周防監督の映画「それでもボクはやってない」を観た。
監督はこの映画を制作するために、数年かけて聞き込みを行ったようである。
そのためか、劇中にはデータや裁判の実態が散りばめられていた。

裁判は真実を明らかにする場ではない
というメッセージは印象に残った。裁判所は行政府と絡んで、官僚的な機構であることを思い知らされた。

現に、満員電車で女子高生に「痴漢したでしょ」と咎められたら、元も子もない。
劇中にもあったように、「やってない」ことを証明するのは、「やった」ことを証明するより、明らかに難しいからだ。

これは、以前観た陪審員の映画「12人の怒れる男たち Twelve Angry Men」とも通じるところがある気がする。
父親殺しの罪に問われたスラムの少年を、11人の陪審員が有罪としたにも関わらず、1人(主人公)が有罪と言える明確な根拠がないと言って、最後には全員無罪とする映画である。
ここでの主人公の主張は、上記の「やってない」ことを証明することの難しさを十分理解した上でのものだったと取ることができる。

基本的に検察が原告となる刑事裁判を無罪とすることは、国家に楯突くことになる。
しかし、真に裁判が裁くべき人を裁く場たるためには、無罪の可能性も十分に踏まえて議論されてしかるべきである。
この矛盾はどのように解決すればよいのだろうか。

これまでいくつかの裁判もの映画を観てきたが、上記のような根本的な問題を浮き彫りにさせたという点から、堤真一主演の「刑法9条」よりも、奥深い作品だったと言えるのではないだろうか。

残留とは、大学に泊まることを言う。
昨夜、遅くまで大学でModel G8の作業をしており、先輩のすすめで息抜きに「生き人形」by稲川淳二の話を聞いたり、ニコニコで「世にも奇妙な物語」のエピソードを見たりしているうちに、帰るのが嫌になったというわけだ。

最近、不眠症の反対で、どんなにうるさい目覚ましをかけても起きない現象が起きているので、色々調べてみた。
どうやら、睡眠障害の一種で過眠症(ナルコレプシー)が近い気がする。
無意識のうちに言動を行う自動症は発生しているし、睡眠発作も認められる(最近電車内で本を読むと即眠ってしまう)。
かつては入眠幻覚や睡眠麻痺(金縛り)に悩まされたこともあった。
何だかよくわからないが、精神的に少し病んでいるようだ(見かけはピンピンしているがw)。

とにかく今は週末にあるインターン(北京‐東京フォーラム)の報告会が行われるため、準備に追われている。
集中力がないのも、上記の精神的なものの一つらしい。
全然進んでいない卒論もプレッシャーとなっている。

「ああ、どうしよう」
と悩む前に、作業を進めなさい、と自分に言い聞かせてみる。

本当に久々の日記である。
しばらく会ってない人は、余計な心配をしたかもしれない。

前回の更新から、一ヶ月以上も放置してしまった。
夏休み後半のことを言っておくと、沖縄(石垣島・西表島)旅行を大いに楽しんだ。
大学入学時に共に仲間サークルを作った7人+2人の9人。
あいのりではないけれど、のりのりで過ごしたバケーションだった。
沖縄の海は・・・青いのなんのって。。。
沖縄の青い海

沖縄経験者の他のメンバーの数倍、この青さに感動してたような。
往きの飛行機で海を見下ろす画面が映し出されたんだけど、それは
・空から海を見下ろしているのか
あるいは、
・海中から空を見上げているのか
分からなくさせた。

帰ってきたら、急に現実に引き戻され、卒業前の大プロジェクトであるModel G8ユース・サミットの準備であくせくした。
焦りやプレッシャーもあるが、着実にこなしていくことが重要だろう。

卒業=学生という身分の終わりが刻々と迫る最近思うのは、自分の大学への恩恵である。
大学が学生を重んじてくれたおかげで、好き勝手に様々な経験をさせてもらえたことは、生涯忘れないと思う。
寄付というのはこうして集まるものなのか、、、とも感じた平日の午後であった。