館やカルチャー教室で、エアロビや太極拳・気功やダンスと大差ない扱いを受けているわりには、かつてのオ〇ム真理教のせいか、いまだにヨガって、イっちゃってる人の多い世界、なんて先入観を持っている人もいる。

実は私も、かつては、ヨガって聞いただけで、いや~、そういうお話はちょっとパスかな~って人間でした。

実際、バックパッカー時代に訪れたインドでヨガをして、首と腰を捻挫して、その後何年も体の痛みが増した時なんて、ヨガ=悪!って思ってました。そんな私が5年半インドでヨガを学んでいるうちに、いつかヨガのインストラクターになりたいと思ったのだから、人生って面白もんです。


前回の記事では、断食を含む自然療養ライフのスタートとなった、自然療養病院の院長との出会いを書きました。

私にその場所を紹介してくれた友達の、変に肩に力の入っていない紹介の仕方が好ましかったのもあったけど、なんせ、それまで、鍼灸・整体・アンマ・マッサージ・自然療法と日本でもあらゆることをしてきて、効果なしだっただけに、それほど期待もしていないどころか、ダメでもともとって気分でした。

先生がインドの有名大学の医学部を出ていて、病院の経営もしているという肩書を知らなかったのも良かったのかもしれません。

天邪鬼な私は、どっちかというと、そういうエラい肩書きを先に教えられると、逆差別してしまう傾向にあるんですが、紹介者が、院長に関しても、信頼できる先生だよ~と軽く流してくれたのもよかったんだと思う。

それほど期待もしていなかったにも関わらず、えええ~、これまでお金や時間をかけてあれこれやってきたことは何だったの~?ウソでしょう?こんな短時間で(といっても一ヶ月半入院してましたが)こんなことになるなんて~~~。と、それまでの生き方の根底を覆されるほどの効果を自分の体でもって経験することとなり、その体験を通して、世界の広さをもっともっと知りたいと思い、その為にも、先入観は出来るだけ排除していかないと、と思っているわけです。


さて、その先入観、なんですが、インド・ヨガ・先生という単語を聞いて、どんなことを想像しますか?

まずは、インド人で、日常生活ではまず見ない変わったポーズをとったり、かと思えば、壇上であぐらかいて座って目を閉じて呪文みたいなセリフや節つけたお経みたいな歌を歌ったり、そしてその時の衣装は白や黄色やオレンジ色の修行衣装だったり。たまにはあぐらのまま空中浮遊したり?

インドのヨガティーチャーは、そういった外見だったり衣装なんだろうな~と思う人も多いと思う、実際、そういった外見の先生は多いし。

先ほど、断食で、それまでの生き方の根底を覆されたと言いましたが、実はその2年前、フィジカル面での体の変え方に関して、それこそ、それまでの全てを捨てる決意をすることになってしまったのですが、それが、とあるヨガの先生との出会いです。


その前の数年間は、すでにインドと日本を行き来していて、インドでヨガを数か月学んでは日本で働くって生活をしていた。

幼少の頃よりの、毎月の発熱はマシになっていて、ヨガの良さを人に伝えたくてヨガのインストラクターの仕事をしていた。

そんなある時、完治したに違いないと思い込んでいた持病がおこった。片耳が聴こえなくなったりオシッコが止まったりってやつ。たいていはどっちかだけなのに、その時はダブルでやってきた。そんなことは初めてだった。

体を変える、体調を良くするツールとして人様にヨガを教えている私が、まだそんな状態だったのです。それも、以前よりも症状がひどかった。

私って、なんて説得力がないんだろう、と思った。生徒さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


症状が治まるのを待っていた時に、インドでのヨガメイトからメールが来た。

「そういえば、ここ1年ほど、インドで君を見ないけど、どこで何をしているの?」っていう短いメール。

このヨガメイトが、かつて、それまで伸びたことがなかった体のあちこちが伸びて気持ち良く、なおかつ、難しいポーズがどんどん出来るようになって嬉しがりつつも、ヨガはポーズじゃないのよね~などと説得力のないことを言っていた私に、治療ヨガというヨガの存在を教えてくれた人だった。

