世の中にはいろんな人がいて、私がインドで5~6年、ヨガと、断食を含む自然療養を学んだいたと知ると、「では、断食途中で、神様の声が聞こえましたか?」とか「神様に会いましたか?」などと質問してくる人がいて、面白い。
たまに、宇宙人に会えましたか?なんてのも、ある。
そういった話が好きな人同士は盛り上がるんだろうし、インドで学ぶというと、「修行」のイメージが強く、修行関係の人には、確かにそういう話が好きな人も多いから、仲間探しの質問として投げかけられるのも理解できる。
インドで学ぶっていっても、大学で正規の学生として学んでいる外国人も多いのだが、そういう人にはきっと、こういう質問はしないんだろうと思われる。
残念ながら、そういった方面の話題には興味がないので、そこはあっさりと、「いいえ、ないです」で、切り抜ける。
ただ、思うに、信じる者は救われる、というのは確かだし、自分が見たい、見たい、会いたい、声を聴きたい、と思っている人には聴こえるのかもしれない。
件の質問をしてきた人たちというのは、数日間の完全断食をした人が、神様の声をきいたこととか、お告げをきいた、とか、目の前に現れたっていう話を、本やブログで読んだことがあり、なので、完全断食イコール神様降臨。そして神様ネタにも以前から興味あるだけに、数日どころか2~3週間の完全断食経験者の私なので、神様を見たことがあるかもしれないと思ったんだろう。
この話がいつも面白いなぁと思うのが、そういう質問をしてきた人が読んだ本やブログに登場する神様の外見や風貌っていうのが、その作者のお国柄をあらわしているところ。
例えば欧米人の作者が見た神様は、決して、日本人が思い描く神様の風貌ではないのよ。
つまり、小さい頃から育った環境の中で、登場してきた神様像。
たいていの場合、神様は(宇宙人も)人間とよく似た風貌であることが多い。ヒンズー教には象や猿の外見の神様もいるけど。
日本とも似ているようで違う、多くの神様が存在するヒンズー教。インドには85%ほどのヒンズー教徒がいるが、他にもイスラム教徒が10%で人口にして1億人ほどいるし、残りの5%の中にキリスト教や仏教、その他の宗教もあって、個人レベルのちょっとしたケンカや言い争いの中にも、宗教ネタが結構多いのが、日本とは違うところ。
日本人の宗教という言葉に対する拒否反応はかなりのもので、自分は無宗教だと言い切り、そういう話題には出来るだけ触れたがらない人が多い。
実際には、宗教色の強い国々の人々と同じように、無意識のうちに、年中行事として宗教行事をこなしていることに気付いていないだけで。
ただ、外国にいると、宗教ネタからは逃げられないことも多く、バッパー時代もヨガ時代も含め、いろんな宗教の人と関われたこともとてもいい経験だったが、面倒くさいことも多かったので、そういった話題になった時には、「神様の存在は信じている。だけど、自分の信じる神様が、一般的に世の中でどんな名前で呼ばれているかということについては語るつもりはないし、自分以外の人間の信じる神様の名前にも興味がなく、議論するつもりは一切ない」と言って、勧誘や脅しを避けてきた。
宗教によっては、自分たちの信じる宗教以外の宗教徒は地獄に堕ちる、だから改宗しろって親切に言ってくれるけど、脅しにしか聞こえないよね~。心に安らぎを与えるはずの宗教で人を脅してどうするのよ。
とはいうものの、なんという名前の神様かっていうことだけで、戦争までできてしまうところが、宗教の怖いところ。つうか、宗教を道具にして、動物の本当である縄張り争いをするのが人間。
なかなか違う宗教の人と生活するのは難しいね~、と思うことも多いが、インドでは、インド人が寛容なのかなんなのか分からないが、職場レベルというか日常生活レベルでは、仲良く過ごしている。結婚となると他宗教の相手であることはありえないけど。
シーク教徒(ターバン族。ヒンズーとイスラムのいいとこ取りをしたと言われている宗教で、金持ちが多い)がオーナーのホテルの従業員の中に、ヒンズー教徒もいるし、イスラム教徒もいる。
ハリウッドならぬボリウッド(インドの映画界)での長らく続く人気男性スター一位の不動の地位に居座っているのは、ムスリムだし。
(精神的指導者がインドに亡命して多数の人も同じく亡命しているチベット人のチベット教もインドには存在するが、それはまだここ数十年のことなので、このブログでは、その点に関しては省きます。)
世界で最大のイスラム国家はインドネシアで、2億人近い人口がいるが、インドはその次に数の多い国。インド北部のカシミール地方周辺に多く、カシミール独立問題も、シーク独立問題と同じく、インドでは程度の差はあれども、常に紛争の火種ではある。
イスラム教にはラマダン月というのがあり、今がちょうどその真っ最中。あと2、3日でラマダン終了。
ラマダン月は、ムスリム(イスラム教徒の人々のこと)は、太陽が出ている間は食べ物を摂取しない。
日本では明治以降太陽暦を使っていて、宗教行事も太陽暦に合わせているけれど、太陰暦(江戸時代まで日本でも使ってて、今は、旧暦っていう言われ方をしている)やエチオピアみたいに独自のカレンダー(日付だけでなく、朝の6時が0時)を使っている国もありで、インターネットだなんだけ世界がとても狭く感じられるようになったとはいえ、やはり世界は広く、面白い。
ラマダン月は、毎年11日ずつずれていって、一ヶ月ほど続く。
明るいうちは食べない・飲まない、が基本で、プチ断食が一ヶ月ほど続く感じかしら。
ラマダン明けにはお祝いの儀式があって、ムスリム以外の宗教の人にもお祝いの食べ物が配られたりする。
バックパッカー時代には毎年どこかでラマダンにぶち当たり、ラマダン明けの生贄の儀式でさばかれた山羊のお料理をごちそうになったこともあった。
イスラムのラマダン明けの儀式に限ったことではなく、今でも、宗教儀式で生贄として動物をささげるっていうのはあちこちで存在している。
ただ、何十人もが伝統的な衣装を着て、由緒ある場所でおどろおどろしくとりおこなう以外にも、家の裏の草っぱらで泣き声が続くので外に出てみると、普段着のままの近所の人に動物が生贄にされてるって程度のことも多い。そして、さばいた動物をブツンブツンと切って、食うか?と言っておすそ分けしてくれたり。
私にとっては、最初のイスラム経験がバックパッカー時代で、何度かイスラム国家でラマダン月を過ごしたからか、インドでは少数派に属するイスラム教だからか、インドのムスリムは、イスラム国家に住んでいるムスリムの人たちとは、ラマダンに対する考え方もちょっとゆるいな~という感じ。インドネシアのムスリムの人たちほどはゆるくはないけど。
イスラム教は偶像崇拝ではないので、神様の写真や絵はないんだけど、モスクから聞こえるアザーンや1日に5回祈る姿、そして普段着も独特だし、ヒンズー教徒とは顔立ちや肌の色合いも違うので、少数派とはいえども、最初は分からなくても慣れてくると見分けはつく。
インドでもモスクが多数ある町では、早朝から各モスクからアザーンが聞こえてきて、時計のかわりでなかなか便利だったな。
次のブログでは、イスラム国家をラマダン月に旅行中、ラマダンというものを身近に経験することで、食べるということに対して、どう考えたか、ということについて書いてます。