今日(29日)は友人の誘いで、「第九」を聴きに行った。
会場はオペラシティ。レニングラード国立管弦楽団が演奏する。

どうやらこの時期はちょうど「第九」ブームであるらしく、
「第九」を聴かなきゃ年を越せない!という熱狂的なファンも多いらしい。

前座としてマーラーの交響曲第5番4楽章が演奏された。
綺麗なメロディの中にミステリアスな感じの漂う曲調は、クラシックの
優雅な世界に聴衆を引き込むのに貢献したと言えよう。

そして、メインのベートーヴェン交響曲第9番。

第3楽章まではその美しい音色たちに日頃の疲れが重なって、
うとうととしてしまったが、第4楽章からは目が閉じられなかった。

バスのソリストから始まる人間の声。
声が楽器となり、会場をこだまする。

「フロイデ!」「フロイデ!」
意味は分からなかったが、歓喜の歌は右上がりにクライマックスに向かっていく。
100人はいるだろうと思われる合唱団による歌声は迫力満点である。
年末「第九」にはまる人たちの気持ちが分かる気がした。
そうだろう、一年の最後は歓喜して感動して終わりたいものだろう。

また一つ、「よろこび」の表現方法を知った。

この10日で3つの異なる公演に足を運ぶことができ、まさに「芸術の冬」となった。
本当はこうしてる場合ではない、明日(30日)が卒論の締め切り。

少々自分を追い込みすぎた感はある。でもこれは全てやりたいこと。
自分も年末に歓喜の歌が歌えるよう、今は目の前の課題にひたすら取りかかることにしよう。

「フロイデ!」

昨日、小学校の頃の友人とライブに行った。
自分の大好きなアーティストの楽曲を、友人と共有できるのはすごく楽しい。
友人は予想以上に楽曲を知っていて、予習用CDもプレゼントしたせいか、
ライブ中も「やばい」「やばい」と言いながら、楽しんでくれた模様だ。

以下はネタバレであるが、最終公演は今やってる最中なのでいいだろう。
今回のライブはアコースティックであるため、全体的にジャジーで大人な感じの
楽曲に編曲が施されている。
本人たちも「イントロで何の曲か分からない」「勘で歌い始めている」という程で、
アレンジのレベルも、8年前のアコースティックライブに比べても、上がっている気がする。
先月、上海のライブにも行ったが、一つの公演を二回以上見に行くのは今回が始めてだ。
昨日はちょうどDVD収録日であったせいか、それとも日本での公演だからか、
上海とは一味も二味も違って楽しむことができた。
「紫陽花と向日葵」がいい曲だと感じたのは今回のライブが初めてで、暫く公演終了後も頭から離れず。
「終章~エピローグ~」は本当に名曲だと思うと同時に、バックのピアノ・ギター・ドラム・ストリングスの混ざり方に感激。
ギターの鈴川さんがサックス吹けるなんて知らなかった。

そんなこんなでやはりライブはいい!と思った。
「えっ、もう過去の人でしょ?」「世代違うからちょっと・・・」というあなたとも、
是非この芸に対する感動を共有したいとです!

今日は文京シビックホールに足を運び、鼓童のライブを観た。
鼓童は佐渡発の和太鼓を中心とした打楽器グループで、大学一年生の頃だろうか、
初めてライブに行き、とてつもなく感動したのを覚えている。

今回は、卒業前にもう一度あの感動を、と思い観に行くことにした。

以前は「迫力」「打楽器のメロディ感」「踊り+リズム=よろこび」などについて想いを馳せたものだが、
二回目となると、また違った印象を受けた。

1.
和太鼓が僅かに斜めに置いてある。
ただそれだけで、手前の皮から放たれる音と奥の皮から放たれる音との間に、高さや質の違いが出てくる。
2.
和太鼓の「和」は、まさに"越境"して共に楽しむことを意味しているのだろうか。
外国人も少なくなく、非常にユニバーサルな芸術である気がする。
3.
男が叩く、女が舞う。男が叩く、女も叩く。男が激しく叩く、女も激しく舞い叩く。。。
一曲にこんな男女のやり取りがあったが、これは個人的解釈ではセックスを意味するのでは、とふと思った。
それは決してエロではない、むしろ美学としての性表現である。
ここでの"よろこび"は"悦び"であり、男女が自然の法則によって惹かれ合う神秘性をも含んでいるのではなかろうか。
4.
男の太鼓師が8人、女の太鼓師がその前に6人。あれ、そのうち隣同士の太鼓師が重なったり、また離れたりするぞ。よく見たら、男は4人、女は3人だった。。。
これはおそらく、開演前に飲んだ日本酒のせいだろう。
コンサート会場で、"酔拳"の体験をしてしまった。

4はどうでもいいが、1~3は今回の新たな発見とも言えるかもしれない。
全体として、以前より太鼓以外の要素(踊りや唄など)が多く取り入れられ、
今後の鼓童も見逃せないな、という思いを強くした。