彼は、そういった症状を説明していた私に、今のタイプのヨガもいいけど、ヨガのポージングに飽きた時には治療ヨガをしてみたら?君には一番必要だと思うよ。と押しつけがましさが全くない状態で勧めてくれた。

今、世界のあちこちでナントカヨガが流行っていて、大抵は創始者がまだ生きているか、亡くなったとしても大きな団体になって後継者がビジネスを続けている。

しかし、治療ヨガに関しては、みんなそれぞれ我流、ていうか、ヨガの歴史と共にくっついてきた分野なので、始まりが何か、誰か、なんて誰にも分からない。

ヨガに治療効果があるっていうのは漠然と理解できていたし、そういった文献も多かった。なので当時は、ヨガには予防医学や治療としての側面もあるっていう意味にしかとらえていなかったから、その言葉自体を聞き流していた。

寝込みながらも、今後どうすべきか思案していた時に、久しぶりに来た連絡、そういや、この人、治療ヨガって言ってたな・・・・・・。これに乗ってみようかな。と思った。

自分の症状を見てみると、それまでの体の変え方が間違っていたことを認めざるを得ない。生徒も多くいたけれど、自分がすでに間違っていると認めている方法を人に伝えることには抵抗感しかなかった。

それまで何年もかけて学んできたヨガだったけど、それが私にとってマイナス影響を与えているなら、それを一旦捨てて、未知の世界に飛び込むしかなかった。ただし、その効果はその時点では未知ではあったけど。


それで、そのメールから一か月後、インドに渡った、ヨガメイトからの治療ヨガの先生リスト数人分のメモ用紙を持って。

ちなみにメモの内容は、「先生の名前(苗字なし)・住んでいる町の名前」。これだけ。

このメモを持って、まずはインドの南の大都市ムンバイまで飛行機で飛び、案内所でそのメモを見せ、「この町に行きたい、どうやって行くの?」と訊いた。

次に、その町に行って、出会う人にメモを見せ「この人、知ってる?ヨガの先生なんだけど」と訊いて歩いた。

インドの町って、そんなに小さいの?って思われる向きもいるかと思います。が、たまたま、その町は小さかった。そして、あくまでも、インドのヨガの先生っていう世界の話ではあるけど、その先生はそこそこ有名でもあった。

そうやって、リストのうちの一番上の先生のレッスンを受けることになった。


さて、その先生の第一印象。ちゃ、ちゃらいな~。見た瞬間に、あ、これは失敗したかも。わざわざ仕事辞めてインドに来たのに、これか?・・・・・。うーん、どうしようかな・・・・・・。いや、とりあえず帰国日は未定だから一週間はレッスンを受けてみて、その間にヨガメイトから他の先生の情報を聞き出せばいいかな~、っていう思いが一瞬にして起こったぐらいの見た目でした。

その先生は、初心者・経験者に関わらず、その先生のレッスンを受ける前には必ずカウンセリングを受けないといけないルールにしている。

初めてその先生に会ったのは、そのカウンセリングの時。

たまたまその季節はビーチで教えているからなんだが、午後のビーチ遊びの後に、首から貝殻やらなにやらのジャラジャラをぶら下げ、もちろん海パンにロン毛の髪の毛も濡れたまま、ま、そこまではいいんだが、ビキニの(当然だわね、ビーチだから。ワンピース型の水着なんて外国には売ってないし)、細身ながらチョーナイスバディの白人美女三人を引き連れて登場した。

引くわ~~~。引くわ~~~。引くわ~~~。これって、ハーレムや~ん。先生、チャラすぎ~・・・。

実はビーチだからビキニっていうのもあるんだが、カウンセリングっていうのがかなりちゃんとしていて、一人一人自分の体の気になることをシートに記入して先生に渡し、先生はそのシートを見ながら、三人の美女に説明しながら、レッスン中に気をつけることを指示してた。美女三人はアシスタントティーチャーでした。

