今日は久々に親と電話をした。
親の切り際の一言:
「あんたもいずれ分かるけど、人は老いるのよ」

話は変わるが、今日の午後は熊本市電に乗って、図書館に足を運んだ。
車内は小学生の集団でかなり混んでいた。
ふと、そういえば彼らはちょうど自分の年齢の半分くらいだな、と思った。
財布の中身を見せ合いながら、「お前はいい家だな」などと言ってはしゃいでいる。
友達と一緒にいるだけで、時間を忘れるくらい楽しめた年ごろ。
隣のお爺さんは、ニコニコして子ども達の無邪気さを受け入れている。
「どこに行くの?」などと声をかけながら、世代間のコミュニケーションが生まれる。

このあいだ、「30代になると急激に楽しめることが減るから、今のうちだよ」
と誰かに言われた。
その場では「そうですねぇ」などと返したが、心の中では「違うな」と思っていた。
その時々で楽しめるか楽しめないかは、心の持ちようだろう。
20歳でも、35歳でも、60歳でも、99歳でも、楽しめることはあるはずだ。
勿論、楽しみ方はそれぞれ変わっていくだろう。
でも、「楽しもう」という強い心持ちさえあれば、何でもできる気がする。
少しでも幸せに近づける気がする。

人は、老いを止めることはできない。
うちのお祖母ちゃんは独り身で足が不自由だが、孫の私からの電話に嬉しくなったり、
介護施設に通ったりして、日々を楽しく過ごしているという。

そんなお祖母ちゃんを、私は心から尊敬している。
そして自分も、老いを受け止め、今日を、今という瞬間を楽しみたいと思う。


今日は同期と夜遅くまで語り合った。
過去のこと、現在のこと、未来のこと。。。
久々の「語り合い」に胸が熱くなった気がした。

出会いというのは面白いものだ。
なぜ、自分はこのタイミングで、この人たちといるのだろうと思うことがある。
そこに何かしらの意味があるのだとしたら―――
自分の存在する時と空間は無限の中のごく一部に過ぎないのに、
語り合いでぶつかり合うのは、いつでも楽しい。

語り合いが愛だとしたら、めぐり逢いはきっと恋だろう。

詩的になったところで、一曲紹介。
先日、ASKAのソロコンサートに福岡まで行ってきたが、
『君が愛を語れ』の最後のフレーズが好きだ。

♪いつか寒い五線紙の中
 動けなくなる未来を見て
 もしも君が倒れたならば
 愛が愛を語れ♪


熊本に来て、はや一ヶ月。
自由時間が多いだけに、色々と物思いにふけることもある。

これまで東京近郊でしか暮らしたことがなかった筆者だが、
田舎を非常に愛してきた。
自分の中でもっとも親しみ深い田舎は、山梨県富士吉田市。
大学の入学試験で自分像を自由に表現する書類の一頁に、
富士吉田市から見た富士山の荘厳たる景色を一枚貼った
ことすらある。

そんな筆者だから、初めての来熊でも、現在置かれている
状況を非常に楽しんでいる。
地元のサークルはいい人だらけでキャラの濃い人もいて、
車をちょっと走らせれば大自然に囲まれることができる。

これまで自分はいろいろな影響から、
「この世界をもっと良くしてやる」とか
「これからの時代は自ら切り開いてやる」とか、
野望とも言うべき大きな意気込みを抱えて生きてきたが、
「自分の周りにいる人や家族を大切にすること」を全うする
ことの素晴らしさを身に染みて感じている。

身のまわりを大切にすることと自分の野望は、
両立不可能ではないだろう。
だが、経済と環境の関係のように、錯覚してしまうのだ。
どちらかを取れば、どちらかが犠牲になるのではないか、と。

「nabettiはスローライフだからね。」
昨日話した友人には、こう言われた。

スローライフから始まる、新しい価値観や社会構造の提唱―。

そんな糸はいまは見えないが、ヒントはあらゆる所に眠って
いるような気がしてならない。

先日観た『不都合な真実 An Inconvenient Truth』。
社会に立ち向かう勇姿をまた一つ、発見することができた。

I wanna be one of them, part of something very critical...