断食・ラマダン② | プチ断食で健康的にダイエット@完全断食レポートつき

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忙しい現代日本で日常生活しながらの完全断食は難しい。でも、断食は心身にとてもよいのです。まずはプチ断食から始めましょう。日本での断食レポートとインドの自然療養病院での断食生活レポートものせます。

今年もラマダンが明けましたな。イスラム各地では、ラマダン明けの儀式やお祝いが催されたのでしょうね~。

インドネシアやインドといった、世界一位・二位のイスラム国家(イスラム教徒の人口についての順番であって、戒律の厳しさではありません)では、なんだかんだ言って、土地が豊かで食べ物も豊富だからか、砂漠や内陸部の厳しい気候で、常に水が不足していたり、食物用の植物が充分に生えない土地でのイスラム教よりも、全体的にゆるく、ラマダン月に滞在していても、それほど不自由は感じなかった記憶があります。

普段は一日5回聞こえてくる時報がわりの、モスクからのアザーンが、ラマダン中には回数が増えて、昼夜構わず一日中なにやかや聞こえてくるので、ああ、今はラマダン月か~って分かるぐらい。

もちろん、その土地に、家庭を持って住んでいる外国人は、私のような短期滞在とはまた違う感想を持っていると思います。


インドネシアやインドでもラマダン月の滞在はあったけど、初めてのラマダン体験を含むイスラム体験はバックパッカー時代。中近東と北アフリカエリア。5年半のうち、この地域に3~4回いたことがあって、毎回ラマダン月にひっかかった。

トルコやエジプトのような観光資源を含む外国資本の多いイスラムの国々は、そこそこ豊かであるからか、イスラムの戒律もゆるめなんだけど、観光国でもなく、産業もなく、あるのは石油(でも、石油の利権は、ごく一部の財閥とそれに群がる外国のもの)、もしくは石油もなく、なにもない(水に関しては、いつも不足、もしくは無いって状態)という国々は、当たり前だけど大変に貧しくて、イスラムの戒律も厳しいところが多かった。

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土地が豊潤でないから人間や家畜のエサになる草木が生えなくて、産業が成り立たないということの他にも、ヨーロッパの植民地政策で、不自然なラインに分けられた国と、そのボーダー周辺で頻発している民族問題もあり、北・西アフリカの砂漠地帯にあるイスラム国家は中央アジアのイスラム国家と同じく旅行しにくい地域かも。

今でも、女性は上から下まで真っ黒な布に包まれていて、基本、家の中の仕事をするっていう生活習慣の地域も多数あり、女性が、その地域では見慣れない衣服で大きなバックパックを持って旅行するというのは、悪目立ち以外のなにものでもない。

イランを旅行する時に、3回ビザ申請して、最初の2回はビザがとれなかったんだが、2回目のトライに撃沈した時に、何がダメなの?ってきいたら、イラン領事館の窓口の人が、私が持って行ったパスポートサイズの写真にマジックで色を塗り始め、目の周囲の枠だけ四角く残して、後は全部塗り、こんな写真だったら大丈夫だったのよって言われた。

冗談かと思った。目の周囲しか見えない写真だったら、年も風貌も分からないし、一家や友達間でパスポートの使いまわしも出来てしまうやん?

最初のトライから半年後のトライで、その理由にがっくりしたのと、その時はイランに行く気がいきなり失せてしまったので行かず、それから1年後ぐらいにイランには行った。

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日本人にとっては、イスラムときいて、具体的に何かを思いつく国といえば、エジプト、トルコ、イランぐらいかな。

イランはウズベキスタンと並んで、行き易さも含めて、イスラム国家の中では大好きな国で、イスラム文化を堪能するなら、この2ヶ国がお勧めです。

千夜一夜物語の空飛ぶ絨毯の世界です。

が、今回のブログのラマダンネタの地域は、こういったそこそこ有名な国々ではなく、北西アフリカのイスラム国家の国々です。

最近では飛行機が墜落したマリや、エボラ熱騒動のギニア・シエラレオネ・リベリア・ナイジェリア、女生徒誘拐事件の、これまたナイジェリア(どれもろくな話題じゃないが、日本から距離が遠すぎて、この地域に興味ないどころか存在自体を意識しないことが多いからか、こんなことしか話題にならない)とかがある地域。


その地域では、ラマダン月も含めて4、5か月旅行してた。

昼間の気温は50度を越える地域も珍しくなく、肌をさらしているほうが熱を奪われて危険なので、衣服は長袖長ズボン、当たり前に頭部・頭髪も布を巻いて保護。乗り物の窓を開けていると熱風で火傷しそうになるから閉めっぱなし。

一転、夜は気温が0度を下り、昼間は温かったペットボトルの水が夜中のうちに凍ってる状態。

こんな激しい気温差で、おまけに水もない地域に生えるのは、サボテンぐらい。何十時間も走ってもひたすら続く砂漠の風景の中に、たま~~~~~~に現れる緑色には心癒された。