アシスタント美女三人はシートを見ながら、記入者の骨格を調べたり、記入者は先生やアシスタントに指示されて、歩いてみたり、服を脱いで背中や膝や骨盤や肩甲骨周りを見せたり。他のカウンセリング参加者も同じ場所にいるので、記入者の悩みポイントをアシスタント美女の体と比較してみたり、と、ただのカウンセリングとは思えない、中身の濃い内容だった。

体を使うエクササイズって、関節の角度と向きさえ間違わなければ、長時間やりすぎたとしても痛めることはないんだけど、この部分をないがしろにしてエクササイズすると、関節を痛める。骨折みたいに硬組織はくっつけばそれで問題ないけど、関節周辺つまり、筋肉の束の端っこにある部分を痛めると一生治らないと思っていい。

なので、関節の向きや角度を正しく指導してくれる先生は、とっても貴重なのです。なので、ビキニでの体の説明が一番分かりやすいのです。


そして、私の番になった。

先生は最初は普通に笑いながらシートを見ていたが、突然、かなり真面目な顔になって、私に近づいてきて、私の耳の下を触った。その後、美女三人にも触られた。

ヨガを習う前の私は、首がカチンカチンで、首は下方向に少ししか動かせなかった。左右に倒すのは5度ぐらいの角度しかいかず、それを過ぎると痛かった。後ろを振り返るのも首だけで振り返ると時に後頭部と首の付け根辺りにカーンという衝撃を感じていたから、怖くて体ごと振り返っていた。

それがヨガをするようになって首は多少は動くようにはなってはいたが、実はヨガをする度に首のコリがひどくなっていた。ただ、首の稼働範囲が以前よりも広くなっていたので、改善に向かっていると信じていた。

私がシートに記入したのは、肩こりがひどいという一言だけだった。だけど、先生は、耳の下を触りながら、「肩こりのことしか書いてないけど、腰・膝の故障の時期と期間は?」と訊いてきた(この時点でかなりびっくり)後で、「インドでの時間はどのぐらいあるのか?君の特に首周辺の改善にはかなり時間がかかる。君が思っている以上に君の首の問題は深刻だ」と言った。

そして「君の英語力は100%か?100%でない限り、僕のレッスンで効果を得るのは難しい。見よう見真似ではさらに悪化する。体の各パーツの使い方を間違えたままポーズするのはとても危険だ。ニュースチューデントクラスとオールドスチューデントクラスがあるが、君は、僕がレッスンで話すことが100%理解できるようになるまでニュースチューデントクラスにいるように。質問はどんな些細なことでも受け付けるし、レッスン中にノートをとってもいいよ。このタイプのヨガは言葉が理解できないと危険なのに、日本人って英語全く理解してないのに気楽に参加するから」って言われた。

うん、なんか、すごいかなりちゃんとした先生な気がする、見た目はこれだけど・・・・・・。で、言ってみた。「100%ではないと思う、でも、一般的な日本人よりは英語力はある。英語圏で困ったことはほとんどない。それでも、先生の言うことはとても理解できるので、ちゃんと最初のクラスの内容を少なくとも言葉の上では完全に理解して、先生の許可を得てから次のクラスに参加します。」

そして一番訊いてみたかったこと。「私の体、治りますか?今までインドでもたくさんのヨガの先生に習ってきて、どの先生も、首のことに関しては、ネックエクササイズをすればいいよってしか言わなかった。だからネックエクササイズをずっと続けてきて、首は動くようになったけど、以前にはななかった別の、首の奥の方が痛くて重たいのです、腰は、いつか手術を受けるようにと何人かの医師に言われたことがあります」

それまで、同じセリフをヨガの先生たちに言ってみたけど、ほぼ全員同じ答えで、首の痛みに関してはネックエクササイズ、他の部分に関しても、「ヨガを続けているんだろう?そしたらいつかは治るよ。まずは治るって信じて続けることが大事だからね」と、かつて、日本で多くの鍼灸・整体・気功師に言われたセリフもよく言われた。

