「誇り・こだわりをぶち壊せ!」と言うお話です。

 

私はネイティブアメリカンのセレモニーを数多く経験してきました。

スウェットロッジは、当たり前の浄化の儀式。普通のこと。

ビジョンクエストは、自然と一体となる特別な儀式。とってもピュアになるいい感じのセレモニー。

サンダンスは、創造主と繋がる豊かな儀式。肉体を超えて、意識を認識するセレモニー。

 

それぞれにそれをやってきたと言う、誇り・こだわり・プライドがありました。

そこまで経験してきた日本人はほとんどいないですからね。

希少価値が、より無駄な特別意識を作っていく。苦笑

 

でもね、ラッキーなことに、私の持っていた「誇り・こだわり・プライド」をぶち壊す人が現れました。

その人の元で、1年ちょっと学びました。

学びはじめた時に、いきなり、私の自我を尽くぶった斬られ、余計な特別意識もぶっ壊れました。笑

例えば、ネイティブアメリカン関係の自分にとって象徴的なフェザーを自然に返したり、ドラムを人に譲ったり(後で巡り巡って帰ってきました)、セレモニーに行くことを止められたり、毎日何かしらのことで叱られたり、卒業間近のプロセスワークを中退することになったり。。。

 

ま、今になってみれば、極端なやり方だったなぁとも思うのですが、余計な特別意識をぶっ壊すにはちょうどいい1年でした。

いい意味でも悪い意味でも、学びの多い1年でしたよ。

ただ、だんだんと自分がおかしくなっていったのも、事実。毎日、叱られていると、自我崩壊していきますね。

そして、「クビ!」と言われた機会に退いていきました。

学んでいることがとても魅力的だったので、辞めるのがまた難しい。

でも、友人がいたおかげで、おかしなことにならずに辞めることができました。

 

そして、人生立て直し。

商業ビルの朝の掃除のパートから始まり、飲食店の皿洗いやホールのバイト、そして、30代後半でも普通に正社員になれる介護の仕事に行き着きました。それぞれ、尊敬できる人に出会ういい仕事でした。

また、プロセスワークも再入学。修士論文といくつかの試験を受けて、無事に卒業しました。

 

そして、数年分書くことをここでは省略しますが、今に至るわけです。

 

誇りやこだわり、プライドは、余計なものです。

一見ポジティブに自分自身に働いているように見えますが、本質的には不自由にします。

その意識から、物事を見るようになり、その視座を捨てられなくなりますから。

いざというときに、思い詰めたり、身動きが取れなくなったりします。

 

今、私が行っているトラウマ解消セッションは、特別意識をぶっ壊されているから、できているような気がします。

私がブレたら、たぶん、できなくなるでしょう。

特別意識は、ブレを作る原因になります。

もしくは、魔に入られて、クライアントさんを変な方向に導いちゃうかもしれません。怖い、怖い。

 

誇りやこだわり、プライドを持たず、等身大でやっていることが一番強い。

セッションを別にやらなくても、生きていけるし、仕事がなくなれば、介護でも掃除でも仕事はあるし、ま、食べていことはできるでしょう。

 

ということで、お誘いします。

 

誇りやこだわり、プライドはぶち壊しちゃった方が、自由で楽しくなりますよ〜。

 

最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。