常に砂が舞っている状態なので、日焼け止めなんか塗ると日焼け止めが下地クリームの役割で、砂がファンデーションな状態になり、顔がすっかり砂色になる。サングラスは必須だが、サングラスを外すと、目の周りだけ砂がないから、これまた変顔。

食べ物だって、食材が限られているんだから、どこで食べても大差なし。各国の首都などの大都市にはかつてに宗主国料理であるフランス料理やイギリス料理の高級レストランはあるけどね。

水は、外国人旅行者が泊まるような宿泊施設にはシャワーやバスタブのある部屋もあったが、一般民家では滅多にシャワーは浴びない。からっからに乾燥しているから汗は皮膚の表面に浮き出た瞬間に乾く状態なので、汗が気持ち悪いってこともないしね。

そして砂漠を移動の途中でもお祈りの時間には乗り物から降りて、皆さん、お祈り。その後は、ミントティータイム。七輪みたいなのを持ってて、それでお湯を沸かしてお茶をいれてくれる。当然食器を洗うのは、砂ね。

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宗教的なことは分からない。一つの宗教、一人の神様を、幼少の頃から無意識のうちに生活の中で信仰し続け、ラマダンの苦しさも苦しさと捉えず、自分がこれまでもしてきて今後も当然こなしていく行事と受け止めている。理屈じゃないから。

正直言って、モノに溢れ、生き方も死に方も含め、選択した多様な豊かな国に生まれ育った私なので、旅行中に何度かイスラム経験をしたからといって、イスラムとは、と語れる立場にはない。ラマダン月にその地域を避けるという選択も出来たわけだし。


金持ちが乞食の格好をしてみるとか、日本という豊かな国で働いてためたお金で、外国を、あえて貧乏旅行している自分を楽しむ、というのとは、訳が違う。

選択肢があってそれを選べる立場と、それしかない立場。

選択肢が多様なのが、選択肢がないよりいいと言っているわけではないよ。なんだかんだで、人間って、自由になりたいと口では言いつつも、それは今の不自由から逃れたいだけで、次に行く先もやはりなんらかのルールがある世界に行きつくのは、ある程度ルールや縛りのある中のほうが生き易いからなんだろうね。


今でこそ、<a href="http://bihadafactory.seesaa.net/article/398594419.html" target="_blank">体の機能回復や維持のために断食</a>を生活の中に取り入れているけど、そういった、自分の体調や都合による断食ともまた違う、信仰からの断食。

ラマダン中は妊婦さんも断食するし。

信仰からの断食をしている人の中には、<a href="http://bihadafactory.seesaa.net/article/402556324.html" target="_blank">断食をすることで神様を感じる</a>人もいるのかもしれない。私は感じたことはないけれど。


この戒律の厳しいイスラム国家旅行中にラマダンを間接的に経験して、感じたことは、実にシンプルに、<strong><span style="color:#FF0000;"><span style="font-size:large;">足りるを知る</span></span></strong>っていうことだった。

人間って欲が深いもので、ある一つをずっと欲している時は、その一つさえ手に入れば後はずっと一生幸せだと思い込んでいる。だけど、その一つを手に入れるとまた別の何かが欲しくなる。

欲しいと言って、なんらかの方法で手に入る世界に身をおいているなら問題ない。

少ないものでも、そこにあると、えり好みが出来る。最低限、人数分のモノがあったら、好き嫌いの問題はあるものの、欲しいモノが欲しい人の手に入る。

だけど、モノが少ない時は、どうなる?

取り合いになるし、それが発展していって殺し合いになる。

イスラムでは窃盗はデッドペナルティ、つまり、死刑。

たかが盗みで死刑?その戒律、厳しすぎるんじゃないの?って思うのは、モノが溢れて、選択肢も溢れている世界に住んでいる人間の価値観でしかない。

自由に生き方を選び、民主的に生きるべきだっていう、持てる国々の言い分が、持てない国々にとっては到底受け入れがたいのも理解できる。モノがないのに、欲しいと主張して行動していいってことになったら、殺し合いがあちこちで起こってしまうよ。



脳みそがとけてるんじゃないかと思うぐらい頭もボーーーーっとするぐらい暑い中で移動している途中、絶対に持っておかないといけないのが、水。アスファルトの道ばかりではない地域だし、お祈りが何よりも最優先されることもあり、地図上の距離で自分勝手に予測した時間通りに次の町に着くことはなく、ディパックには常に2本の大きなペットボトルの水を用意していた。

バスや相乗りタクシーで移動している時に、私がペットボトルの水をぐびぐび飲んでいるのを、明らかに喉が渇いているのが分かる他の乗客に、水ちょうだいって言われることが何度かあった。

暑い地域で水分不足に陥る怖さは十分に知っていたので、嫌だとは言えず、ペットボトルを渡すと、一気に飲み干されてしまうことも度々あって、顔が引きつったことは一度や二度ではない。