まるで、治ると信じてないから、本気で治す気がないから治ってないのだと言われている気がして、言われるたびに落ち込んだセリフでもあった。そして、もっと本気の努力が必要なんだと思い、さらにエクササイズを繰り返していた。

実に、悪循環。本気の努力が必要なのは確かだったが、それは、エクササイズ云々のことではなかった。

だが、将来、もっとひどい状態にならないように、何かしないと。人に頼っていてはいけないから、体、動かさないと!って、思っていたから、エクササイズの種類や回数を変えることぐらいしか思いつかなかった。

ちなみにネックエクササイズとは、まず、最初に顔を正面向けたところから始まって、左右に倒したり、左右を見たり、前後に倒したり、ぐるっと首を回したり、です。たいていのヨガの先生はこれをお勧めするし、本やDVDにも出ています。

だけど、見た目チャラオ先生の答えは違っていた、「うん、そのネックエクササイズが君の首を悪化させているんだよ」「一週間、レッスンを受けてみて、体の変化を見てみてみよう」

もう、ガックリよ。だけど、何年も毎日続けていたエクササイズだっただけに、心の中ではやっぱりという思いもあったものの、認めたくなかった。時間がなくてもネックエクササイズだけは欠かさなかったわけだし。なので、どういう意味ですかと質問。その後の、それまでの首関係のエクササイズとは全くちがうプログラムを体感することで納得。

そういうことだったのか~。


簡単に説明するとですね、例えば、寝違えて首を右に捻ってしまったとして、では、左に捻ると、右に捻って痛めた部分が緩和されるのか?というと、違うのよ。右に捻ったから左っていうことではないのよ。

捻って痛めたら、伸ばすのです。痛めてカチカチになっている筋肉を伸ばしてゆるめていくのです。周辺部分にもゆるんでいる時の状態を覚えさせるって感じ。つまり、首悪い人が首回しをすると、さらに状態が悪くなってしまうのですね。

首を伸ばすエクササイズを、通常のレッスン以外の時間にもレッスン場に来て自主トレしなさいって言われたので、朝レッスンを受けた日も夕方に、お休みの日も朝夕1時間ほど首を伸ばすエクササイズをした。

それまでと違って、エクササイズが終わったら、首が伸びたと感じ、首と肩の間の空間が広くなって軽くてスースーして、実にとっても気持ちよかった。

自分の体の得意なポーズで得意な部分ばかり伸ばしたり、体のあちこちが伸びながらも痛みを覚えつつ、でも、痛いってことは治ってるってこと!って思っていた私にとっては、目からウロコだった。

うん、もうすでに伸びやすいところはさらに伸ばさなくてもよくて、伸びにくいところをうまく伸ばさないといけなかったのよね。そうやって体の硬い部分と柔らかい部分の落差がどんどん広がっていたのね。

こんなに気持ちいいだけで、なおかつ首周辺だけでなく、耳・上背から肩・肩甲骨まで、それまで感じたことのなかったゆるるん感。義務感ではなく、もっともっと気持ちよくなりたくて、通った。

何もしないうちから信じろと言われても信じる理由がなく、不信感しか覚えないけど、自分の体で感じた感覚は、信じるに十分な理由。

最初のレッスンが終わった日、先生は私に「違い、分かったか?」と訊いた。決して「治ったか?」ではなく。自分の体を治すのは自分であって、先生が治せるものではないから。まともなヨガの先生なら、自分の口からは絶対にこのセリフは言わない。このセリフを言わないからまともということでもないですが・・・・・・。

それにしても、首回し・・・・・・。ヨガのクラスでも教えてきたよな~、私。首回しが首の故障には絶対に有効だって、どうして思い込んでたんだろう、とか、いろんな思いが蘇ってきつつも、レッスンに励みました。

今でも、ヨガに使う時間が長めにとれた時には、この先生のニュースチューデントクラス用のレッスンプログラム。ちゃんとやると3時間ぐらいかかるんだけど、ヨガ終了後は、温めの温泉に長く浸かった後のように、体中の筋肉や神経がゆるみきって、至福の時を迎える。その幸せ感を出来るだけ長く味わいたくてゴロゴロしたくなるので、実質5時間ぐらい必要。だから、今は、月に1~2回できればいい程度。断食明けにすると、至福感が最高潮。


自分の体を使って実験した自分の体を観察する。これは断食やヨガだけでなく、一般的な生活習慣にも当てはまる。

でも、それってとても難しい。自分の体を冷静に観察していたと自分では思っていた私。ヨガってそういうものですって文章にも書いているし、先生もしょっちゅう言ってるし。言葉の意味を体でとらえられてなかったってことなんですけどね。

明らかに首の痛みが悪化していたのに、ヨガをしているんだから、ヨガで悪化なんてするわけない、そんなのヨガじゃない、っていう思い込み。

たくさんのヨガの先生が同じこと言ってるし、本やDVDやブログにもやっぱり同じことが書いてある。だから、このネックエクササイズは間違ってない、はず。

首が痛いのは、きっと何か別の、そうね、精神的な問題ね(→それほど大層な精神的な問題を抱えたことは一度もなく、その時もどんな問題かは全く思い浮かばない状態だったが)。


人間は、自分の思いを後押ししてくれる情報しか自分の頭の中にはインプットしないっていうのは、自分の経験からなのです。

なにせ、ネットで検索する時も、首・エクササイズ、だったり、腰痛・緩和・エクササイズ、耳鳴り・方法、という検索の仕方なのだから、エクササイズ関係しか目にしないのは当然ですな。図書館でもやっぱりそういう関係の書棚を調べるし。

いろんな情報を探していた時に、エクササイズをしないで体を休めるっていう提案、なかったのかというと、あった。何かをするっていう提案に比べたら、圧倒的に少ないけど、あった。

しかし、たまに見つかっても、私が探しているのはこういうのじゃないって、一瞬でスルー。


実際、何かをする手順や方法はいくらでも紹介できるけど、何もしないことの提案ってとても難しい。

日本でも断食道場やリトリートセンターが、完全断食ではなく、何か食べ物を提供したり、ヨガやマッサージを提供するのも仕方ないことなんだろうな。

何もしないことにお金を払う人っていないから。

2度入院したことのある自然療養病院では、完全断食の時に許可される動きは、ゆるやかな散歩だけで、マッサージやヨガ、鍼治療を含む他の治療はNG。お風呂も湯船に浸かったり半身浴、尻浴もNGでシャワーのみ。スチーム治療もNG。ジュースを飲み始めた時点で全てのNG解除。

つまり、完全断食はジュース食やスープ食(日本でいうところのプチ断食)とは、治療の種類として別物ってことなのです。


見た目チャラいヨガのこの先生との出会い以来、先入観とか思い込みを出来るだけ自分の中から排除するように努力している。自分の信念にも、そしてもちろん他人の言動にも、妄信的になるって、言葉はおかしいかもしんないけど、無駄に損している気がする。

冷静に、疑ってかかってみる。自分に取り入れてみた後も、疑いの気持ちを忘れず、そして、思い込みではなく自分の心身を冷静に観察する努力を続ける。過去のデータではなく、今の自分の体でもって判断する。


ちなみに、あまりにも気持ちよいのと、その後の作業効率の良さが嬉しくて、よく断食はしているけれど、これにもちゃんと疑いは持ちながら続けてます。ただ、今までのところ、断食の悪影響は、断食そのものではなく、自分の事前準備不足だったりがほとんど。それでも、いつか、断食だけはお勧めしない!という材料が出てくるかもしれないこと、密かに楽しみにしているところです。
プレ期ポスト期を含む断食期以外の最大の楽しみは、お外でご飯。

完全断食中は、食べるのを忘れているというか、食べたいという気持ちもないけど、野菜ジュース飲んだり野菜スープ飲んだりお粥食べたりと、喉を動かし、舌を動かし、胃腸を動かし始めると、体が覚えている過去の色んな味や、食べ物や飲み物にまつわる記憶が蘇ってくるらしく、食べることがとても楽しみになる。