たった100kmの距離を移動するのに10数時間かかることもざらなわけで、次の町に着くのは、夜になってから。

水だけでなく電力も不足している地域が多く、ろうそくや行燈の灯りしかない村に着いたときなど、気分が萎えつつも、でも、ほんの小さな灯りがとてもとても有難く感じた。

ラマダン中に至っては、ムスリムは仕事はお休みなことも多く、旅行者である私も、その気はなくても、断食。

今の日本の流行の言葉でいえば、プチ断食かな。

太陽が出ている間は食べないのです。


イスラム国家と言っても、100%ムスリムの国というのはなくて(99%なら、あるのかな)、ラマダン時期にイスラム国家にいても、お店が全部閉まっているってことはない。イスラム国家にもムスリム以外の宗教の人々は住んでいるので、そういう人たちのお店は開いている。

ただ、ムスリム率が高くなればなるほど、開いているお店が少ないし、営業してくれているムスリムのお店も営業時間が短かったりする。

旅行客相手に仕事をしているツアーガイドも仕事しない人が多い(あんな暑さの中で食べないで普通に仕事するなんて考えられない)し、仕事してても、ダルそうにしてたり、「ラマダン中だからしんどいんだ~」などと言い、ラマダン以外の時に比べると、やはり旅行はしにくい。

なので、ラマダン中でもオープンしている食堂や露店に行っても、いつもなら、値段交渉してもなかなか安くならないところが、投げやり~な感じで「うん、その値段でいいよ~。お、そろそろ日没だ。店、たたんでご飯食べたいから、さっさと選んでさっさと帰ってちょうだい~」とか、言われる。

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ラマダン中、ムスリムの人たちがにわかに活気づくのは夜になってから。

旅行者である私も、結局一日食べ物にありつけず、水だけで過ごしたって日も少なくなかったから、夜になって食べ物にありついた時は、ものすごく嬉しかった。

もうね、そこに食べ物がある。ってだけで、ありがたかった。

例えそれが、日本でなら、食事としては食べないだろうと思われるようなメニューであってもね。小さい時から食べなれた味や料理でないので美味しいとは感じないし、同じものを日本に帰ってまた作って食べようと思ったことは一度もない。

でもね。ほぼ24時間ぶりの食事。体力消耗した後の食事。そして、それが仕事とはいえ、お料理してくれる人、その食材を育てる人、運んでくれる人。お料理がお料理として私の前に出されるまでに、たくさんの人のお世話になっていること。などなどが、ラマダン中は、毎日、感じられて、相手かまわず感謝の気持ちでいっぱいになった。そして、ペットボトルの水を全部飲み切られたことぐらいでムカついていた自分を恥ずかしく感じた。


物質的に豊かな日本にいると、あって当たり前、欲しいものは自分のものになって当たり前。一番欲しいものは手に入らなくても、2番目・3番目だったり代替え品なら手に入るけど、それでは満足できなかったり。

そういった環境では滅多に感じることのない感覚。感謝しなさいと教えられなくても、自然とわき出る感謝の気持ち。あれやこれやと好き嫌いを言わずに、出されたものはきれいに食べきって、感謝の気持ちを相手に伝えたくなる気持ち。モノが少なくて人数が多い時こそ、みんなに行き渡るように分け合わないとね。

とか、毎日、感じてたな~。もちろん、資本主義的な、努力して結果出した人が他の人より多くを得て当然という理論も支持するけどね。



砂漠の土の色と青い空。この2色が、この地域の人にとっての自然の色。彼らは、草木の緑色を綺麗だねとはいうものの、私のように、草木の緑と香りを嗅いで泣いてしまうという感覚はきっと永遠に理解できないだろうと思う。

いつも砂と共にあって、彼らはいつも砂を触ってた。玄関先に座ってのおしゃべりタイム、夜、庭で太鼓のリズムに合わせたダンス・アフリカンミュージックタイム、ピクニック先での砂漠(他に行くとこ、ないから)でも、いつも砂の上に座って、砂をもてあそびながらおしゃべり。

空を見上げると、いつも雲ひとつない真っ青な空、真っ赤な夕焼け、満点の星空。

私にとっては、味気なく見える、そして緑が全くない世界は辛いものだけど、この世界が当たり前に育っている彼らにとって、故郷の色と言えば土色と青色、食べ物はやはり香辛料まみれの肉料理やナッツ類。

病気になったり心細くなったりした時に思い出すのは、きっとそういうシーンだろうし、仮に緑あふれる別の土地に住んだとしても、この地域に帰ってくるんだろうな。


旅の生活を終えて随分とたつけれど、今でも、ニュースでラマダンネタを読むと思い出すのは、砂をつかんだり離したりしていた指先や掌での感覚と、時間帯によって違う空の色。と、暗かった夜と、生ぬるいペットボトルの水。


ちなみに、イスラム圏内での断食と、そのず~い分と後になってから生活に取り入れるようになった断食とは、私の中では全く違うものとして意識分けがあるらしく、日常的に取り入れている断食の途中では、砂漠の土も星空のシーンも思い浮かびません~。