レシピ調べて自分で新しい味でつくってみるのも楽しいけれど、ちょっとお洒落なカフェや家族向けの食堂など、楽しく食べている人がたくさんいる場所に行ってお食事するのがとても楽しい。

食べたい時に食べたいものを美味しく楽しく食べられるって、すごく幸せなことですよね~。


全身がパンパンに腫れ上がって体中が熱を持ってて痛くて起き上がれない皮膚炎になり、その治療薬の副作用で、半年以上、毎日7~8回の水下痢が続いた時があった。

検査しても異常なしと言われ、薬もらってもやっぱり治らず、挙句の果てに、医師に「日本人の40代以上の男女の6~7割がなんらかの胃腸障害を抱えて薬を飲んでますし、アレルギーに関しては8割以上の日本人がそうですよ」などと、何の慰めにもならないことを言われ、そういう体を作ってきたのは自分ってことを棚に上げて、キレた私でした。

医師は、悪くない。医師は医師としての仕事をしているだけ。

治せもしないくせに、高い診察料とって治りもしない薬出して、高給もらっていいよな!お金と時間、返してよ!などとキレてあちこちに八つ当たりしてはいけない。

そういうシステムになっているから医師が高給取りなのであって、医師個人にはなんの責任もない。


当時もそうだけど、今も西洋医学を否定する気は毛頭ない。人類の歴史は流行病との戦いの歴史でもあって、それを避けるために住む場所を変えてきた民族もいる。

虫だったりウイルスだったりに過去人間は敗北してきたわけで、人間以外の他の生物といかに上手く共存していくかっていうのは人類の永遠のテーマではないだろうか。

人間って、人間以外の種のことを自然と呼んで一括りにして捉えて、自然の脅威から逃れる方法を古くから探ってきていて、最先端のツールの一つが現代医学。

医療市場の巨大さを見れば利権がからんでいるのは分かりきっていることなので、そういった部分はこの際無視しても、何か月も続いた痛みや痒みや苦しみが、瞬時にしてひくっていうのは、まさに魔法。

心身に痛みや痒みや苦しみがあると、まず眠れない。眠れないから体力がますます落ちていくっていう悪循環。それを一瞬にして止めるって、すごく有難いよ~。

それで治ったと勘違いしてはいけないだけで。その症状を導いた生活習慣を改めないと治らないです。


全身がパンパンに腫れる2、3年前、当時は、自分のアレルギー体質のことを深く考えてもいなかった。

季節関係なく鼻水がズルズル出るとか目がいつも痒いとか喉がいつもチクチクするとか耳もやっぱり常に痒くてジュルジュル、とか。

幼少の頃からのことなので、それが当たり前すぎて、特に異常と捉えたことがなかった。

当時、私は、かつて、いずれ手術が必要になると言われていた腰と首の痛みと、それに付随して起こっていたらしき頭痛や耳鳴りを、ヨガならほぼ完治に導くことが出来ると確信してインドに渡って日々ヨガを学んでいたので、私の意識は、その部分にのみフォーカスされていて、アレルギーのことなど自分からは話題にしたこともなかった。

ヨガを学び始めて全く初期の頃は、いわゆるパワーヨガだったが、それで首や腰をさらに悪化させてしまったこともあって、真面目に取り組んだのは、治療ヨガと言われる分野。

病院で一室借りてヨガを教えているから治療ヨガってことではなく、治療プログラムの一部としてのヨガっていう治療ヨガ。

なので、一般に言われているヨガセラピーというのともまた違い、学んだ場所は、病院とかクリニックなど、いわゆる患者さんがいる場所。

そういうところで受けた個人レッスン、日本での個人レッスンと同じぐらい高かったけど、今でも受けてみて良かったと思うし、あのタイミングで治療ヨガを学び始めたことが、その後の順調な回復の源のような気がします。

その当時、言われいていたのが、私の持つアレルギーはとても古くて強い。

ヨガにはデトックス効果があるのは知っていると思うが、もし、私のそのアレルギーを引き起こしている物質が体内から排毒されるその時には、ものすごくきつくて強い好転反応が出るかもしれない、もちろん、そんな派手な出方はしないで、少しずつって場合も十分にあり得る、とも言われた。

正直、その話を突然された時には、え、なに?アレルギー?なんのこと?アレルギーのことなんてヨガメイトにも先生方にも話したことないのに、なんで?って、きょとんとしてしまったぐらいなのです。

アレルギーなんてどうでもいいから(咳やくしゃみは私にとっては幼少の頃からの日常的なものだったから)、首と腰の痛みの方が気になるよ~って文句言ってたぐらいです。


全身が皮膚炎になったきっかけは、いまだによく分からない。その数日に限っていえば、同じものを食べ、飲んだ人はならなかった。でも、そのうちの何かが反応したってことかな。そして、それが毒が入ったことによる反応なのか、好転反応なのかも今も分からない。

どっちにしても、人相も体格も変わるぐらい全身が腫れ上がり、寝たきりになったので、排毒できるなら排毒しきったほうがいいのは分かってはいたけど、寝たきりでも痛くて眠れないんでは体力がなくなってしまうので、まずは西洋医学の薬で症状をやわらげようとしたのです。

実際症状はやわらいで、腫れはひいて歩いたり動いたりは出来るようになったけど、その後は、いわゆるアトピーみたいに、体のあちこちがピンク色に盛り上がって痒かった。

そしてその苦しみをなんとかしようと薬を飲んだら、それは少しはマシになって嬉しかったが、薬を飲んだ瞬間から半年間、水下痢・・・・・・。


本当に、そのタイミングで、たまたま、自然療養という治療法があるのを教えてもらわなかったら、今もって、その苦しみが続いていたんじゃないかと容易に想像がつく。

首や腰の痛みはほぼなくなっていた時だったから、今度は皮膚炎か~って落ち込んでた時でもあった。

実に、藁にもすがる思いで、自然療養病院の院長宛てに、症状を書いてメールをしてみたら、信頼に値する返信が来た。

これが、私の断食ライフのスタートでした(注:自然療養の治療は断食だけではなく、断食しない治療もあります。あくまでも治療のうちの一つが断食です)。

ちなみに、返信内容は、「下痢に関しては2週間入院しとけば大丈夫。だけど、皮膚トラブルは今回の入院でほぼ修復することは可能だが、一度の入院では完治はできない、退院後の生活も含め、2~3年はかかる」。

なんでも治ります~、治します~、私にお任せ~、みたいな内容だったら、信用しなかったと思う。怪しすぎる。

僕(もしくは私)の言うことを、信じて。分かる?絶対に治るって信じてね。そうじゃないと治らないよ。自分が治したいって本気で思っていたら絶対に治るからね、などとまず先に言ってから、いわゆる整体や気功を施してくれ、施術後、自信に満ちたやさしげな顔で「どう?」って訊いてきた(→具合が良くなったと答えざるを得ない雰囲気になっている。治らないのは自分の本気度が足りないせいだと思うしかない雰囲気でもある)人達とは偉い違いだわ~。

などと、またまた、一度や二度ではない回数、同じ目に遭っているにも関わらず、性懲りもなく、今度の人こそ私の体をなんとしてくれるかもしれないと自分勝手な期待を抱いてあちこちに通う選択をしていたのは他ならぬ自分であることを棚に上げてしまっていた私でした。


そんなあれこれを、楽しく飲み食いしている人たちを見ながら、思い出すことがよくある。

一生食べ物の制限がある生活になるかもしれないっていう残念な結果になった場合、受け止めるしかないけど、嫌だな~って思っていた時期も私にはすっかり過去のこと。

痛みそのものよりもそれが生きている限りずっと続くと思うとそれだけで気分が落ちる。

そういった苦しみを体感した私としては、医師が言うように、そんなに多くの人が胃腸の苦しみと戦っているのなら、その緩和ツールの一つとして、やっぱり断食っていうのはお勧めしたいと思うのです。